脊髄小脳変性症(せきずいしょうのうへんせいしょう)の妻は 私のブログのカテゴリー(分類)の中のひとつです。
その主人公の妻が先日永眠いたしました。
私と一緒になって過ごした年月は 45年間でした。
ブログのコメント欄でも沢山の皆さんから、応援や励ましのお言葉を頂き 心から感謝しております。
2006年当時からの ブログへの掲載でしたが、長い間、本当にありがとうございました。
57歳で身体の異変に気付き、そのご病名が分かるまで おおよそ半年間
「 どうして病気は 私を選んだの ?? 」その問いかけ
徐々に運動機能が失われていく苦しさやむなしさ
「私は何にも悪いことはしていないのに・・・」、
これが病名、脊髄小脳変性症が判別した時の妻の言葉でした。
運動機能以外の脳は全く異常を示さないため 孫や子供のたち、家族の話しをするたびに涙が止めどなく流れ
そんな11年の長い歳月を頑張り抜いて来ました。
この間、くしくも流した涙が1リットル、・・・・
全くテレビの中の物語と同じ経過でした。
夏の暑さも やっと乗り越え、あちこちの庭先にキバナコスモスや秋の花がチラホラ咲き始める
この季節、しかし頑張りぬいた身体は もう限界でした。
30年間住んでいた地元の みずほ台祭りが賑やかに行なわれていた8月30日、土曜日4時半、
長~い眠りにつきました。享年(きょうねん)69歳の人生でした。
ピアノと ヴァィオリン
そして 尺八に依る 音楽葬で 送りました。
妻の好きだった 時の流れに身をまかせ、秋桜、いい日旅立ち、里の秋、旅愁、母さんの歌、叱られて、無縁坂 など12曲の音楽で送りました。
急遽 仲間のHanaokaさんにお願いして歌詞カードも 50部用意し 皆さんに口ずさんでいただくことも出来ました。
尺八演奏は 江差追分でおくりました
<2011年6月のブログから抜粋>
遠い北の地のニシン漁に愛する人を送り出さなければならないと言う
寂しくも悲しい別れの唄に自分の人生を重ねているからかもしれません。
辛いのなら見に来なくてもいいよ!っと、いつも言うのですが決まって一番前の席に座って泣いています。
つい何年か前まで、自分が10人並にきれいだと思っていた妻・・・、おしゃれ好きだった妻・・・、
そんな妻がお風呂もトイレも寝返りさえも 人様の手を借りなければならなくなってしまいました。
最近では話も全く出来なくなってしまいました。
小雨降る 新座市営墓園
100人を越える方々が お別れを惜しんでくださいました。
喪主は冷静にと思っておりましたが
感情を抑える事ができず、10年分の涙を流してしまいました。
今回の葬儀には 沢山の方たちの お世話になりました。
この場をお借りして 心から感謝と お礼を申し上げます。
ありがとうございました。
2014年10月3日 富士見メモリアルパークに 納骨いたしました。
主役の妻は亡くなったのですが しかし脊髄小脳変性症の妻のカテゴリーはこのまま残すことにいたします。
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