"よさこい"にかける青春!

何がこの人たちを
  夢中にさせるのか!

1/19(木)第79回 みかんの里 民謡ボランティア

2017年01月19日 06時24分11秒 | 脊髄小脳変性症の妻

 今日は定例の(毎月第3木曜日)みかんの里 民謡ボランティアの日です。

コツコツとやり続けたこのボランティアも おおよそ6年半、79回を数えるに至りました。

その間、東日本の大震災があったり、パートナーを失ったり 前立腺の病で救急車で三度も運ばれたり

鼠径(そけい)ヘルニアの手術をしたり いろいろな事が有りました。


ここまで乗り切ってこれたのも SMさんを始め 夏舞徒の仲間の皆さんや Ishizukaさんを始めとする写真仲間の皆さん、

邑水会、光良会、民友会等の民謡の皆さんが支えてくれたお蔭と感謝しております。







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第76回 みかんの里民謡ボランティア

2016年09月16日 06時02分11秒 | 脊髄小脳変性症の妻


 おおよそ6年前、妻がお世話になっていた事が縁で始められた 民謡ボランティアも76回を数えるまでになりました。

これも皆さんのお蔭と感謝しております。

 


 



今日、9/12
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ひだまりの庭 34回定期民謡ボランティア 開催 !!                       

2016年06月09日 06時16分02秒 | 脊髄小脳変性症の妻
6月8日(水)

私達、邑水会が参加する 定期民謡ボランティアは毎月 二つあります。

第二水曜日の 『 ひだまりの庭 』 と、第3木曜日の 『 みかんの里 』 です。

それぞれ 34回目と 74回目になります。

ひだまりの庭は みずほ台の貝塚公園の近くにあり 開設されてまだ新しい施設です。

50分の時間をいただいて 尺八、三味線の伴奏で 10曲の歌を唄いました。











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第70回、みかんの里 民謡ボランティア

2016年02月19日 06時20分59秒 | 脊髄小脳変性症の妻


  おおよそ6年前、民謡邑水会の会主 邑水先生のお力添えで始めた みかんの里の民謡ボランティアも

今回で 70回を迎える事が出来た。

私の妻が みかんの里にお世話になっていたことが ボランティアを始めた事のきっかけであったが

妻がいなくなってもこうして続ける事の出来る事に嬉しさを禁じ得ない私である。

こうして70回を迎えたのだから、是非100回は目指したいものと 考えている。

また、開始当時から全面的に協力出演してくれた Hanaokaさんも つい先日 帰らぬ人となり 時代の流れを痛切に感じてもいる。
  

 特に今回は邑水先生の病院の定期検査なども重なったことなども有り 新メンバーの Arai氏を加えて 四名での参加であった。 



  尺八の伴奏で 新河岸川舟唄(川越舟唄)を唄う Sekiguthiさん





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2014年、私の思う事!!

2014年11月29日 23時52分48秒 | 脊髄小脳変性症の妻
1、人生最期の迎え方

    日本人は死をものすごく毛嫌(感情的にわけもなく嫌う事)いします。
    ”生と死”これほどすべての人に 平等に訪れるものはないのに どうしてこんなにも 嫌うのでしょうか。
    私の父はよくこんな事を言っていました。
    「平均寿命を全うした死は 目出度いことなんだよ」!!
    そんな父も、そして母も マァマァ目出度く 人生を終えました。

    しかし、私の妻は残念ながら平均寿命に到達するまで、生き抜くことはできませんでした。
    結婚した当時、金婚式まではと思っていたのですが、それでも45年間 夫婦でいられたのですから残念ですが
    運命と思っております。

     私の妻は57歳の時 体の不調を訴えそれから12年間生き続けました。
    5~6年前からは 声を発することも、自らの力で動くことも出来ず そんな状態で施設にお世話になって
    おりました。運動機能をつかさどる小脳以外には全く異常がないため 自らのおかれている立場に
    限りなく無念を感じ 涙することは たびたびでした。。
    性格は温厚で 非常に優しかったのですが、その反面プライドも高かったのでしょう、私や家族以外には
    みじめな自分の姿を見せたくないと、かたくなにお見舞いを 拒んでおりました。

     他人に会う事すら否定し、胃婁(いろう・胃に穴をあけてチューブで栄養を補給)をしてからは
    たった一つの楽しみだったチョコを口に含むことさえ禁じられ いったい何のため過ごした人生の後半だったのでしょう。
     
     一番ここで問題なのは 本人が そんな姿をさらしてでも 生きたかったのか 何を望んでいたのか
    それを私が妻が元気なうちに本人から聞いていなかった、僕が把握していなかった、そこのところが悔やまれてなりません。
     しかし具合が悪くなり始めた妻に、お前はどんな最期(死に方)を希望する?なんて
    聞ける訳が有りませんでした。
    
