山頭火つれづれ-四方館日記

放浪の俳人山頭火をひとり語りで演じる林田鉄の日々徒然記

風になびく富士の煙の空に消えて‥‥

2007-07-31 17:46:18 | 文化・芸術
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-世間虚仮- 自民歴史的敗北と安倍続投

自民の歴史的敗北を伝える参議院選挙の速報が各局で伝えられていたその深夜、正確には30日の午前2時05分、嘗てベ平連を率いた闘士、小田実が逝った。享年75歳、胃ガンで療養中であったことはどこかで耳にしていたが、自民惨敗と騒擾たる選挙報道のなかでその死が伝えられるのもなにやら符号めいてみえてくる。
自民候補を公明票が一定下支えをするというこのところの自公協力体制を踏まえれば、今回の安倍自民敗北は、土井たか子が「山が動いた」と称した’89年の参院選をも凌ぐ、まさに戦後の保守合同以来の歴史的敗北にちがいない。
その大敗の最終結果を待たぬまま、早々と安部首相は続投を表明した。これまた異例の、異常ともみえる「ご乱心」ぶりだ。
闘い終えて身体の不調を訴えてか公の場に一向に姿を見せず静観しつづけた小沢一郎と好対照ともみえるが、その小沢は波乱の政局を眺めながら今朝になって党本部に現れた。


<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<雑-31>
 玉くしげ二見の浦の貝しげみ蒔絵に見ゆる松のむら立ち  大中臣輔弘

金葉集、雑上、伊勢の国の二見浦にてよめる。
生没年未詳、大中臣輔親の系譜に連なる平安後期の伊勢神官か?
邦雄曰く、黒漆金蒔絵の図案に、二見浦風景を見立てた。古歌に屏風絵の絵のような眺めの作も数多あるが、「蒔絵に見ゆる」と歌の中で言ったのは珍しい。「貝しげみ」は、この蒔絵が青貝を鏤めた螺鈿であることの前置きであり、その漆器が、枕詞の玉櫛笥とゆかりを持つことも、考えに入れればさらに面白い。作者は康和5(1103)年、佐渡に流された、と。


 風になびく富士の煙の空に消えてゆくえも知らぬわが心かな  西行

新古今集、雑中、あづまの方へ修行し侍りけるに、富士の山をよめる。
邦雄曰く、西行は文治2(1186)年68歳の初秋、伊勢を立ち、東大寺復興のため再度の陸奥旅行に出た。「年たけてまた越ゆべしと思ひきや命なりけりさやの中山」もこの時の詠であった。第三句「空に消えて」で、自らの姿と心を客観するような、出家としての作者のまなざしが感じられ、無常な現世への深い歎きが明らかに読み取れる、と。


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一昨年も去年も今年も一昨日も‥‥

2007-07-29 17:27:29 | 文化・芸術
Kasennen
写真は、棟方志功「釈迦十大弟子」より「迦旃延の柵」

-表象の森- 釈迦十大弟子の七、迦旃延

迦旃延(カセンネン)は、論議第一なり。
論議第一とは、釈尊の説いた法を、詳細に解説するにとくに優れていること。
釈尊教外の地、アヴァンティ国の首都ウッジャイニーの婆羅門の出身。
釈尊の名声や仏教教団の活躍を聞きつけたこの国の王は、舎衛城の祇園精舎に七人の使者を遣わしたが、その中の一人だった迦旃延は、釈尊に出会うやそのまま出家して仏弟子となった。
後に修行成って帰国した彼は、国王をはじめ多くの人々を教化し、アヴァンティ国に釈尊の教えを弘めた。
当時、受戒に10人の比丘が必要とされていたが、化外の地にあってこれを揃えることはまことに困難である。その事情を知った釈尊は、此の後、辺地にあっっては5人の比丘で受戒を認めるとしたという。
「一夜賢者の偈」と名高い釈尊の教えがある。ある時、迦旃延は一人の比丘にこの偈の解説を求められ、一旦は釈尊に代わって解説するなど畏れ多いと固辞したのだが、解説まで釈尊に求めることこそ畏れ多くてとてもできないと重ねて請われたので、彼はやむなく解りやすく説いて聞かせたところ、後にその模様を聞いた釈尊が「それでよいのだ。私が解説しても、迦旃延と同じように語ったであろうよ。」と言われたという話が仏典に残されている、と。


