師匠の不思議な日常

天の語らい地の学び 香る神々との対話 天界、龍神界の物忌み(巫女)師匠こと天卜占と弟子で審神者(さにわ)である臣の日々

認識 体感 一体化 目には見えない世界と共に

2012年01月30日 | お客さまの感想や報告から

お話しをさせていただく中で、

かつてはいつも何かに押されるように判断を決定し、

生きてきたことを思いだす人がいる。

それは、たいてい何か事を成し、歩んできてきたひとたちだ。

守られ、導かれて、共に歩んできた。

それゆえに、大きなものを得たり失ってきたりした。

だが、勘違いをしてはいけない。

失うことを怖れてはいけない。

自然の流れに沿っていきていけば、おのずと新たな道が開けるものなのだ。

それを新たに受け入れ、進む。

壊されることを怖れない。

あたりまえの認識をまた、受け入れる。

自然の流れを認め、自然の流れを感じ、それと共にあること。

スピリチュアルライフの定義は、ひとそれぞれだろう。

だが、ここではわかりやすい不変の定義として、

ウェイン・ダイアー博士が提唱した

認識 体感 一体化

に、賛同してきた。

すべてがつながっている。

フィルターレベルの差こそあれ、誰かとつながりあうことで、

自分もまた自分を認め、受け入れることができるのだ。

 

あなたの日々が光に満ちたものでありますように

傍らにいつもいてくださる神さま方と共に

感謝  天ト占と臣

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あなたの花を咲かせるために

2012年01月14日 | 天意の実践

どんなに大変なことが起きても、

それを大変だと思うココロに、大変なことが存在している。

大変だと思うココロ。

それは、一度も経験したことが無いことであったり、

自分としては、やりたくないことであったりする。

けれども、起きたことを見据え、経験したことがないようなことでも、

決して、自分が背負えないような事象は起こらないから、

大丈夫だと言うことを知っていてほしい。

起きている事象は自分の手に負えないようなことは、

何一つなく、すべては自分と神とで解決する。

そう、思えなくても、解決する。

解決すると、思えば。

解決できないとがんばるので、解決しないように観えているのだ。

解決できないと、がんばるのではなく、解決すると、勇気を持って

宣言することだ。

それは、自分の力だけでは、解決できないことでも、

自分は、一人ではないのだから。

誰かが、きっと、助けてくれる。

どんなに、パニックに陥ったひとでも、助けられている。

今、暗闇にいると感じているなら、まずは、光の中にいると感じる。

では、どうやって?

ではなく、

解決できるとまず思い、自分は運がいいと、思うことだ。

ピンチの中にはチャンスの種や、肥料がどっさりある。

ピンチは、乗り越えれば必ず、かけがえのない宝を、

あたえてくれる。

決心して、前進する。

それだけでも、状況は変わる。

それを決めるのは、誰でもない、あなた自身なのだ。

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不安な自分 不安を選ぶ自分

2012年01月12日 | 天意の実践

こころの在り方は、そのひとが決めることなのだが、

もともと、人間はうまくいくようにできているのだ。

けれども、それを無理やり、うまくいかないように思考するのも

人間だ。

時々、パニック状態におちいって、電話がかかってくる。

そして、まだ起きてもいないことに、起きているかのように

焦点をあてて、物事を見ている。

このような時は、何を言っても、聞かないことが多い。

それでいて、どうしたらいいのかと、聞いてくるので、

まず、落ち着いてください。と伝える。

落ち着かない状態では、何を言っても無駄。

本人が、なによりも、不安を選んでいるからだ。

不安な心を選んでいる。

テレビを観ていたら、

311の震災以降、このような不安にかられる人が増えているという。

カラダという器はとてもよくできていて、このような時、

脳のなかでは、客観視する働きの部分の

血流が落ち、血管が細くなり、さらに、情報の処理が

できにくい状態となっているのだ。

カラダとココロは訓練すれば鍛えられ、丈夫になる。

このように時のココロのトレーニングで、この血管も太く

鍛えられる。

観ていた番組では、瞑想を取り上げていた。

一日15分~20分の瞑想。

瞑想が大変と思える人へは、簡単なトレーニングで、

実践していた。

一週間で、こころが軽くなったと体験した人が言っていた。

人は、『過去のできごと』に、漠然とした『未来』に、

不安を観る。

けれども、『今』でしかひとは生きていない。

ところで、不思議なもので、あわてて電話をかけてくるひとも、

こころのどこかで、かければ安心できると思ってかけてくる

ひとは、たいてい、電話がつながらない。

一度つながらなかったことで、ココロが一息をつく。

そして、つながった時には、落ち着きを取り戻している。

不安を選ぶ人ほど、不安へ陥るような考え方へ、続くことを

選んでいる。望んでいる。

もし、まわりのひとでそのような状態のひとがいたら、

沈黙することです。

沈黙し、相手に同調せず、自分の沈黙を守るのです。

沈黙していれば、相手の動揺した波動の影響を受けずに

いられます。

相手も、落ち着きます。

愛の光などと考えられないなら、せめて、沈黙しましょう。

いつか、ご自身の愛の光が放たれていることが感じられる

その日まで。

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柞原の蝋梅

2012年01月08日 | 神社紀行

柞原八幡さまへお参りに。

杉さんにもご挨拶をしてきました。

連休中なので、まだまた、初詣の方々が多いです。

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なるべくなら、おみくじは所定の場所に結んでいただきたいのですが・・・。

写真を撮っているそばから割り込んできて、わざわざ結んでいかれました。

ちゃんと、結ぶ場所が準備されているのにね。

と、いうか、

木に結ばれたものは、なかなかお焚き上げをしてただけない。。。(^_^;)

なにもおっしゃらなかった、植物さんの大きな心に感謝。。。

良い香りがしていました。

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内面探索の向こう側

2012年01月02日 | 天意の実践

気がつけば、よく話をする機会の多い友人、知人との

つきあいは四半世紀を越えた付き合いとなり、

ありがたいことに、どなたも、環境がそれぞれに変化しても、

年賀状を送りあい、電話やメールで近況を報告しあい、

近くへ来る時には、連絡を取り合ったりさせていただいている。

その中のひとりが、

「ぶんちゃん(通称名)の一番の力はヒーリングだよ。」

と、笑って言ってくれた。

成人するまでは、芝居に主にのめりこみ、人の内面から外面へと

出力されるさまを表現し、学んできたと、今なら思える。

そして、芝居を辞めてからは、さらに、内面への探索が進んできた。

思いのその先。

言葉の行く手。

内面の宇宙は果てしなく広がり、どこまでも、限りがない。

自分が何者なのかは、おぼろげに感じ入っていた。

自分も、神を宿し、自然も神を宿し、

世界は、神を内包して成立している。

自分という小さな神は、宇宙という大きな神とともに在る。

小さな神を認識してこそ、大きな神との交信ができる。

そのツール自体が、自分という存在そのものなのだと、

今なら認め、受け入れられる。

何度も、繰り返す『らせん』の行為は、未だ、その途上だけれども、

何度も見え隠れする風景は、少しずつ変化を見せる。

受け入れると宣言することで、万華鏡のように、

世界は虹色の輝きを見せる。

この光の洪水を感じてください。

あなたもまた、選んだひとりなのですから。

内向きだったことで、筋肉の付き方もまた、

内向きで在ったことに、外向きになりつつある『今』から、

教えられた。

気づきは、自己へ語りかける、魂との対話により、

開かれる。

つながりは誰かへ神さまからのギフトを届けるため。

そして、また、今年も、届ける一員としての生を生きる。

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