師匠の不思議な日常

天の語らい地の学び 香る神々との対話 天界、龍神界の物忌み(巫女)師匠こと天卜占と弟子で審神者(さにわ)である臣の日々

自立

2006年09月30日 | 天意の実践

神柱を設置して、神さまとのオンラインができてから、

神さまと通信を始められると、自然と、自分の問いに

神さまからの答えが感じられるようになってきます。

自らが望めば、それは簡単にできるようになります。

そうした生活を続けていくと、自分が望まない結果を

考えることがなくなってきます。

自分が望むことのみに集中するので、さらに良い

巡り合わせを引き寄せます。

神さまは、この世に在るものすべてを創造くださいましたが、

わたしたちから見たこの世界は、わたしたちが、創造して

います。

わたしたち自身が自分の世界を創造し、デザインし、

現実化してくださるのは、神さまのお力です。

わたしたちが主体的にものを作っていることを

自覚して初めて、わたしたちは自由でいられるのです。

祖との神と内の神とが一体であるから、わたしたちは

さらに自分を律し、神さまから自立し、自分の世界を定義して、

新たな世界が創造され続けています。

わたしたちは神に依存することなく、

神さまもまた、わたしたちを束縛することは一切なく、

わたしたちはわたしたちの自由を手にして輝くことを、

神さまは喜んで祝福をしてくれます。

神さまと会話し、自分が幸せでいる世界を創造し続け

ましょう。あなたの幸せの創造のために。

感謝 天卜占

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変わりゆくことは自然である

2006年09月29日 | 神さま通信

こうして、書いていることも、言葉の『呪』につかまりそうなのですが、

前日の『自由』も、感覚的なことを言葉にする作業になかなか

苦労しました。

と、言っても、感じていたテーマを言葉にはしていただいてます

から、私はこれを打つだけといえば、そうなのですがね。

『悟りを開く』『自由でいる』『幸せでいる』

表現はさまざまですが、どれも、

究極は『神である自分でいる。』ことなのですね。

先日、別々の依頼でお会いしたお客さま二人と、同じ日に

それぞれ、別々にお会いして、お話をさせていただいたときに、

お客様の二人ともが感じていたのは、自分の周囲の人たちに

対しての感じ方が、自分も含めて変わってきたことでした。

自分の向かう先、「自分がなりたい自分」への方向が明確に

なると、『整え』が始まります。

自分に必要な人や物、情報が次々と入ってくるようになります。

すると、今まで周りにいた人や、好きな物や情報は役目を終えて

離れ始めます。

大切なことは、過去に執着をしないことです。

今まで、おつきあいをしていた人と、離れることに抵抗を感じる

かもしれませんが、それは、その人をみているのではなく、

あなたがあなたの過去をみているからなのです。

あなたが変わることで、その人との関わりも自然と変わります。

「類は友を呼ぶ。」

あなたの幸せが、必要な人を呼び寄せてくれます。

恐れることなく、新しい自分。あたらしい人たちを

受け入れましょう。

新しい、わくわくと心躍る世界がひろがっています。

新しい自分は、より自由な自分でいられるのです。

タイトルの

『変わりゆくことは自然である。』

は、この文章を綴っていて、降ってきました。

二人のお客さまは、驚きと喜びを持って、この現象を

受け入れられました。

『こころが定まっておれば、恐れることはなにもない。』

あたふたしていた時に、降ってきた言葉です。

なりたい自分が決まっていて、その自分でいる。

なんて、贅沢で幸せなことでしょう。

変化(へんげ)を楽しんで、日々を送りましょう。

 

あなたの日々が 光に満ちたものでありますように

感謝 天卜占

 

 

 