「一夜賢者の偈」
過ぎ去れるを追うことなかれ。
いまだ来たらざるを念うことなかれ。
過去、そはすでに捨てられたり。
未来、そはいまだ到らざるなり。
されば、ただ現在するところのものを、
そのところにおいてよく観察すべし。
揺ぐことなく、動ずることなく、
そを見きわめ、そを実践すべし。
ただ今日まさに作すべきことを熱心になせ。
たれか明日死のあることを知らんや。
まことに、かの死の大軍と、
遇わずというは、あることなし。
よくかくのごとく見きわめたるものは、
心をこめ、昼夜おこたることなく実践せん。
かくのごときを、一夜賢者といい、
また、心しずまれる者とはいうなり。



<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>


<恋-80>
 浅くしも慰むるかなと聞くからに恨みの底ぞなほ深くなる  光厳院

光厳院御集、恋、恋恨。
邦雄曰く、微妙な恋心の陰翳を凝視しかつ掘り下げている点、王朝以来の恋歌中でも類を絶した作の一つと思われる。藤原良経の花月百首中に「心の底ぞ秋深くなる」という有名な下句あり、多分無意識の準本歌取りだろう。「恨みの底」とは実に考えた表現であり、暗闇からの訴えのように響く。初句・結句の「浅・深」の対照も、面白い趣向である、と。


 一昨年も去年も今年も一昨日も昨日も今日もわが恋ふる君  源順

源順集。
邦雄曰く、あたかも血気盛んの若者が、溢れる愛を誇示して「君恋し」を連呼する姿を、まのあたりに見るようだ。稚気満々というよりは直情滾々ととでも称えたい愛すべき調べである。出自は嵯峨源氏だが、天元元(978)年68歳で未だ従五位上能登守。沈淪を歎く歌も多い。詩才抜群、技巧の鬼である作者の真情流露。但しこの技法、二度目は鼻につく、と。


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夢にだに見で明かしつる暁の‥‥

2007-07-27 12:38:55 | 文化・芸術
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-世間虚仮- 中国へコシヒカリ・ひとめぼれ

中国へ日本産の米輸出がはじまったという報道があった。
新潟のコシヒカリや秋田のひとめぼれという日本の代表的銘柄で、第一弾は計24屯だったそうだ。
北京や上海で販売されているというが、この価格が凄い。
コシヒカリは2㎏で198元(約3150円)、ひとめぼれは188元(約2990円)というから、国内価格の2倍はしている勘定だが、中国の関税が約20%、輸送費など諸々の経費を勘案すれば、この高値も致し方ないのかもしれぬ。
ところが、上海あたりの一般家庭で流通している米の価格はキロあたり5元(約80円)なのだから、これと比較すればなんと20倍もの高嶺の花となる。
主食たる食料品でこれほどの落差のあるモノが流通の対象になりうるといういうのは、私などの感覚からすれば想像を絶するほどの驚きだが、それが現在の中国社会なのだろう。
日本政府はさしあたり年間200~300屯の輸出を見込んでいるという。この数値自体、希望的観測に過ぎないかも知れないが、仮に300屯の年間輸出が成ったとして、この米をほぼ常食とした場合5000人から最大10000人ほどの中国人の胃袋を満たすだけにすぎないのだが、その背景には公称13億の民が存在するというギャップには慄然とさせられる。
この国の格差も十年余りでだんだんひどくなってきたが、中国は超格差社会へとひた走りだ。


<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<恋-79>
 夢にだに見で明かしつる暁の恋こそ恋のかぎりなりけれ  和泉式部

新勅撰集、恋三、題知らず。
邦雄曰く、「暁の恋」と言えば後朝であって当然なのに、待ち侘びつつ夜を更かし、なお諦めきれず夜を徹し一睡もしなかったこの恋のあはれ、これこそ極限の愛ではないだろうか。情熱の迸りが第五句まで流れ貫いていてただ圧倒されるのみ。「恋こそ恋のかぎり」、まさに丈なす黒髪を乱し乱して、ひたすらに訴える女人の姿が見えてくる、と。


