師匠の不思議な日常

天の語らい地の学び 香る神々との対話 天界、龍神界の物忌み(巫女)師匠こと天卜占と弟子で審神者(さにわ)である臣の日々

雑多な心を整える

2013年04月26日 | キーワード

あいかわらず、とっ散らかった素っ頓狂が全開な天卜占です。(笑)

予定が立て込めば立て込むほど、なんだかあれこれと多方面に

思考が飛んでいます。(笑)

立て込むほどに、集中のためにぽけら~が進み過ぎて、降ってくる

ことや、それ以外のいろいろなことをキャッチしてしまいます。(笑)

それで、つい誰かにお電話したりして思考を整えるお付き合いを

願ったりしています。(先日は本当にありがとうね。)

通常は、臣さんと雑談しながら思考を整えています。

その中で、いつも上司(笑)から言われている、善悪の選別、区別を

しない思考について、とても感じ入っていました。

そんな中で今朝降ってきた八幡大神さまからのメッセージは、

雑多な心を整える

たとえ、目的がその時達成しなくても、そのすべてをひっくるめて、

楽しむ、と。

そして、目的があるからは達成するものなのだから心配することは

なにもない。

それをあれこれと、考えるから思考は雑然として、こころには雑多の

ものばかりがあふれる。

不安とは、雑多な思考がオーバーフローしているのですね。

今は最善を選択するために、思考がフル稼働させるのをしばし

止めて、休憩です。

教えに添い、こころを整えることに専念するとしましょう。

いつも読んでくださり、ありがとうございます。

コメント (4)
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神のみわざ

2010年09月12日 | キーワード

すべてを持つものが、唯一、持たざるは

すべてをもたざる己

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ことばにひそむ想念のトラップ

2010年07月31日 | キーワード

師匠が情報断食にはいって、数週間がたつ。

最近特に、些細なことでも容赦なく、異変や違和感があることに

気がつく。

ドラマの内容であれ、情報番組であれ、言っていることに対して、

不快感を感じるようになった。

師匠「たぶんね、

   私の言っていることは正しいんだから、

   相手に気を使うように

   要求しているものが多いからだと思うよ。

   もっと、私に気をつかえっ、てね。」

言われてみれば、

本人的には、気を使って言っているようなことばなのに

結果は、大きく違うものをもたらしていて、本人も満足を得ている。

その結果が正解ならば、機能的には、そうだ。

確かに要求をしている。

そうしてくださいと、お願いをしているわけではないけれども、

結果は、それを要求している。

謙遜したり、遠慮した言い回しなのに、

とても、今は歪曲をしていて

なんとなく、聞いていて、気分が悪くなる時がある。

師匠「ことばも、歪んだものは、とても、気持ちが悪い。

   歪んだことばをしゃべっている画は、もっと、気持ちが悪い。」

それが、作られたドラマであれ、情報番組であれ、同じ。

ことば自体に想念がある。想念が宿っている。

そう何度もつかわれることで、ことばの命は大きく変わる。

その意味自体が変化を起こす。

そうして、ことばは変わる。ことばはイノチをおびて、

それを使うひとも変わる。使うことで、ひとを変える。

だからこそ、沈黙する。カンガエナイ。とらわれない。

そして、同意もしない。

それすらも、在る。

だから、それにこだわらない。

いつでも、想念は身近にあるのだから。

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エゴの終焉

2009年08月02日 | キーワード

師匠の瞑想中に降ってきたことば。

『エゴの終焉』

ところで、エゴとは一体、なんだろう。

簡単にことばにしているが、これもまた、無意識の産物だ。

イノチをあたえ、一人歩きしてきたエゴだが、ここに来て、

それ自体が崩壊し始めている。

すべてに一定の期間の活動がゆるされているように、

地球上に存在するすべては、一定期間のみの活動に

限定される。

この無意識の産物であるエゴもまた、その寿命を

終えるのだ。

無意識がネガティブラインをつなぎ、ネガティブマインドを

いかに増殖させようとも、いつかは、終わるものなのだ。

今の文明は、

便利は在るが、その便利さの追求は、出発点の根本が

ぬけている。

ものの在り様が、その目的を忘れてしまい、別なものへと

変容してしまったのだ。

これは、大昔から語られてきたことへ繋がっている。

文明の時代は、いつか、肥大化しすぎてその寿命を終える。

常に、どこかでエゴは、

自分を強力にする力を求め続けていたのだ。

歴史家が語る、今は途絶えてしまった文明のすべては、

過去に繁栄し、やがて終わる。

ここで大事なことは、終わりは始まりだということだ。

終わらせれば、次が産声を上げるのだ。

新しい何かか始まるのだ。

古いものに執着するということは、その古いエゴとともに

滅びることを選んだということなのだ。

新しいものをこわがるものも多いだろう。

けれども、いつでも、新しいものは生まれている。

自分という存在も、常に生まれ続けている。

常識という概念に縛られることなく、新たな世界を

受け入れる準備をするのだ。

もう、それは目前にまで、せまっているのだから。

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信ー今年最初の瞑想より

2009年01月02日 | キーワード

あけましておめでとうございます。

新年、そーそーの師匠からのメールは

『信』

私 「なんすか、これ。」

師匠「夕べの夜中(元旦の早朝)、2時半ごろ瞑想してたら、

   降ってきたんだ。

   『信』

   このあとに続くことばが、そのひとへのメッセージになっている。」

私 「『信』のあとに?『信(頼)』みたいな?」

師匠「そーそー。

   でね、詳しく感じたのは、自分自身への信用みたいな話になった

   んだ。今年はそれがキーワードみたいになってるようだ。」

私 「『信』ねえ。」

ちょっと、感じてみませんか、自分自身のこと。大事に思っていれば、

信用に足りる、最高のパートナーだと思うのですが、どうですか。

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