師匠の不思議な日常

天の語らい地の学び 香る神々との対話 天界、龍神界の物忌み(巫女)師匠こと天卜占と弟子で審神者(さにわ)である臣の日々

本質体とフィルターレベル

2010年03月26日 | お客さまの感想や報告から

からだという器に宿る、本来の本質体はフィルターによって、

守られている。

それぞれの本質体によって、そのフィルターのレベルは違う。

守るものの本質が大きければ、周波数帯がとても繊細なので、

フィルターレベルの精度も高いものとなる。

それ故に、今の雑多なものが多すぎる街中へ行くと、

息苦しくなったり、変調をきたす人もいる。

あなたたちは、ありとあらゆるものを創造してきた。

その結果、あなたたちをおびやかす存在をも創造した。

それらは、あちこちへばらまかれ、自分の飢えを満たすために

ありとあらゆる仕掛けを施して、飢えを満たしている。

その結果、どこにも、存在し、ひとたちを刺激して、肥え太り

続けている。

思念魄の汚染は、今では、清浄であるべきところへも、その場を

穢し、ひとたちを穢し、自分たちのエネルギーにしている。

昨今、パワースポットと呼ばれるところへひとが集まっては、

テレビや雑誌で紹介されているが、これもまた、思念魄の罠。

低い周波数帯のフィルターレベルのひとたちを満足させることで、

想念を集め、思念魄は自分たちのエネルギーにしているのだ。

このブログを通じて知り合えたひとたちは、本来のレベルが

高い。だから、低い周波数帯の中にいると違和感を感じる。

また、低いパワースポットでは、知らず知らずに浄化してしまい、

体調を崩してしまったりしていたのだ。

以前も、お話をさせていただいていたにもかかわらず、

レベルの低いひとたちに誘われて、断り切れず、パワースポット

へ行って、しばらく変調して、改めて、整えをさせていただいた

ことがあった。

低い、とか高いとかは、ことばとして、わかりやすくするために

今は用いているが、では実際、どうやって、判断するかと

言えば、

ご自身が一番、よく、わかっている。

自分でも、行きたくないな、とか、このひとはなんか、いやだな

と感じるなら、そっと、その影響下から離れるのだ。

ちゃあんと、自分のことを守れるようできている。

それができないのは、自分自身を大切にしようと

決心していないからだ。

自分のことは自分で守る。

そう決めた瞬間から、あなたのフィルターレベルの精度は

上がり、あなたを包む光は、さらに、あなたの周囲をも

包み込み、守るのだ。

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本質体と思念魄

2010年03月25日 | お客さまの感想や報告から

お話をさせていただいてきて、少しずつでも自分であることにめざめ始めると、

変化はおこる。

周囲との関係がよくなり、こころを磨滅させることが減った。

仕事で業績があがった。

新たな出会いがあり、さらに喜びを運んできた。

など、見える変化。

体調がよくなった。

家族と笑うことが増えた。

今までの風景が輝いて見えるようになったなどの

体感による見えない変化。

がある一方で、稀に

どうしても、やる気がおきない。変わらない。

と、思われる方もある。

この場合はいろいろな思い込みからできた

『思念魄』が優位なのだ。

そして本人もその方が居心地がよいので、それを選んでいる。

もはや、『変化は必要ない』のだ。

選択しないことを選ぶ。それもまた選択なのだ。

これは、横方向の思考(人間世界、または三次元、四次元的思考)

では、場への影響が大きいのだが、(マイナスエネルギーの汚染)

