社会統計学の伝統とその継承

社会統計学の論文の要約を掲載します。

上藤一郎「優生学とイギリス数理統計学-近代数理統計学成立史-」長屋政勝・金子治平・上藤一郎編『統計と統計理論の社会的形成』北海道大学図書刊行会, 1999年

2016-10-17 20:22:13 | 4-3.統計学史(英米派)
上藤一郎「優生学とイギリス数理統計学-近代数理統計学成立史-」長屋政勝・金子治平・上藤一郎編『統計と統計理論の社会的形成』北海道大学図書刊行会, 1999年

筆者の言によれば, イギリス数理統計学とは, F.ゴールトンが播種し, K.ピアソンやR.A.フィッシャーによって継承された生物統計学の系譜である。すなわち, イギリス数理統計学は, 生物学統計(「生物学」の統計)であり, 生物学と数学とが混然と融和した統計学であり, 今日でいう数理統計学(筆者はこれを「「数学」の統計学」と書いているが, 以下, 筆者の意味をふまえて「数理統計学」と略)ではなかったが, 「数学」への統計学へと変容していく理論的基礎を結果として与えた統計学であった。この論文では, こうしたイギリス数理統計学の学説史的評価の試みである。

叙述の順序はまず, イギリス数理統計学を生み出す母胎となった優生学・遺伝学が19世紀後半から20世紀初頭にかけての社会文化的文脈のなかで考察されている。次に, イギリス数理統計学が優生学・遺伝学との連携のもとで形成された過程が分析され, その統計思想と, よってたつ統計理論の特徴が解明されている。最後に, 数理統計学が生物統計学から現代的な数理統計学へと変貌していった要因が明らかにされる。

 イギリス数理統計学の先駆者は, ゴールトンである。遺伝研究から出発し, 優生学思想の正当化を契機としたその統計学は, 記述統計学(百分位, 四分位, 平均論, 相関・回帰など)の淵源としてしばしば評価される。筆者はその評価の妥当性に疑問を呈し, ゴールトン統計学, とくに誤差法則の遺伝問題への適用で, 知的能力が正規分布に従うという仮定したように, 確率論的思考が伏在していた, と主張している(ケトレー統計学の影響)。もっともゴールトンが遺伝問題に応用した誤差論は, ガウス的な観測値の誤差法則として扱われる限りでのそれではなく, 自然現象や社会現象に客観的に存在する事実としての誤差法則に関する理論であった。

 ダーウィン進化論の影響を自ら表明していたゴールトンは, この観念にしたがって, 種にみられる変異を彷徨変異と突然変異に区別し, そのうちとくに彷徨変異(遺伝的に生じる軽微な変動)が正規分布に従うとみなした(ただし, 筆者はゴールトンの遺伝子決定論的信念がダーウィン進化論を契機に形成されたとする説には懐疑的)。さらに, 正規分布が単に知的能力の変異を示すだけでなく, 社会階層の分布とも解釈した。ゴールトンの統計学は, それだけでなく, 続いていく世代にわたる変異の効果をも対象とし, その帰結として先祖返りの法則, すなわち回帰の分析にも及んだ。ゴールトンにとって回帰分析は, 遺伝分析と密接不可分の関係にあった。他方, 回帰分析とはまた別個に, 各器官の形質の分析から相関の概念を確立した。したがって, 当初, 回帰は遺伝の法則であり, 数学的に相関の特殊な問題として存在することには関心が払われなかった。すなわち, ゴールトンにとって統計的方法とは変異の分析方法であり, 変異の問題を扱う限り, そこにはある実体がなければならなかった。「こうしてみると, 誤差から変異へ対象を変換することによって成立したゴールトンの統計学は, 転換をへることにより, 統計理論の科学における方法としての役割をも変容させていったと考えられる。科学において扱うデータは常に実体がともなっているものであり, またそうである限り, ・・・データの誤差ではなく変異を問題にしなければならない。留意すべきことは, データの精度を分析する問題とデータから現象を分析する問題は, 区別しなければならないということである。ゴールトンは, 後者の意味で変異の問題を理解しようとした。しかもそこには, 極めて強固な優生学的イデオロギーが内在しているのであって, ガウス理論のように数学理論から導き出されたものとは, およそ性格が異なっていた。ゴールトンの統計学は, 良くも悪しくも優生学の賜物であったというわけである」(p.222)。