    
     今 思えば 胃婁を付ける時点で 僕がもう少しよく考える必要が有ったのかも知れません。
    しかし 妻がまだ若いせいも有ったので 深く考える余裕はありませんでした。

    
     

     本人もそんな苦しいだけの ”生”を希望していない、
    それなのに脊髄小脳変性症と言う病に侵された妻は 年間400~500万の医療費を国から戴いて
    生かされていたのです。
    
     寝たきりになると たった一人の病人に おおよそ その位の医療費がかかってしまうのです。
     
     妻のお世話になった新座市の病院には、その様な病人がおおよそ100人、
    ざっと計算しても 一つの病院だけでも年間4億8千万・・・、
    現在の国の医療費が32兆円~、来年度は40兆円を超えると言われております。
    
     医療費に 国の財政が潰されてしまう勢いで 介護老人も増えています。


     つい先日のNHKの番組でも放送されました。
    「終末医療と介護の在り方 貴方はどんな最期を迎えたいか」、おおよそそんな内容ではなかったかと思います。

     「命の主人公はその人、自分自身・最期はその人の自己決定で!!」 そんな内容で締めくくられていたようでした。。

    書面で自分の最期を書き置く事の是非に 賛成する人は 70%
             しかし、実際に書き残している人は  3%だそうです。 

     最期を明確に希望したことが 国の経済にも反映していく・・・、、
    残された家族の方達が悩まないためにも 無駄なお金を使わない国造りに協力するためにも 
    自分の最期がどうありたいか記しておく・・・、とっても大事な事と思います。
    
    その必要性を、実際体感したものとして 
     小さな意見を述べてみました。


    ちなみに、私は
       
       ① ”外す予定の無いおむつが必要になった時”
       ② 胃婁が必要となった時
      
          その時を私の最期にして欲しいです。


      
  追伸:僕のブログを見てくださる方は多いのですが 特にこのような内容に対しての 意見が少無いのが日本人の特徴のように思います。
     是非、コメントをよろしくお願いいたします。

      話は変わりますが、年賀状も平年通り よろしくお願いいたします。
     
     妻が亡くなった悲しみと、新しい年を迎える目出度さは 私の感覚では全く別物ですので
     よろしくお願いいたします。
     
     新しい年をたくさんの仲間と祝いたいと思います。


   





クリックしていただくと撮影意欲がわきます。

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悲しい お知らせ

2014年09月12日 04時56分54秒 | 脊髄小脳変性症の妻

脊髄小脳変性症(せきずいしょうのうへんせいしょう)の妻は 私のブログのカテゴリー(分類)の中のひとつです。

その主人公の妻が先日永眠いたしました。


私と一緒になって過ごした年月は 45年間でした。

ブログのコメント欄でも沢山の皆さんから、応援や励ましのお言葉を頂き 心から感謝しております。


2006年当時からの ブログへの掲載でしたが、長い間、本当にありがとうございました。








 57歳で身体の異変に気付き、そのご病名が分かるまで おおよそ半年間
 

「 どうして病気は 私を選んだの ?? 」その問いかけ
 
 徐々に運動機能が失われていく苦しさやむなしさ 
  
「私は何にも悪いことはしていないのに・・・」、

これが病名、脊髄小脳変性症が判別した時の妻の言葉でした。

 

 運動機能以外の脳は全く異常を示さないため 孫や子供のたち、家族の話しをするたびに涙が止めどなく流れ

そんな11年の長い歳月を頑張り抜いて来ました。
 

 この間、くしくも流した涙が1リットル、・・・・
   
全くテレビの中の物語と同じ経過でした。

   
 

 夏の暑さも やっと乗り越え、あちこちの庭先にキバナコスモスや秋の花がチラホラ咲き始める

この季節、しかし頑張りぬいた身体は もう限界でした。

30年間住んでいた地元の みずほ台祭りが賑やかに行なわれていた8月30日、土曜日4時半、

長~い眠りにつきました。享年(きょうねん)69歳の人生でした。









ピアノと ヴァィオリン

そして 尺八に依る 音楽葬で 送りました。


妻の好きだった 時の流れに身をまかせ、秋桜、いい日旅立ち、里の秋、旅愁、母さんの歌、叱られて、無縁坂 など12曲の音楽で送りました。



急遽 仲間のHanaokaさんにお願いして歌詞カードも 50部用意し 皆さんに口ずさんでいただくことも出来ました。






尺八演奏は 江差追分でおくりました


<2011年6月のブログから抜粋>

 
 遠い北の地のニシン漁に愛する人を送り出さなければならないと言う
 
寂しくも悲しい別れの唄に自分の人生を重ねているからかもしれません。

辛いのなら見に来なくてもいいよ!っと、いつも言うのですが決まって一番前の席に座って泣いています。

 

