師匠の不思議な日常

天の語らい地の学び 香る神々との対話 天界、龍神界の物忌み(巫女)師匠こと天卜占と弟子で審神者(さにわ)である臣の日々

ココロが冷たい カラダが冷たい

2011年10月25日 | 天意の実践

低位の存在は、人間だけとは限らない。

低位の場所もあるし、低位の集合体、団体もある。

また、病気など、カラダの不調も同じ。

病んだ部分は冷たい。発するエネルギーが低いから、冷たい。

冷たく感じるだけでなく、実際、冷たくなっている。

ストレスが原因の緊張状態によるものや、

もともと、備わったエネルギーがポイントで、

低かったり、と、まあ、理由はさまざまだ。

ただ、そのまま放置するか、そこから脱出するかは、自分が決めることだ。

ココロが痛めば、カラダも痛む。

ココロが冷たければ、カラダも冷たい。

この世界はつながっている。

これも、つながりの事例のひとつ。

痛む自分を選ぶひともまた、そのひとの在りようだ。

つながりにおける、ひとつの点でしかない。

つながりを作れば、世界はまた、変わりはじめる。

運命を受け入れるとは、自分を諦めることでは決してない。

自分を大事にすること。自分を諦めないこと。

自分という存在を認識することだ。

このことに気づく。そして、智慧を学ぶ。必要な智慧を受け入れる。

 

道はまだ、遥かに遠い。楽しみもまた、在りそして、続く。

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再生 あらたに生まれ変わる。

2011年10月24日 | 天意の実践

味覚ほど、生まれ育った環境により、育まれるものはない。

食べてきたものが、そのひとの感覚を作っている。

同じように、人間関係もまた、その人間環境、社会の環境が

そのひとの反応を育てる。

豊かな食味を持つ人は、豊かな反応を示し、豊かな人間関係を

持つ。

これは、五感にも通じる。

豊かな人ほど、豊かな五感を持っている。育てている。

偏りのある感覚を持つ人ほど、志向もまた、偏りがある。

存在とは、そのようにできている。

この世界の在りようの凄さであり、時に凄まじい結果を

呼び寄せる。

偏重することで、傾いた物事を正しいものだという捉え方をし、

世界を歪んだものとして

正しく認識する。

それもまた、そのひとの在りよう。

そのことの学び、フィルターのレベル。

低ければ、低いなりの生き方を。

高ければ、高いなりの生き方を、めざす。

けれども、本質体という高位の魂をを宿す存在者は、やがて、

第二の目覚め、本質体の目覚めを迎える。

自分自身で在ることの本質は、高位のものとしての在るべき姿を

軽やかに認識できる。

そして、その存在もまた、軽やかなのだ。

高位は波動が高いために軽く暖かい。

低位は、波動が荒いために重く冷たい。

あるがままとは、それ自身の意義が、至極、当たり前なのだ。

人間が思う以上に、この世界は、宇宙の法則に沿って、

ひとの頭でも少し、ひの裳裾にふれられるようにできている。

わかろうと思えば、たやすく理解ができ、

わかりたくないものは、闇にまよう。

それもまた、宇宙の真理。

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あるがままの姿

2011年10月16日 | 天意の実践

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これは後光。

日没時の陽光から伸びる青い放射。

気象現象云々は抜きにして、美しさに気づきたい。

どのように真実を求めようとも、

自分自身のフィルターレベルにおいては、

まだまだ、この世界の真実の知識の深淵へは届かない。

だからこそ、あるがままを受け入れる。

今在るフィルターレベルを受け入れる。

深淵とは、それそのもの。

それ自体の存在。

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沈黙の実践 2

2011年10月08日 | 天意の実践

沈黙し、変化していく事象をみつめてください。

自分が望んでいるものである対象物をみつめるのです。

本当に望んでいることは何なのか。

それ以外と比べてはいけません。

本質を見失うことになります。

望む変化には本質があり、それ以外もまた、いみが存在します。

意味は忌みにもなることがあります。

いみを問い続けると、目的を見失います。

ほどほどのバランス感覚があるさまは、人間性の指針である

魂のさまによく似ていて、まん丸の様相になります。

正しいことをのみに通じて、善悪ばかりにこだわれば、

進むべき道は狭まるばかり。

目的に合った道へとお進みください。

自分自身で在ることができるのもまた、自分自身。

他人に選ばせたり、他人に左右されてはいけません。

意見に耳を傾けても、目的に沿うことを確信しなければ、

流されるばかりです。

完全な宇宙のリズムを体感すれば、自然の営みの

一部として存在することができます。

この道を選ぶことは、宇宙の真理を学ぶことです。

すべてがバランスよくつながっていることを体感することです。

すべてのひとがこの道を選ぶわけではありませんが、

いつか、光に完全に目覚めた時、この道の秘密もまた、

解き明かされることでしょう。

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沈黙の実践

2011年10月03日 | 天意の実践

このところ、言葉が浮かんでは、教えられたことに感じ入ると、

すーっと、いろいろな感情もまた、消えていき、

留まることがありません。

留まるとは、こだわること。いわゆる執着ですね。

けれども、今は留まってはいられません。

変化は、それ自体は執着と共存ができないからです。

変化を受けいれるとは、すべてを手放すこと。

じぶんの在りようにすらこだわれば、それだけで、

変化を止めてしまいかねません。

外の変化におきざりになれば、それだけでも、また、自分を傷めます。

しなやかに、軽やかに、流れていけば、物事はちゃんと、目的地へ

たどりつけます。

執着とは、変化を拒むこと。留まること。

その瞬間はまだ、変化の途中に過ぎません。

変化は、この世界のイノチの脈動そのものです。

イノチを感じながら、微笑む。

ことばは必要ありません。

よく整えられたイノチの流れを感じてください。

そこに、守られている確かなあなたが存在します。

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