 ふたり寝し床にて深く契りてきのどかにわれをうちたのめとて  藤原兼輔

兼輔集、きのと。
邦雄曰く、頼もしい丈夫の宣言であり、同時に秘め事として珍重に値する。一歩過てば鼻持ちのならぬ大甘の太平楽となるところを、なんの衒いもなく、むしろ雄々しい含羞さえ匂わせて、まさに朗々と、しかし低音で歌い出し、歌い納めたところ、天晴れと言うべきか。但しこの歌、物名歌で「きのと」を一首の中にそれとなく詠み込んだ言語遊戯であった、と。


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われはもや安見児得たり‥‥

2007-07-26 11:59:18 | 文化・芸術
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-世間虚仮- あれやこれや

一昨日(24日)は文楽の7月公演へ。第2部は午後2時開演の昼の部、演目は「鎌倉三代記」の入墨の段と絹川村の段、それに狂言から採られた「釣女」。春の公演同様、今回もまた戴きもののチケット。
「鎌倉三代記」の原作は近松半二。一見、荒唐無稽かと思われる筋立ては、大坂冬の陣や夏の陣における徳川家康の豊臣家攻略に材を採りながら、これを鎌倉時代の源頼家と北条時政の確執に置き換えた虚構としているから、史実に照らしつつ観たりすると訳の判らぬこと夥しい。
作者の近松半二は、家康を時政に、真田幸村を佐々木高綱に、木村重成を三浦之助に、千姫を時姫に擬えての劇作だとあらかじめ聴きおけば、この荒唐無稽さもあらかたの納得はいく。
絹川村の段でトリを務めた九世竹本綱太夫の語り芸は、声に伸びは欠くものの変化に富み振幅の大きさは余人を許さず、いかにも庶民的な芸風だが好感の熱演。7月20日付の記事によれば、狂言の野村万作らとともに人間国宝にと文化審議会によって答申されたばかりというのもさもありなむの75歳。
「釣女」で大名の役を語った竹本文字久太夫の朗々とした声の伸び、加えて狂言の語り芸をよく研究したその調子はなかなかのものであった。昭和30年生れというからこの世界ではまだまだ中堅どころになるが、義太夫の次代を担う中軸と見えた。


昨夜は天神祭の鮒渡御で大川や中之島界隈は大変な賑わいだったろうが、此方は夕刻のひととき近所の加賀屋天満宮に幼な児を自転車に乗せて繰り出してみた。
この10年、近所にいながら初参りの天神さんは、瀟洒な本殿と左側に社務所、右横にはお稲荷さんと、奥行きもなくこじんまりしたもの。
狭い境内とて並ぶ屋台も20ほどか、まだ陽の明るい6時台は溢れるほどの人出もない。小一時間ほどの間に幼な児はかき氷を食し、三つほどのゲームに興じて、ひとときの夏の風物詩もこれにて落着、母親もそろそろ帰ってくる頃だと言い聞かせ、さっさと退散した。


その幼な児は、やはり2泊3日のお泊まり保育体験からこっち急に大人びた感がある。海辺の民宿で過ごした集団行動は、1泊だけならその限りの経験に終わっても、2日目となるとさまざまな行動が規律ともなって刷り込まれ強化される。
実際、付き添った保母さんから聞いたところによれば、1日目は行動プログラムのなにからなにまで受け身であった子どもらが、2日目にはだれかれとなく率先垂範、先取りしてどんどん動いていたという。
保育園への送り迎えの日々にそれとなく把握できることだが、彼女の属するいわゆる年長さんのクラスでは、ごく大雑把に見て、どうやら二つのグループに分かれているような節がある。彼女は10月生まれだが、4月や5月生まれの早い生れの子らとは、別のグループ形成をしているように見えるのだ。一律に当て嵌めることはもちろん危険だが、前期(4-9月)生まれと後期(10-3月)生れで大別できようか。
個人の成長リズムがそれぞれ固有でばらばらであるのも事実だが、やはり4月生まれと3月生まれのほぼ1年の差は、この時期ではまだまだ大きな差違となって表れる。その落差のちょうど中ほどに位置して、身長などは比較的早く伸びている彼女は無意識にではあろうが、後期派(?)の一群を自分のエリア、近しい仲間たちと受けとめているようなのだ。
お泊まり保育では、そういうことをより強め、いまなにをするべきか、大仰に謂えば集団のなかの規範性に目覚め、行動へと促す内面的な衝迫力がかなりの程度、それも一気に醸成されたものとみえる。


<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<恋-78>
 われはもや安見児得たりみな人の得難にすとふ安見児得たり  藤原鎌足