 つい何年か前まで、自分が10人並にきれいだと思っていた妻・・・、おしゃれ好きだった妻・・・、

そんな妻がお風呂もトイレも寝返りさえも 人様の手を借りなければならなくなってしまいました。

 最近では話も全く出来なくなってしまいました。








小雨降る 新座市営墓園

100人を越える方々が お別れを惜しんでくださいました。


喪主は冷静にと思っておりましたが

感情を抑える事ができず、10年分の涙を流してしまいました。 



今回の葬儀には 沢山の方たちの お世話になりました。

この場をお借りして 心から感謝と お礼を申し上げます。


ありがとうございました。 














2014年10月3日 富士見メモリアルパークに 納骨いたしました。

主役の妻は亡くなったのですが しかし脊髄小脳変性症の妻のカテゴリーはこのまま残すことにいたします。










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妻の所に行ってきました。

2014年04月05日 05時58分31秒 | 脊髄小脳変性症の妻

久々の

<赤裸々日記 4/5-8>

妻が横たわる3階の4人部屋の窓際のベッド、

窓の外には満開の桜が 

部屋をのぞき込むように枝を伸ばしていた。


新座市中野にある特別養護老人ホーム「みかんの里」に妻がお世話になって

9年になるだろうか、


2006年、僕が夏舞徒を知ったのと 時を同じくして、

病魔も遠慮なく我が家に乗り込んできた。

その病魔から逃れようとして 色々な話に飛びついた。 

北海道の病院に行ったり

池袋の不思議っぽいマッサージに通ったり、進められるまま器材を買い入れたり、補給食品に飛

びついたり・・・。

「藁をもつかむ」とはこんな事を言うのだろうか。



妻の耳元で静かに話しかける私、

 この春 おむつが取れないまま入園することになる孫のRunaの話、
4歳のMizukiがお笑い系な事。
今度 年長になるYumeが 26キロと肥満体質っぽい事、
今度3年生になるAiriが自分でおにぎりを作って学童保育に行っている事。
一番上の6年生になるMiyuが お父さん、お母さんに似ずスリム体系で ヨカッタ~と喜んでいる事。


 自らは文字盤のあ・い・う・え・お のひらがなを 指さすこともできない、
看護婦さんを呼ぶボタンを押すことさえもできない、
しかし、運動をつかさどる小脳以外は全く健全・・・、
周りの人の話や状況は すべて理解できている。

 僕の話を聞く妻の嗚咽がひどく
呼吸が苦しそうだったので 途中で話を止めて帰ってきた。



  明日は10時半~、30分 
朝霞台黒目川の桜祭りに 邑水会の民謡の部で参加する。
自分だけ楽しい思いをしているそんな時は 妻のことなど 
全く忘れている
薄情な自分もいる。


ハビナース 歯みがきティシュ 90枚
クリエーター情報なし
ピジョン タヒラ



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みかんの里、邑水会ボランティア50回、開催される!

2014年03月21日 06時03分28秒 | 脊髄小脳変性症の妻

 埼玉県新座市にある特別養護老人ホーム『みかんの里』での民謡の集い、
開催50回を記念して花束を頂く邑水会メンバー


 みかんの里の秋祭りには毎年よさこいチーム夏舞徒の参加による「よさこい踊り」も行われている。
今年も9月の最終日曜日に開催される。











「こきりこ節」を唄う 施設に勤務しているお嬢さん達





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第40回みかんの里 民謡ボランティア開催される!

2013年03月25日 05時58分47秒 | 脊髄小脳変性症の妻



3/21新座市中野の特別養護老人ホーム「みかんの里」で
邑水会の 尺八・民謡ボランティア、40回目が行なわれた。

最近は施設の方達のリクエストに応えたり
施設の方達も 尺八三味線の伴奏で唄ってくださったり
和気藹々の雰囲気が一層高まってきた。


次は50回を目指し頑張って行きたく思っている。


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第34回 みかんの里、民謡ボランティア

2012年09月21日 05時42分04秒 | 脊髄小脳変性症の妻
撮影;aris

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朝霞台に拠点を置く民謡邑水会は

特別擁護老人ホームなどの施設や、病院などの依頼で

ボランティアに出かけるときが多い。

中でも「みかんの里」は 第3木曜日と定例になっている。

今回が34回となった。



この9/30日の日曜日 新座市にあるこの施設で

「秋祭り」が行なわれる。

初めての試みでこの小さな施設の祭りに

「夏舞徒」が参加してくれる。

健康な体を失い、思うに任せる事のできない施設の人達には

よさこい踊りを観ることなど到底無理な事と思っていた。

しかし、夏舞徒の皆さんの協力で可能となった。

関東でも屈指のチームの踊りに

施設の皆さんが どんな反応をしてくれるのか

とっても楽しみである。

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