山頭火つれづれ-四方館日記

放浪の俳人山頭火をひとり語りで演じる林田鉄の日々徒然記

たちどまれ野べの霞に言問はむ

2006-04-30 16:49:17 | 文化・芸術
Uvs0504200301

-今日の独言- 枕を替えよう

 そろそろ枕を替えたくなった。
<歌詠みの世界>として塚本邦雄の「清唱千首」を引きながら、独り言として気まぐれに枕を書く形を採ったのは昨年の10月6日からで、昨日まで166稿と別稿が14稿と、ほぼ毎日のように綴ってきたが、ずいぶんと陽気もよくなった所為か、そぞろ浮気の虫が頭をもたげてきたようである。
といっても心機一転というほどでもなく、ちょいと模様替えといった体。第一、千首のほうも本日分を含めて未だ334首だから、過半にも満たず完走からはほど遠いし、四季を一巡すらしていないので、まだまだ続けるべしと思う。そこで替えるべきは枕かと相成るのだが、さてどうするか、なお今夜一晩考えてみよう。


<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<春-60>
 たちどまれ野べの霞に言問はむおのれは知るや春のゆくすゑ
                                     鴨長明


鴨長明集、春、三月盡を詠める。
邦雄曰く、命令形初句切れ、願望の三句切れ、疑問の四句切れ、結句の体言止めという、小刻みな例外的な構成で、しかも霞を擬人化しての設問、好き嫌いはあろうが、めずらしい惜春歌として記憶に値しよう。晩夏にも「待てしばしまだ夏山の木の下に吹くべきものか秋の夕暮」が見え、同趣の、抑揚の激しい歌である、と。


 惜しむとて今宵書きおく言の葉やあやなく春の形見なるべき
                                     崇徳院


詞花集、春。
邦雄曰く、崇徳上皇下命、藤原顕輔選進の勅撰「詞花集」春五十首の末尾に「春の暮れぬる心を詠ませさせ給ひけるに」云々の詞書を添えて、この悲しみを含んだ丈高い一首は選ばれている。三月盡しゆえに「今宵書きおく言の葉」も痛切。千載集・春下に入選の「花は根に鳥は古巣に帰るなり春のとまりを知る人ぞなき」とともに、不朽の惜春歌である、と。


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匂ふより春は暮れゆく‥‥

2006-04-29 20:11:06 | 文化・芸術
N0408280121

-今日の独言- 吃又と浮世又兵衛

 浄瑠璃狂言「吃又(どもまた)」のモデルが「浮世又兵衛」こと江戸初期の絵師岩佐又兵衛だったとは思いもよらなかった。
岩佐又兵衛については先頃読んだ辻惟雄「奇想の系譜」にも「山中常盤絵巻」などが採り上げられ、その絢爛にして野卑、異様なほどの嗜虐的な画風が詳しく紹介されていたのだが、浮世絵の開祖として浮世又兵衛の異名をとった又兵衛伝説が、近松門左衛門の創意を得て「吃りの又平」こと「吃又」へと転生を果たしていたとは意外。
実在の岩佐又兵衛自身数奇の運命に彩られている。天正6(1578)年に生まれ、父は信長家臣の伊丹城主荒木村重と伝えられる。その村重が信長に反逆し、荒木一族は郎党・侍女に至るまで尼崎・六条河原で処刑虐殺されるという悲運に遭うのだが、乳母の手で危うく難を逃れたという当時2歳の又兵衛は、京都本願寺に隠れ母方の姓を名のり成長したという。京都時代は織田信雄に仕えたともいい、また二条家に出入りした形跡もあるとされる。元和元(1615)年頃、越前北ノ庄(現・福井市)へ移り、松平忠直・忠昌の恩顧を受けて、工房を主宰し本格的な絵画制作に没頭したと推測されている。忠直は家康の孫、菊池寛「忠直卿行上記」のモデルとなった人物だが、この忠直と又兵衛の結びつきも互いの運命の数奇さを思えば故あることだったのかもしれない。又兵衛はのち寛永14(1637)年には江戸へ下り、慶安3(1650)年没するまで江戸で暮らしたものと思われる。
徳川幕府の治世も安定期に入りつつあった寛永年間は、幕府権力と結びついた探幽ら狩野派の絵師たち、あるいは経済力を背景に新たな文化の担い手となっていった本阿弥光悦や角倉素庵、俵屋宗達ら京都の上層町衆らと並んで、数多くの風俗画作品を残した無名の町絵師たちの台頭もまた注目されるものだった。又兵衛はこの在野の町絵師たちの代表的な存在だったようで、彼の奇想ともいえるエキセントリックな表現の画調は、強化される幕藩体制から脱落していく没落武士階級の退廃的なエネルギーの発散を象徴しているともみえる。
「浮世又兵衛」の異名は又兵衛在世時から流布していたとみえて、又兵衛伝説もその数奇な出生や育ちも相俟って庶民のなかに喧伝されていったのだろう。近松はその伝承を踏まえて宝永5(1708)年「傾城反魂香(けいせいはんごんこう)」として脚色、竹本座で初演する。その内容は別名「吃又」と親しまれてきたように、庶民的な人物設定をなし、吃りの又平として、不自由な身の哀しみを画業でのりこえようとする生きざまで捉え直されている。


