私の所属する 民謡・邑水会発表会兼親睦旅行が 今日明日(6/5~6/6)と一泊二日の予定で 新潟越後湯沢 で開催されます。
今週は、この後 しばらくマァマァのお天気が続くようです。
朝、8時 御宿本陣から朝霞まで 迎えのバスが来ます。
途中3カ所で メンバーを乗せ 関越道路で一路新潟に向かいます。
月夜のインターを降りて 三国峠を登り バスは一路の苗場に!
苗場スキー場の真ん中にその旅館はあります。
八時に朝霞を出発したバスは 途中 匠(たくみ)の里や 赤谷湖に寄り
お昼頃 宿に到着します。
宿に着いたら お昼のお蕎麦が提供されます。
<一日目>
14:00~ 民謡の発表会
16:00~ 入浴タイム
18:00~ 宴会
<二日目>
7:00~ 朝食(バイキング)
9:00~ カラオケ大会
11:30~ 昼食(親子丼)
12:00~ 旅館出発
13:00~ 鈴木 牧之(すずき ぼくし)記念館などの見学、
鈴木 牧之(すずき ぼくし)は
明和7年1月27日(1770年2月22日)に越後魚沼郡塩沢に生まれました。幼名は弥太郎。通称は儀三治(ぎそうじ)。牧之は俳号で、雅号は他に「秋月庵」「螺耳」などがあります。父は鈴木恒右衛門(俳号は「牧水」)、母はとよ。
鈴木屋の家業は、地元名産の小千谷縮の仲買と質屋の経営で、地元では有数の豪商であり、三国街道を往来する各地の文人も立ち寄り、父・牧水も文人たちと交流がありました。牧之もその影響を受け、幼少から俳諧や書画をたしなむこととなりました。
9歳の時、縮80反を売却するため初めて江戸に上り、江戸の人々が越後の雪の多さを知らないことに驚き、雪を主題とした随筆で地元を紹介しようと決意したといわれ、これが後に『北越雪譜』として出版されます。
帰郷し執筆した作品を寛政10年(1798年)、鈴木牧之28歳のころ、当時の人気戯作者山東京伝に添削を依頼し、出版しようとしましたがうまくゆかず、その後も曲亭馬琴や岡田玉山、鈴木芙蓉らを頼って出版を依頼しましたが、なかなか実現できませんでした。
しかしようやく、山東京伝の弟山東京山の協力を得て、天保8年(1837年)『北越雪譜』初版3巻を刊行、好評を得て当時のベストセラーとなりました。一説には、販売部数は700部とか。続いて天保13年(1842年)にも4巻を刊行しました。
<インターネットより>
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