社会統計学の伝統とその継承

社会統計学の論文の要約を掲載します。

足利末男「ケトレ以後のドイツ国情論」『社会統計学史』三一書房,1966年

2016-10-16 22:08:58 | 4-2.統計学史(大陸派)
足利末男「ケトレ以後のドイツ国情論」『社会統計学史』三一書房,1966年

 18世紀後半から19世紀にかけてのドイツの政治的,社会的変革は,ことさら激しいものであった(フランス革命,ナポレオン戦争,プロイセンにおけるシュタイン=ハルデンベルヒの土地改革,七月革命,ドイツ関税同盟の結成,3月革命,この間の産業革命の進展)。この時期,国情論に属する統計学者の活動は盛んであった。筆者は本稿で,ファラティー,シュタイン,モール,ヨナク,ヴァッポイスの統計学をとりあげ紹介し,検討している。構成は「第1節:ファラティーの統計学」「第2節:国家科学のなかの統計学」「第3節:ヨナクの統計学」「第4節:末期の国情派ヴァッポイスの統計学」となっている。

 第1節は,ファラティーの統計学の検討が課題である。ファラティー(1809-1855)はハンブルクで生まれ,オランダで客死した。1848年の3月革命のおりに,ヴュルテンベルクの国会議員に選出され,同年フランクフルト国民議会の代議士に選ばれ,そこでドイツ帝国憲法起草の任にあたった。3月革命の勃発前,ファラティーはドイツの進歩的運動の一環を担う働きをしている。フランクフルト国民議会では,ドイツ統一の一環として中央統計局の設置が日程にのぼり,全ドイツ人口調査と各邦の統計制度に関する調査が行われた。これらの統計の統一の努力は,1869年に始まる「ドイツ関税同盟統計改善委員会」の先鞭をつけた。

 ファラティーには多くの統計に関する論文があるが,代表的なものは『統計学入門』である。内容は「学問としての統計学,その概念,種類,限界」「統計学の方法論概説」「統計学史の概要」の三編で構成される。ファラティーの統計学の理論は,その対象の規定と分析から出発する。そこでは対象を優位にみるコンセプトがみられる。彼の国情論はその基本概念を「状態」とし,数量的認識をもその対象のなかに包摂しようとした。状態概念を基本としたのは,19世紀初頭からのドイツに進行した産業革命とそれにともなう近代市民社会の形成,その結果としての政治上,社会上の諸変革が,統計学=国情論をして,従来のようにその対象を単に国家の事柄のみに限定しえなくなった事情がある。この点で,彼の統計学はケトレのそれと好対照をなす。

 ファラティーは,国家および社会における出来事を有限事象と呼び,それは生成と定在の両面をもち,その生成すなわち変化の側面をとらえるのが生成記学,定在する現実を捉えるのが統計学である。歴史はこれら両者の統一である。すなわち統計学び対象は,定在としての現象の静止の状態である。統計学は状態の体系的な知識である(自然現象の領域に及ばない)。状態には2種類あり,それに対応して統計学は2種類に区別される。状態は理念的に状態的なものと(一般的状態),現実的に状態的なもの(特殊的な状態)とがある。これらに対応して抽象的統計学と具体的統計学が存在する。    

 抽象的統計学が考察する現象は,変化する偶然的なものとしてあらわれる事実であり,主として数字で表現される。そこには数学の使用が必要になる。このような一般的状態をあらわす抽象的単位として,総和,比率,平均がある。ファラティーの抽象的統計学は,政治算術とくにケトレ統計学をその体系に摂取するために構成されたものである。しかし,それでさえケトレ統計学と異なるものを内包している。すなわちファラティーの統計学が関わるのは,ケトレ派のそれより広く,政治,経済,文化の領域に及んだ。

 ファラティーの統計学はその対象の規定と分析をとおして,ケトレ派の統計学を批判的に摂取する体系を有していた。この統計学はさらに方法論にも言及し,その方法論は活動の方向によって獲得的方法(経験)と伝達的方法(統計的知識を第三者に伝える手段)とからなっていた。

 筆者はファラティーの統計学が激動する時代の変化と発展をみすえ,統計学の課題に注視しながら,それを統計学の理論と歴史的関係のなかで解決しようとしてしていた点を重くみている。

 第2節はシュタイン(1815-90)とモール(1799-1875)の統計学の紹介と検討を課題としている。両者はドイツにおける社会学の創始者に数えられ,国家科学の体系のなかに統計学を位置づけようと試みた。ほとんど顧みられることのない統計学者であるが,筆者はあえて二人の統計学理論の検討を行っている。シュタインはドイツ国家社会主義の父といわれ,遅れたドイツの矛盾を「上からの革命」によって解決しようとした。