 実はこの浄瑠璃「吃又」については私的な因縁噺もあって、岩佐又兵衛=吃又と知ってこの稿を書く気になったのだが、思い出したついでにその因縁について最後に記しておく。
私の前妻の祖父は、本業は医者であったが、余技には阿波浄瑠璃の太夫でもあり、私が結婚した頃はすでに70歳を越えた年齢だったが、徳島県の県指定無形文化財でもあった。その昔、藩主蜂須賀候の姫君が降嫁してきたという、剣山の山麓、渓谷深い在所にある代々続いた旧家へ、何回か訪ねる機会があったが、その折に一興お得意の「吃又」のサワリを聞かせて貰ったこともあり、ご丁寧に3曲ほど録音したテープを頂戴したのである。余技の素人芸とはいえそこは県指定の無形文化財、さすがに聞かせどころのツボを心得た枯れた芸で、頂戴したテープをなんどか拝聴したものである。もうずいぶん以前、20代の頃の遠い昔話だ。
           ―――参照「日本<架空・伝承>人名事典」平凡社


<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<春-59>
 匂ふより春は暮れゆく山吹の花こそ花のなかにつらけれ  藤原定家

続古今集、春下、洞院摂政の家の百首の歌に。
邦雄曰く、関白左大臣家百首は貞永元(1232)年、作者70歳の4月、技法は華麗を極め、余情妖艶を盡し、老齢など毫も感じさせぬ力作がひしめく。咲いた途端に春に別れる山吹の不運、下句の秀句表現も颯爽。定家暮春の歌に今一首抜群のものあり。「春は去ぬ青葉の桜遅き日にとまるかたみの夕暮の花」、建保5(1217)年55歳の作、と。


 おもひたつ鳥は古巣もたのむらむなれぬる花のあとの夕暮  寂蓮

新古今集、春下、千五百番歌合に。
保延5年(1139)?-建仁2年(1202)。俗名藤原定長。俊成の兄弟醍醐寺の阿闍梨俊海の子で、俊成の養子となる。従五位下中務小輔に至るも、後に出家。御子左一門の有力歌人。六百番歌合にて六条家の顕昭と論争。和歌所寄人。新古今集の選者となるも途中で歿。千載集以下に117首。


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見てのみぞおどろかれぬる‥‥

2006-04-28 23:59:12 | 文化・芸術
0511290491

-今日の独言- 象が来た日

 一説に今日は象の日だという。時は江戸期、徳川吉宗の享保14(1729)年のこの日、交趾国(現ベトナム)から日本に渡来した象が中御門天皇に披露され、さらには江戸へと運ばれ、翌5月27日には将軍吉宗に献上披露されたというが、日本に初めて象がやってきたのはもっと時代を遡る筈だとググッてみると、「はじめて象が来た町」と名乗りを上げているサイトがあった。若狭湾の小浜である。応永15(1408)年というから300年以上遡るが、南蛮船に乗ってやってきた象は京都へと運ばれ、室町幕府の将軍義持の閲覧に供されたらしい。文献もあるということだから事実だろう。
それから以後も、天正2(1574)年には明国の船で博多へ上陸。翌天正3(1575)年にも同じく明国の船で豊後白杵の浦に。次に慶長7(1602)年に徳川家康へ献上されたという象は、吉宗の時と同様、交趾国からだったというから、享保の時はなんと5回目だった訳だ。
悉達多(釈迦)の誕生説話でも、母の摩耶夫人が胎内に入る夢を見たのは白象だし、仏教絵画に出てくる帝釈天たちが乗っているのも白象だから、濃灰色の実際の象を見た当時の人々はその巨体に驚きつつもさぞ面食らったことだろう。


<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<春-58>
 憂しや憂し花匂ふ枝(え)に風かよひ散り来て人の言問ひはせず
                                      頓阿


続草庵和歌集、物名。
正応2(1289)年-応安5(1372)年、俗名二階堂貞宗。二階堂家は藤原南家の末裔、代々鎌倉幕府の執事を務めた。二条為世から古今伝授を受けたと伝えられる。続千載集初出、勅撰入集は49首。
邦雄曰く、楽器尽くしの歌で、一首の中に「笙・笛・篳篥(ひちりき)・琴・琵琶」の五種が詠み込まれている。古今集以来、勅撰集には欠かせぬ言語遊戯だが、この歌、新拾遺集では「詠み人知らず」で入選、家集では管弦尽くしを含めて20首が見える、と。