 非スペンサー的ダーウィニスト(集団外的社会進化論)であったピアソンの統計学は, 優生思想という大枠のなかで, ゴールトンのそれを継ぎながら, しかし異なる側面をもっていた。ピアソンはまず強い国家社会主義思想の持ち主であり, 彼の優生学や統計学への関心もこの思想によって支えられていた。ピアソンの資質としてはまた, 数学に秀でていた。ために, ピアソンは, ゴールトンの優生学的統計学を正当化する最良の後継者としての役割を担った。したがって今日, ピアソン統計学を振り返るさいに, 重要なのはピアソンが数学者として統計学を研究したのではなく, あくまでも優生学的遺伝学を目的として統計学研究に着手したことである。言い換えれば, 「ピアソン統計学は, 国家社会主義という政治的なイデオロギーに支えられた優生学なしには成立しえなかったという意味で, まさしくイデオロギーの産物であった」(p.226)。
 この点を理解すると, ピアソン統計学の二重の性格が浮き彫りになる。一つは, ピアソンの統計学, とりわけ初期の多元回帰や積率相関の理論がゴールトンの統計学の特質(変異の統計分析)を受け継いだ点である。もう一つは, ピアソン統計学が, 生物統計学から「数学」のそれへと変容していく要因を準備した点である。

 筆者はさらにピアソン統計学の特徴として見過ごすことのできない特徴として, それが経験批判論という独自の科学哲学を土台としていたことを指摘している。ピアソンにあっては, 科学あるいは科学的法則とは方法によって生み出されるものであり, 同時に方法が現象を要約, 記述する。彼のいう事実はデータであり, 統計学はデータの要約, 分類によって事実となる。科学の名に値するものは, データにもとづいて, そこに認められる変動を要約し, 数式によって記述されたものだけである。

 以上の議論をふまえて, この論稿の後半では, 数理統計学における記述と推測の問題が考察されている。この問題を考える題材として, χ^2適合度検定をめぐるピアソンとフィッシャーの論争がとりあげられている。現象の要約, 記述こそが科学の目的であると考えたピアソンは, 獲得されたデータを要約, 分類(等級化)し, その経験的分布をいかに類型化するかを重要な課題とした。経験的分布が理論的分布に適合しているかどうか, 両者の乖離がランダムな誤差によるものか, すなわち等級化が達成されたか否かの判定がなされなければならない。ピアソンはそれをχ^2適合度検定にもとめた。フィッシャーは, このピアソンのχ^2適合度検定を3点にわたって問題とした。第一は自由度概念の明確化とその計算方法。第二は期待値の推定法。第三は統計的検定論の方法論的意味。紙幅の関係で, 3つの論点に関わる詳細は, 本稿に直接あたってもらうほかはない。

ポイントだけをあげれば, 次の3点である。第一にフィッシャーが批判したのは, ピアソンの母集団と標本の関係に対する不明瞭さであった。このことが, 数理統計学が「数学」の統計学に変質していく過程での決定的契機となった。第二にピアソンの検定は適合度検定の延長上での等級化の検定(現象の要約, 記述が成功したか否かの検定)であったのに対し, フィッシャーの検定論は帰無仮説の有意性の検定(有意な差を積極的の確認)であり, 変異の統計的方法という点でより徹底した論理が貫かれた方法をとった。第三に, ピアソンが関心をもっていたのは母集団の記述, 要約であり, 統計的検定の目的がそこにあり, ストカスティークな方法も広い意味での現象記述の方法の一つとしたが, フィッシャーは, 母集団と標本との関係, すなわち統計的推測の定式化に関心をよせ, 理論統計学の確立にこだわった(統計的方法の目的が母集団の記述であることまでは共通認識としてあったものの)。

 最後に, 筆者はゴールトン, ピアソン, フィッシャーの統計学を検討した結果としての論点整理をおこなっている。すなわちイギリス数理統計学の本質は, 優生学的イデオロギーを内包した生物統計学だったこと, 当初からストカスティークな方法論を問題としたこと, フィッシャーの統計的推測は数理統計学の目的が母集団の記述よりも母集団と標本との確率的関係に傾斜させていく要因をもっていたこと(ピアソンも科学の統一に方法をもとめる自己の科学哲学に, 生物統計学を「数学」のそれに変容させていく要因をもっていた), 以上である。筆者は書いている, 「かくしてピアソンからフィッシャーへとイギリス数理統計学が生成・展開してゆく過程で, 徐々にではあるが『数学』の統計学, すなわち現代の統計学へと変容してゆく準備がなされてゆく。そこに数理統計学における『近代』を見出すことができるというのが」(p.243)この稿の主たる論点であった, と。

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