縦方向の思考(神さま世界、または高次元的思考)としては、

それを必要としていることもある。

本人の本質体が望んで、思念魄を集めているなら、

その使命によりお勤めをおこなっていることとなる。

もし、これを読んで『否』を唱えるなら、ただちにその場から、

離れることだ。

あなたを汚染源としているものとは縁を切り、自分のため

周囲のために光の方へ歩き始めるのだ。

あなたの本質体には本質体としての役目があるのだ。

そのことにきづいたなら本質体はめざめはじめている。

あなたの本質体には、本質体としての『意義』がある。

ところで本質体にめざめた方からこんな話を聞いた。

体に違和感を感じた時、

「あぁ、これは師匠の言っていた、思念魄だ。」

と思い『ある言葉』を投げかけたら、一瞬で違和感がなくなったそうだ。

思念魄は消滅したのだ。

この言葉もまた『呪』だと言っていいだろう。

ひとはさまざまな思い込みをして、それを『ことば』にする。

『ことば』として、表わされたものは存在となり、実体化して

動き始める。

その実体化した言葉が『呪』となり、ひとは金縛りをおこして、

自分をがんじがらめに縛る。

だが今回のように思念魄の『呪』もまた、『呪』によって

解かれる。

この方のめざめた本質体のレベルからいけば、

このようなことは造作もないこととなった。

あるべきところで在るのは(存在するのは)、

奇跡からの贈り物を受け取り続けるということだ。

だから、本質体としてめざめ歩くことについてのお話を

させていただいている。

少しでも多くの本質体が整えられ、めざめることへの

一助となれば、と願ってやまない。

      

追記

加筆・修正しました。

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本質体のめざめ

2010年03月22日 | 天意の実践

本質体といったが、

これはフィルターレベルにもよるのだが、

この世界へ来て本質体としてめざめることが

人生そのものであり、生きる目的であり、

自分自身。そのものなのだ。

今の時間、次元の中で苦しい思いをしているものもいるだろう。

だが、それはめざめるまでのこと。

本質体を正しく整え、めざめれば

自然と、周囲の別な周波数帯との摩擦は減るようにできてる。

     

メールの返事を書いていたときに、師匠へ降ってきたメッセージを

少し、詳しくおききしてみた。

するとメッセージをいただいた。それが上記のものだ。

また、別な方へのメールでは、

各自のお役目がどんなことであれ、本質体の出番です。

とも。

これはこのブログや紹介を通じて知り合えた

お役のあるみなさんへのメッセージです。

神さまと通じ、神さまからの呼びかけにめざめる方たちへお伝えする。

それと、もうひとつお伝えを。

あるフィルターレベルでいるひとたちにとって、うつわであるからだの負担も増えている。

もし、黒系統の服をよく着るようであれば、できれば、

別な色を使うことをおすすめする。

前の記事で少しふれたが、色には意味があり、

今のように、マイナスエネルギーなどの思念魄が増えている場

では、『黒』はそれらを吸収する働きをするのだ。

もともと、日本は黒の喪服ではなかったのだ。

明治になって、西欧と合わせるために白から黒になった。

日本人は、ハレの日に黒の紋付を

ケの日(忌み日)には、白を使っていたのだ。

色もまた周波数なのだから日常使う色を考えてみるのも大事なことだ。

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あなたには、あなたに必要なことがおこる

2010年03月21日 | お客さまの感想や報告から

ひとつ前の記事で、昔、仕事の関係で、師匠が仏教や仏像のこと

を調べていた話を掲載したが、

『実践者』として、在るべく、師匠はもともと必要で研究していたこと、

学んできたことは、今において、さらに大きな智慧となっている。

神さま、仏さまの智慧。分析、推測される過去の事象からの知識。

そして、神さまからの啓示の数々。

それらの智慧は、実践することでさらに開花していることを、

お客さんから、私たちは教えられるのだ。

その中のひとつ。

以前、これも、お客さんからの紹介で、お話をいただいて神札を

作成して、神託とともにお渡しをしていた方から、最近、こんな報告が

あった。

神札を使用し始めて、体の調子がよくなったのはもちろんだが、

(体の不調に関することで、お話をいただいて、いつものように

師匠が霊視して、神託をお渡ししていた。)