 見てのみぞおどろかれぬる鳥羽玉の夢かと思ひし春の残れる
                                     源実朝


金塊和歌集、春、屏風に春の気色を絵かきたる所を夏見て詠める。
鳥羽玉(ぬばたま)の-黒や夜、髪、またその複合語や関連語に掛かる枕詞、「むばたまの」に同じ。
邦雄曰く、息を詰めるかの二句切れ、結句また連体止めを繰り返し、低い歎声を洩らす第三・四・五句。金塊集中、悲運の天才実朝の個性横溢する、春を偲ぶ作品。しかも詞書通り、一種奇妙ともいえる動因がある、と。


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ながむれば思ひやるべき方ぞなき‥‥

2006-04-27 14:10:24 | 文化・芸術
0511270991

Information<Shihohkan Dance-Café>

-四方のたより- Memo for Dance Café

-表象する身体-舞踊性としての

<身体-意識-表象>

自分自身を見いだすこと、感覚と相即するもののうちに
  ゆすり・ふり-ゆり・ゆられ


カラダの壁-骨と関節からくる限界を知覚すること

意識とは<まなざし>
  身体の内部へのまなざし、身体の外部-空間-へのまなざし


Correspondence-照応する表象-
  相互滲透する表象-同化
  こだまする、響きあう
  応答する、反響、反転、対照、-そして異化へと


Improvisation-即興-
  偶然とたわむれ、偶然をあそぶこと
   さらには語矛盾ながら、
  偶然を統御-コントロールする、反転し、構築へと向かう。


<まなざし(志向性)-表象としての空間
                 -象徴化・シンボル化-時空のリズム>


<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<春-57>
 つくづくと雨ふる里の庭たづみ散りて波よる花の泡沫(うたかた)
                                    鷹司清雅


風雅集、春下、閑庭落花を。
弘安7(1284)年-正慶2(1333)年、関白藤原師実の裔。京極派歌人、玉葉集・風雅集に各2首入集。
邦雄曰く、庭の溜り水に浮かぶ落花、晩春の雨がその上に降りそそぎ、雨脚と風に波立つ。ありふれたようで、古歌にはめずらしい新味のある作。風雅集ならではの発見だ。この歌の前に永福門院内侍の「散り残る花落ちすさぶ夕暮の山の端うすき春雨の空」あり、共に秀逸、と。


 ながむれば思ひやるべき方ぞなき春のかぎりの夕暮の空
                                   式子内親王


千載集、春下、弥生のつごもりに詠み侍りける。
邦雄曰く、家集の萱斎院御集にも、心を博つ惜春歌は少なからず見られるが、千載集にのみ残るこの一首「春のかぎり」は、作者最高の三月盡であろう。第二句・三句の勢いあまったかの句跨りと第四句の強く劇しい響きが重なって、この抽象世界が、意外に鮮明に、人の心の中に映し出される。後鳥羽院口伝中の「もみもみとあるやうに詠まれき」の一典型、と。


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花の上の暮れゆく空に響ききて‥‥

2006-04-26 14:38:08 | 文化・芸術
0505120221

Information<Shihohkan Dance-Café>

-今日の独言- 公序良俗

 住友金属工業の女性差別訴訟が大阪高裁で和解の成立をみた。原告側の勝訴に等しい和解だ。これより先、住友電工と住友化学のにおいても同様趣旨の訴訟が同時進行され、すでに2年前に原告側の勝訴的和解をもたらしており、十年余に及んだ住友グループの男女差別訴訟はやっと幕引きとなった訳だ。
彼女たちの闘争の記録は、その名も「公序良俗に負けなかった女たち」と題され、昨年6月に明石書店から出版されている。本書の監修にあたった宮地光子主任弁護士は、この闘いの争点たる判断基準が憲法や男女雇用機会均等法ではなく、民法90条「公ノ秩序又ハ善良ノ風俗に反スル事項ヲ目的トスル法律行為ハ無効トス」と規定する「公序良俗」にあり、この古色蒼然の曖昧模糊たる規範概念こそが突破すべきキーワードであったとの趣旨をそのまえがきにおいて伝えているが、問題の本質を喝破した言で大いに肯かせてくれるもの。


<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<春-56>
 今見るは去年(こぞ)別れにし花やらむ咲きてまた散るゆゑぞ知られぬ
                                    夢窓疎石


正覚国師御詠、華を見給ひて。
邦雄曰く、生き変わり死に変わって無明のうつつを通す人、さて、眼前に見る桜にしても、去年儚い別れをして散り失せたあの花、今年もまた散る、来年も咲き変わる。そのゆえ由を誰が知ろうと、駄々をこねるような口調で言い放つ。釈教歌臭は些かもない、と。


 花の上の暮れゆく空に響ききて声に色ある入相の鐘  伏見院

風雅集、春中、題知らず。
邦雄曰く、空は空でも花の上の空は一種の聖域であろう。淡紅にうるみ、時には金色にさざなみ立つ。夕暮の鐘さえもその響きが、この聖域の空に届き、通り過ぎるときは桜色に染まる。それにしても「空に色ある」とは喝采に値する秀句表現。暮春の晩鐘詠も少なくないが、これにかなう作はあるまい、と。


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