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自由

2006年09月28日 | 神さま通信

おだやかでいることは、こころが何者にもとらわれていない

ということだ。

外の世界のありとあらゆることから制限を受けることはない。

内の世界が自由であればあるほど、

外の世界での自由を手にすることができる。

あなたの内にある、あなたの神が、のびのびとその光の

手を伸ばし、外に在る神の光の手とつながれて、

よりいっそう、あなたは、あなたに、あなたの自由を

あたえることができる。

おだやかなこころは、より自由だ。

束縛から解き放たれた魂だ。

誰かから、命令されるでなく、しなければならないことは

何一つなく、ただ、ただ、内なる神と、祖となる神とに、つながれた

光の柱となって、どこまでも、つながっていく、

多くのおだやかなこころとつながり、ひとつの光の柱となって。

この夜の闇の中で、息づく、多くの光の柱たち、息をひそめて、

夜明けを待つ魂たちよ

あなたたちはもう、自由を手に入れている

自由の夜明けを待つことなく

あなたたちは あなたたちの魂の自由を手に入れている

つながれた魂を感じる多くのものたちよ

わたしの声を感じるものたちよ

わたしは言う 

わたしは あなたたちを すでに解放している

はるか むかし もっともっと 多くのわたしの声に

耳をかたむけた者たちがいた むかしから

あなたたちは 自由なのだ

その魂は 自由だ その手は自由だ

あなたたちの魂は わたしを動かす

多くのわたしたちを動かしている

わたしたちは昔も今もひとつにつながり

それでいて、あなたたちは 自由でいられる

どこまでも そのつながった手は伸びていく

つながっていながらも より自由を表現している

追記

おだやかなこころでいると、活動的でなくなるのですか?

と、お客さまから聞かれていました。

それは、違います。

おだやかなこころでいれば、いるほど、活動的になります。

不安や心配がないのですから、より自由で活動的に

なります。

前進することとは、より自由を手にすることなのですね。

神さま、ありがとうございました。

あなたの 日々が光に満ちたものでありますように

天卜占

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いつも、そばにいる

2006年09月27日 | 天意の実践

『目にはみえないもの』には、神さまも含まれましたね。

神さまのお姿は、人形(「じんけい」、と読みます。)や、

光などで、それは視覚で見えたり、頭の中で感じたりします。

『在る』とは、こういことなのかと感じるひとときでもあります。

あと、目には見えませんが、芳しい香りが、時には、物凄い

塊で、ただよい始めます。

最近は、私たちと一緒にいるからだけでなく、神柱を設置した

お客さまだけの時もあるようです。

私も同じなのですが、迷ったり、凹んだりはします。

けれど、神さまがいらっしゃることは、感じているので、

一瞬、迷ったり、凹んでも、安心している自分に戻れます。

すると、檜の強い香りが私の周りに漂ってきます。

『いつも、そばにいる。』ことを感じています。

少しずつですが、意識し始めると、前に比べ、安心から

留守をしている自分の時間というものが短くなっています。

神さまからのお話を伝えるだけでなく、神さまを感じる

ことをお伝えできるようになっている自分がいます。

そして、一緒に神さまを感じているみなさまも、

私は感じています。

目には見えなくても、わたしたちは繋がっています。

私が言い、あなたも言います。

幸せだから、幸せでいられる

そう、感じています。

きょうも、私のまわりで檜の香りが、私を取り巻いてくれました。

いつの日にか、あなたにもこの香りが届きます。

少しずつですが、目には見えなくても、あなたを包んで、

守ってくれているものがあることを感じていただければ

幸いです。

あなたの日々が 光に満ちたものでありますように

天卜占

加筆、修正しました。

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最初はつぶやいてます。

2006年09月26日 | 天意の実践

『神さま通信』の発端は、たいていが、私のつぶやき

から、始まっています。

お風呂で、潔斎をしていたり、夜の瞑想中とかに、

神さまが、いろいろなことを教えてくださいます。

私の一方的な考えを、それは違う、とかは、

一切なく、淡々と、優しい口調で、私の狭量な

こころをほぐしてくださいます。

人が自分と違うからと、一方的に攻めるのは

まちがっているのだ、ということを、さとすでなく、

言葉ではない、感性から教えてくださいます。

やさしいこころでいるためには、ある種の

強さが必要です。また、強いから、人に対して

やさしく接することができます。

人にやさしくできない人は、強く見えるようにあっても、

本当はこころがあまりに弱すぎるのです。

神さまは、そのことが、とてもわかっていらっしゃるから、

こころがこわれるような言葉は、どなたに対しても、

決して使われることはありません。

それもまた、とても深いやさしさなのです。

私や臣さんが、お客さまとお話をさせていただいている

最中でも、神さまは私たちに話しかけてくださいます。

それは、私たちが気がつかなかった、お客さまの思いに

対してのことばなのです。

ふと、そんなこんなを思いまして、裏話的にコメントに

こっそり、書こうと思っていましたら、コメントにも、

神さまが参加されたりして、先を越され(?)た

わけです。 (和来・わらい)

これからも、こっそり、私や神さまのコメントも

書いていこうと思います。

あなたの日々が 笑いに満ちたものでありますように

天卜占

追記 「笑い」は、「和来ーわらい。和みより 来たれり」

って、神さまわらってらっしゃる。

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