 シュタインの統計学は,『国家科学体系』第1巻(1852年)の緒論で国家科学の概念を示しながら,その中に一般部門として統計学と人口学を含めて構想している。すなわち,国家科学は,その端緒に人間の生命をおき自然的なものと人格的なものとの相互作用のもとに成立する。人口学と統計学は,この国家科学の基本である。シュタインは諸事実の学として統計学を規定するが,この事実には自然的事実と人間生活の事実があり,このことに対応して学問も2つ考えられる。これらのうち人間生活の事実についての学問(「人間生活に適用された事実の学問,もしくは人間生活の事実の学問」)をとくに統計学と名付けている。

 人間生活の事実は,変化し発展する。政治算術はこの発展を解明する。人間生活が事実として記載され,それが状態および変化をあらわすものとして捉えられた後に,現実の統計学が始まる。現実統計学には,状態の統計学,目的の統計学,科学の統計学の3形態がある。筆者はその内容を逐一パラフレーズし,とくに科学的統計学が個別統計,比較統計,一般統計学の3つの主要な種類もしくは方法を有することを指摘する。

 シュタインは現実生命の有機体の体系を前提とし,統計的活動によって見出された事実や状態をこの体系に組みこむことによって,この体系に現実性を与えることができるとする。このことがまた,(1)人口統計,(2)経済統計,(3)社会の統計,(4)国家の統計という統計学の体系を規定する。統計学にこのような体系を与えるのは,統計学自身ではなく,統計学の対象をなす人間の生命であり,それについての学問である。     

 この節には,国家科学のなかの統計学を位置づけるもうひとりの統計学者,モールが登場する。モールはシュトットガルトに生まれ,チュービンゲン,ハイデルベルク,ゲッチンゲンの大学で学んだ。ドイツにおける社会学の創始者の一人である。彼の論文のなかで統計学に関するものは,『国家科学の歴史と文献』の第3巻19編「統計学の概念に関する文献」と,『国家科学要綱』の最後の編の第2章「統計学」がある。モールには統計学に関する体系的書物はなく,国家科学に関する書物のなかの一部として論じられているにすぎない。

 モールは統計学を「国家的および社会状態の学問」とし,状態という概念に重きをおく。その意味するものは必ずしも明確ではないが。その概念で表そうとしたのは国家のみならず社会の事実の総体である。モールは国家科学のほかに社会科学が成立することを認め,統計学がこの2つの学科にまたがるものとした。すなわち,国家科学および社会科学の対象領域を,状態としての側面から統一的にとらえようとした。そして,それを数的表現でとらえることが可能としている。もっとも,数字の使用が万能とはみなしていない。

 モールはケトレの業績を高く評価していたが,次の2点に疑問を呈している。第一はケトレが主として数字であらわされ,計算に適した事実だけが統計学の内容ではないことを強調しなかったことである。第二はケトレが規則性とその原因を発見したとき,この規則性が同一であるときにのみ,その限りで規則性であるのであって,国が違ったり,同じ国でも時を異にすると,結果とその法則的経過が異なることを注視しなかったことである。さらにモールは,統計理論と統計調査の関係を重視する。統計理論は,統計調査の発達によって促進され,逆に前者の発展が後者を発展させる。この関係を明らかにするのが,統計学史の課題である。モールは,官庁統計の整備発展と統計理論の形成の間の関係をことさら重視するのである。

 モールの統計学に対する評価はあまり高くはない。しかし,モールが統計学者として生きた時代は,エンゲルがザクセンの統計局長として活動していた時であり,ヴァーグナーの著作も,ヴァッポイスの人口統計論も出版されていない1850年代であった。こうした背景があったにもかかわらずモールは,統計学の学問としての位置づけを行い,それに社会科学としての方向づけを行った。筆者による,モール評価のポイントはここにある。

 第3節は,日本の斯界でもあまり知られていないヨナクの統計学の紹介と検討である。
ヨナクの主著は,『統計学理論綱要』(1856年)である。その内容は既述のクニースの主要,すなわち国情論と政治算術とを分離し,統計学がかかわるのは後者のみとした主張に,ドイツ国状論の視点から批判することであった。クニースの主張に対し,ヨナクは統計学を国家科学あるいは社会科学のなかに位置づけ,対象規定から統計学を構想しなおすべきとする見解を示した。