家の植物の生育がよくなったそうだ。

神札からのエネルギー調整が進み共鳴共振して、植物も連鎖して、

よくなったのか、あるいは、

家主が元気になったので、植物も元気になったのかもしれない。

師匠「理由は推察してもしょうがない、元気になったのなら、それが

   一番、よかったことだよ。それを素直に喜ぼうやん。」

何を望み、なにを求めたのか。それに対しての贈り物は

ちゃんと、受け取ってくれたね。

自分から発せられるエネルギーが純化され、透き通った美しいもので

いられるよう、自分で、それを受け取るパイプもまた、詰まることの

ないようにきれいにして、贈り物を受け取ろう。

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笑って、笑ってお過ごしください

2010年03月20日 | 天意の実践

メールを頂いた返信の最期に、師匠が添えることば

「笑って、笑ってお過ごしください。」

笑いは最近の研究でも免疫力を上げるなどの効果がみられるそうだ。

現象や結果を悲観してとるのも、楽観してとるのも自由なら、

それはそのままにしておいて、深く考えず、笑っていた方がいい

のではないか。

だから、師匠がお話をさせていただいている時は、笑いが絶えない。

師匠「それに、笑いは悪をも打ち倒す力があるとされている。」

私 「悪、ですか。」

師匠「仏教の教えを体現した仏像の中でも、十一面観音さまの頭から

   溢れる御心を表した御尊顔は、いろいろだけれど、背面には、

   『大悪笑面』ていうものがあって、大いなる悪に対しては、笑いで

   打ち倒すというのさ。

   昔、友達の住んでたアパートが、ちょうど市内の霊が通る道の

   ライン上に玄関があって、霊感の強いひとだったから、けっこう、

   いろいろあっていてね。そのひとの実家は、釜占の占い師のひと

   に来てもらってたらしくて、ある時、観てもらったときに、

   このひとは、ひとのために尽くすひとだと言われたそうだけど、

   慈悲の塊みたいな部分があって、周囲の影響を受けやすい

   タイプだったんだ。その頃の私は、真っ黒の服をよく着ていて、

   (注)この場合、黒の服は、いろいろなものを吸収する意味が。)

   タロット占いをしていて霊感が強くて、彼の家へ遊びに行くと、

   力のコントロールがきかなくって、よく暴走させていたんだ。

   彼がお守りにしていたラビスラズリの青い石が、私から放たれた

   一瞬の光によって、真っ黒な石になってしまった時はさすがに

   驚かれた。それ以来、

   君は力を集めやすいから、気をつけてね、

   とよく言われていたけれど、当時の私は、まだ自分のことが

   理解ができてなかったんだ。

   そしたら、お盆近くのある晩、力が暴走した途端、二人とも、

   飛ばされて、彼は昏倒。

   そしたら所謂、魑魅魍魎みたいなものの群れが、いきなり現れ

   部屋の中を追い立てられて通り過ぎて行ったと思ったら、

   それらを追い立てる存在が、その後ろからやってきたの。

   牛か馬だか、騎乗でのお姿で、馬頭観音か明王。

   まあ、そんな存在だったと思うけれど、大日如来の化身である

   不動明王の憤怒の形相は、降魔退散のためなのだよ。

   騎乗のお姿だったから、真木大堂の大威徳明王にも近いか。

   大威徳明王は、文殊菩薩の化身。西方の守護者。

   私が昔、気に入って使っていた『キリーク』ということばは、これの

   種字(真言・マントラ)からきている。

   神さまのお使いである水牛に乗り、六面六臂六脚。

   でもね、その方の御顔は、満面の笑みを浮かべておられたよ。

   そうして、その方も、あっという間に通り過ぎて行ったけれどね。

   仏教や仏像の研究をしていたときに、

   慈悲の観音様の恐れるほどの一面は、

   悪を打ち倒し、砕くほどの笑顔だとは、知っていたけれど、

   まさに、それを観たんだ。

   今、思うとね、彼自身にも、それが宿っていたのかもな。

   この世の中、いろいろなものが存在しているけれど、

   本当に強いものは

   優しく、そして、笑えるってことだと思うよ。」

       

追記

加筆、修正しました。

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