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JBC、新垣諭を世界王者認定の方向へ、高山勝成には再申請待ち

2013年03月23日 | ボクシング
IBF参加がニュースとなったJBCだが 
それに伴い、1984年にIBF世界バンタム級初代王者になった新垣諭氏の扱いについては、
JBCの秋山弘志専務理事は「正式な話ではないが、すでに関係者から要請があり(世界王者と)認める方向」とコメント。
本人から申請があり次第、資格審査委員会で協議するとの事。

ながらく「知られざる世界王者」と言われた新垣氏、申請するかは御本人次第だが
沖縄のボクシング興行パンフの「世界王者一覧」には、既に名前と写真が載ってたりしたので
(沖縄の同胞意識は素晴らしいですねぇ・・・)
「幻の王者」が正式認定されるのには感慨深い思いがする。



まぁ、決定戦で「初代王者」となった新垣氏も、相手のマグラノはバンタム以下の選手だったし、
新垣自身もそれ以前にIBF世界ライトフライ級王座決定戦でドディ・ボーイ・ペニャロサ(比)にKO負けして病院に運ばれる惨敗を喫した「水増し選手同士」のバンタム試合だった感は拭えない。

初防衛には成功したが、これも物足りない相手だった印象。
次の試合で陥落したから、「世界王者」としての実績は無いに等しいと思う。

それでも、今回の認定機運の高まりに感傷を覚えるのは、やはり彼が「逆境の中、敵地で強豪と戦った選手」だったからだ。

王座陥落試合はオーストラリアで行われ、相手はなんと後の三冠王者ジェフ・フェネック。
無冠時代から勢いとパワーで知られ、豪州ではスター候補で、後のリッキー・ハットン(英)にも似た勢いがあった。

傷TKOで敗れた新垣は、再戦でも同様の敗戦。
実質完敗だったが、フェネックの突進にサウスポーからのジャブと足、ワンツーで対抗する姿には感動を覚えた。

後の六車卓也と似た感覚だ。
決定戦の相手は「世界」を冠するには物足りなさ過ぎ、防衛戦でも実績は残せなかった。
しかし、王座奪還を目指し強敵に挑んだ試合での奮闘ぶりで(六車の場合は、あのウィルフレド・バスケス戦)で「ああ、やはりこのボクサーは世界を冠するに相応しい戦いをする選手だったのだ」と胸を熱くさせてくれた・・・のだ。

だから、今回もし新垣氏が「歴代の日本ジム所属世界王者」として数えられる事になるならば、複雑ではあるが祝福したい。
IBFに移ったのも本人の意思というより所属ジム会長の思惑だったりの「大人の事情に巻き込まれた」ものだったしね・・・。


また、2013年現時点でも
JBCに引退届を提出してボクサー活動を継続し、3月30日にIBF世界ミニマム級王座に挑戦する元WBC世界ミニマム級王者・高山勝成についても同様の対応をおこなう方針で、
専務理事は「JBCへのライセンス再申請の依頼が無ければ、我々は認めない」と話した。
ただし、申請があれば検討するのは新垣氏に対する姿勢と同じで、まずは高山が王座奪取する事が専決だろう。

同様に海外で活動している石田順裕もJBCへライセンス再申請の意思を見せており、JBC側も受け入れる模様。

ここは、どっちも意地を張り過ぎず、相手のメンツを立てる事だね・・・。


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