 ヨナクはそれぞれの科学に固有の方法の存在を認めるが,それがそれぞれの対象と課題によって規定されることを主張する。逆に,方法にあるいは政治算術に統計学の起点をもとめることは,統計学の歴史的発展に対する無知に由来する。彼は統計学の発展を3期に分ける。第一期は,統計学が歴史,地理,法律から分離し,一個の独立の科学として固まるその揺籃期である。ゼッケンドルフ,コンリング,アッヘンヴァル,シュレーツァーに代表される。第二期は,統計学の対象が現在の国家から過去のそれに拡大した時期である。この時期の統計学は,「状態」をその対象とし,因果関係に関心がもたれ,表現手段としての数字が多用される。ニーマン,ブッテ,ホルッゲタン,リューダーに代表される。第三期は,統計学が国家をその対象と前提しつつ,国家における諸現象を力もしくはその作用結果と理解し,その力の総和を「状態」と見做し,この概念を中心におく。ファラティーがその代表者である。ヨナクが以上のように,統計学の歴史的検討を行うのは,2つの理由がある。一つは,国家概念の変化である。換言すれば,社会という新しい概念の出現である。もう一つは,統計学と親近関係にある他の諸学問の発展である。筆者は,ヨナクがこのように国家ないし社会の現実と,それに関わる概念の歴史的変化,関連諸科学の進展に配慮して,歴史学派の統計学=国情論についての歴史的発展を追求したことを正当なものと認めている。

 次にヨナクが統計学の対象,課題,方法をどのように考えていたかである。ヨナクは統計学の基礎に人間生命の現実をおく。それは生成と消滅の側面と定在,すなわち静止的現実の側面とをもつ。歴史は前者を,統計学は後者を対象とする。統計学はさらに人間生命の現実をその有機的部分に解体=分解する。ヨナクは,分解された事実相互間,もしくはその全体との関係を「状態」と呼び,そのように捉えられた状態を因果関係の所産とみなす。統計学はこの因果関係の証明にまで進む。因果関係の証明には数学が重要な役割を果たし,対象の数量化が可能である時には確率論の場が与えられる。この確率論の統計学における適用が政治算術である。因果関係の証明は,確率論を媒介に政治算術にも,統計学のなかでのその位置を与えられる。

 ヨナクによる科学としての統計学の課題は,(a)人間の生命における状態の叙述,(b)この状態の因果関係の叙述,(c)その規則性と合法則性の叙述である。統計学の課題をこのように規定すると,その方法は何かが問われる。ヨナクにあっては,その方法は「統計方法」であるが,さらに詳しく規定すると統計的認識の獲得と報告の2つの契機に対応する「獲得的方法」(経験,吟味・批判)と「伝達もしくは狭義の方法」(国別記述の方法と比較法)に分かれる。さらにヨナクは統計学の分類を行っている(一般統計学と特殊統計学)。筆者はここでヨナクが国情論においての伝統的な分類=国別記述の統計学と比較統計学との区別を単なる統計学の区分とみず,方法の種類とみていたことに注意を喚起している。ヨナクによる従来の国情論からの離脱がここに示されている,というのである。

 筆者は次に,ヴァッポイスの統計学の考察に入る。ヴァッポイス(1812-1879)は,ケトレ以降の政治算術に傾斜した統計学者に抗し,彼らに否定された国情論への復帰を図った人物である。1812年にハンブルクに生まれたヴァッポイスは,ドイツ近代地理学の創始者カール・リッター(ベルリン大学)のもとで地理学を専攻した。ゲッチンゲン大学で学位を得て,その後同大学で地理学,統計学の私講師となり,死に至るまでこの大学で教鞭をとった。正教授に任命されるにあたり,ハノーヴァーの政府は同国の統計についての講義をヴァッポイスに要求した。彼はこれに応え,同時に統計学の領域に研究の舵をきる。

 ヴァッポイスは,人口統計についての著書(『人口統計論』1859年,1861年)で統計学者としての地位を確立した。彼は統計学を「現在の国情論・国家の状態の叙述と認識」とみなし,アッヘンヴァルによる国情論の規定を踏襲している。同時に,統計学の対象を社会の意味での国家に拡大している。より厳密に言えば,国家および社会の「状態」が対象である。その方法は対象の性質によって与えられる。その方法とは具体的には,(1)記述すなわち言語による報告,(2)数字による表現,(3)グラフによる表現である(主要手段は1と2)。

 ヴァッポイスにあっては,統計学の内容は国家の状態ないし事実の統計的叙述であるが,単なる叙述にとどまらず,それらを支配する法則あるいは因果関係にまで及ぶ。したがって,その統計学は国家の状態を記述する部門(基本統計学)と法則や因果関係を追及する部門(一般比較統計学[人口統計論])とから成る。一般比較統計学では数学的方法(統計的操作)が使われる。それは政治算術の大きな影響のもとに成立するが,政治算術そのものではない。計算のための計算は否定される。

 ヴァッポイスの統計学は,ケトレの統計学がこの分野の新境地を開いたものとして評価されるが,科学としての統計学という面からみると一面的との誹りを免れない。なぜならこのケトレ派の統計学者は数字統計と数学的方法の研究に拘泥する弊に陥り,そこから脱却できなかったからである。

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