万葉集、巻二、相聞、采女安見児を捲き娶きし時作る歌一首。
邦雄曰く、歔欷と慟哭で蒼灰色に塗られた王朝恋歌の中に、万葉の相聞は、せめて三十首に二首、百首に七首、初々しい恋の睦言、歓喜の吐息が聞けるのを救いとするが、この鎌足の作ほど直線的に、天真爛漫に、得恋の喜悦を表明している歌も稀だろう。第二句・結句、共に「たり」で切れ、終始潔く力強い抑揚の颯爽たる響き、思わず拍手が贈りたくなる、と。


 かぎりなき思ひのままに夜も来む夢路をさへに人はとがめじ  小野小町

古今集、恋三、題知らず。
邦雄曰く、人目はうるさくて、忍びつつ通ってくる愛人をとやかく口の端に上せて非難する。夢、その恋の通い路を頼もう。この路を通って来てくれるのまで、他人が咎め、邪魔だてすることもあるまい。「かぎりなき思ひ」が、万感を込めて人に迫ってくる。「うつつにはさもこそあらめ夢にさへ人目も守ると見るがわびしき」もまた忍恋の切なさを歌う、と。


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思ひきや夢をこ世の契りにて‥‥

2007-07-25 10:04:48 | 文化・芸術
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-表象の森- 学校にメタファーとして沼を置く

「学校にメタファーとして沼を置く、深泥に伸ばす足の感触」

滋賀県の高校で数学を教える33歳の棚木恒寿という歌人の作。
教育現場に日々身を置く作者の、生徒達への関わりようが想われて清々しいものがあるが、失われた十年、’90年代に学生時代を送った世代の、「深泥に伸ばす足の感触」はどんなほろ苦い影を曳いているのだろうか。


-今月の購入本-
ドストエフスキー「カラマーゾフの兄弟 -4-」亀山郁夫訳・光文社文庫
ドストエフスキー「カラマーゾフの兄弟 -5-エピローグ別巻」亀山郁夫訳・光文社文庫
J.ジョイス「フイネガンズ・ウェイク -2-」柳瀬尚紀訳・河出文庫
レヴィナス「全体性と無限 -下」熊野純彦訳・岩波文庫
梅原猛「京都発見(七)空海と真言密教」新潮社
「DAYS JAPAN -14歳のための日本国憲法-2007/08」広河隆一編集・ディズジャパン
「ARTISTS JAPAN -22 狩野芳崖」デアゴスティーニ
「ARTISTS JAPAN -23 鏑木清方」デアゴスティーニ
「ARTISTS JAPAN -24 青木繁」デアゴスティーニ
「ARTISTS JAPAN -25 富岡鉄斎」デアゴスティーニ
「ARTISTS JAPAN -26 黒田清輝」デアゴスティーニ
「ARTISTS JAPAN -27 小野竹喬」デアゴスティーニ


-図書館からの借本-
「青木繁-海の幸」中央公論美術出版
「假象の創造-青木繁全文集」中央公論美術出版
「図説オリエント夢幻紀行」河出書房新社
「図説ペルシア」河出書房新社


<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<恋-77>
 思ひきや夢をこ世の契りにて覚むる別れを歎くべしとは  俊恵

千載集、恋二、題知らず。
邦雄曰く、かつては心のままに逢瀬を持った。満ち足りた恋であった。その人とは、此の世では、もう夢のなかでしか逢うことができない。目覚めはすなわち別れ。この歎きを見ようとは、いもかけなかったと、むしろ哀傷歌に近い恋歌である。死別を言外に歌っているのが、他の悲恋の作とは異なる点、僧侶の歌独特の無常観が流れており、忘れがたい、と。


 たのみありて待ちし夜までの恋しさよそれも昔のいまの夕暮  藤原為子

風雅集、恋五、恋の歌あまたよみ侍りけるに。
邦雄曰く、絶えて久しい別れ、もはや望みもない旧恋の類、あの頃は、それでもなほ心頼みにして待ってもいた。恋しさも、待つ心のある間、すべては今、遠い過去の、他人事に等しい「待宵」の記憶になってしまった。滾るような思いを堰きに堰いて、ただ一言「それも昔の」で、すべてを暗示する技倆、さすが為兼の姉だけのことはあると感嘆を久しくする、と。


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