オータムリーフの部屋

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ご飯論法、そして、謝ったら死ぬ病

2018-05-31 | 社会
「ご飯論法」。法政大の上西充子教授がツイッターに投稿して話題になり、国会審議でも引用された。
 
Q「朝ごはんは食べなかったんですか?」
A「ご飯は食べませんでした(パンは食べましたが、それは黙っておきます)」
Q「何も食べなかったんですね?」
A「何も、と聞かれましても、どこまでを食事の範囲に入れるかは、必ずしも明確ではありませんので…」
Q「では、何か食べたんですか?」
A「お尋ねの趣旨が必ずしもわかりませんが、一般論で申し上げますと、朝食を摂(と)る、というのは健康のために大切であります」
Q「いや、一般論を伺っているんじゃないんです。あなたが昨日、朝ごはんを食べたかどうかが、問題なんですよ」
Q「じゃあ、聞き方を変えましょう。ご飯、白米ですね、それは食べましたか」
A「そのように一つ一つのお尋ねにこたえていくことになりますと、私の食生活をすべて開示しなければならないことになりますので、それはさすがに、そこまでお答えすることは、大臣としての業務に支障をきたしますので」
 
こんなごまかしやすり替えが国会で繰り返される。疑惑は解明されず、時間だけが空費していく。国民は森友、加計問題を巡る政府答弁にうんざりしている。
 
そして、政界やスポーツ界にまん延している病気、「謝ったら死ぬ病」。自らの非を認めたら、その瞬間に死が訪れる「病」だという。その症状は、すぐ謝れば解決するかもしれないのに、過ちをかたくなに認めず、問題点を追及されると、ご飯論法で、はぐらかしたり、ごまかしたりする。
 
政界、スポ-ツ界に蔓延している症候群を揶揄してSNSで使われている言葉だ。
 
 安倍首相は昨年2月、森友学園問題で小学校認可や国有地払い下げに関して「私や妻が関係していたということになれば首相も国会議員も辞める」と断言した。昨年7月には、加計学園の獣医学部新設計画を知った時期を「2017年1月20日」だったと強弁する。その発言につじつまを合わせようとして、公文書改ざんの発覚で佐川宣寿国税庁長官が辞任。面会の事実を記憶にないと認めない柳瀬唯夫元首相秘書官らのご飯論法による国会答弁。
麻生財務相も謝罪がお嫌いのようだ。「森友学園」をめぐる財務省の文書改ざんについて「書き換えられた内容を見る限り、白を黒にしたとかいうような、いわゆる改ざんとか、悪質なものではないのではないか」と語った。「セクハラ罪という罪はない。」ともいう。
 
今、一番問題をこじらせちゃっているのは日大アメフト部の監督が(悪質なタックルについて)責任を回避する発言をしたことだ。すぐ謝罪していたら、こんな大ごとにはなっていなかったろうに。
 
 
 なぜ、謝れないのか? 「謝罪マスター」と呼ばれる竹中功さんは「謝罪するには、悪いことをしたと自ら認めた上で、誰が困っている、誰が苦しんでいるかを理解しないといけません。つまり『自分が悪い』と受け入れない限り、謝れない。安倍首相は『俺は何も悪いことしてない』と思っているのではないですか? 妻の昭恵さんにしても森友学園に関して悪いことはしていないと信じ切っているのでは。」
 
 精神科医の名越(なこし)康文さんは「謝罪の邪魔をするものは自己愛でしょうね。誰だって自分がやってきたことは人一倍評価したい。たとえ悪いことをしたり失敗をしたりしても『これだけ自分は頑張ってきたのに』という内向きの論理を過大評価してしまう。自分でミスを犯して反省したとしても、他人から誤りをとがめられたり、批判されたりしたら自己愛が傷付く。その傷はものすごく痛む。咎める人間に恨みを抱く。そんな調子だから、周りは謝るように助言することもできない」
 
 ミスや過ちを犯さない完璧な人はいないし、謝っても死ぬことはない。危機管理の面からも、早急に謝って、真実を述べ、問題をそれ以上大きくしないようにした方が得するのだが、権力の中枢にいる人間にはその辺のことが全く理解できないらしい。
 
 
 
北朝鮮問題、米朝首脳会談、国会でモリカケ問題で争っている場合ではない。そんな嘆きが聞こえててくる。議論すべきテーマは山積しているというのだが、そうは思わない。
森友学園問題では、国有地払い下げの「値引き」に、首相の妻昭恵氏の影響力が取りざたされ、加計学園問題では、首相の親友の獣医学部新設が、首相肝煎りの特区制度で実現しているのだ。いずれも「政治の私物化」である。さらに、官僚はこぞって、安倍首相を守ろうと、森友問題では財務省の前理財局長が『記録はない』とウソをついて記録を廃棄し、改ざんした。加計問題も、首相秘書官の説明は真実から遠く、首相の説明を覆すような文書まで出てきた。
 『政治家や役人は国民にウソをついてはならない』という民主国家の大原則を政治家や役人が踏みにじっているのに、それらをほっぽって他の重要案件を議論しようと言う主張なのだ。
 
 麻生太郎財務相「森友のほうがTPP(環太平洋パートナーシップ協定)より重大だと考えているのが日本の新聞のレベル」(3月29日、参院財政金融委員会)。
 「加計学園問題が中心の集中審議。とことん憲法改正阻止に躍起とお見受け」(5月10日、長尾敬衆院議員のツイッター投稿)。
 
 もっと大切な議論を、現政権に任せられるのか。自分を守るばかりで、事の真相を見ようとしない現政権に安全保障や外交のまともな議論が期待できるのか。トランプの言いなり政権、金だけ要求されてトランプにおもねる政権には一刻も早く退場願いたい。
 憲法改正にしても、安倍晋三首相の強引さが見える。9条2項をそのままにして、自衛隊を明記するという。憲法上の論理の矛盾などどうでもいいのだ。
 金だけでなく、命も差し出せという米国の要望に何としても応えたい安倍首相の焦りが見える。米国の要求通り、自衛隊の海外派遣に道を開きたいのである。
 
 ご飯論法に終始し、謝ったら死ぬ病に罹患している首相に国民の生命を預け、国民の主権を負託してはならない。
 政治家や官僚が国民を意思決定権者と見なしているとは考えられない。国民の判断材料となる記録の改ざんや隠蔽、廃棄が平然と行われ、モリカケ問題にみるように、政治の私物化も当然の権利と考えているご様子である。日本国民は救われない。700億円もかかるという国政選挙の投票率はわずか50%強である。北欧の国(デンマーク・スウェーデン・ノルウェー・フィンランド)の投票率は常に75%を超えているという。市民の参政権・政府選択権の可否、報道の自由、表現の自由、結社・組合の自由の観点から、民主化度を評価した調査で日本のランキングは46位である。

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