山頭火つれづれ-四方館日記

放浪の俳人山頭火をひとり語りで演じる林田鉄の日々徒然記

さかづきに梅の花浮け‥‥

2007-03-17 11:38:31 | 文化・芸術
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-四方のたより- そろそろ御輿を

左の肩鎖関節脱臼で、肩口から鎖骨へと差し込まれていたピンを、医者はあと1週間は置いておこうと言うのを、無理強いするように抜いて貰ったのが先週の金曜日(9日)のことで、その前からそろりそろりとリハビリをしていたから、今ではかなり動かせるようになっている。
とはいうものの、まだ頭上に挙げることも、横へと伸ばしきることもできないでいるのだが、体内の異物が取り除かれたからだろう、日に日に快方に向かい、腕の可動範囲の増すのがはっきりと自覚できる。
あとは自身のからだの潜在能力、自然治癒のリズムにあわせながら動かしていくのがよいのだろう。


今年の上半期には、ふたつの公演機会をもてそうだ。
一つには、5月の連休のすぐあと、フェスティバルゲートにあるDance-Boxで、
Shihohkan Improvisation Stageを。
二部構成を想定しているのだが、それぞれを
「KASANE - 襲 -」
「NOIR, NOIR, NOIR」 と仮題する。


もう一つは、とうとう三年ぶりとなってしまったが、
「うしろすがたの‥ 山頭火」
これはありがたいことに、神戸学院大学の伊藤君(文芸学部の教授)が招聘してくれるものだが、
学生相手の学内上演だから、学外の人たちに御目文字は叶わないこととなる。
せっかく仕込むのだから、外向けに、谷町劇場あたりで演るのもわるくないのだが、
そうするとカネの負担も重くなりそうだから、どっこいまだ決めかねているって訳だ。
の道楽も、所詮カネが仇のこの世では、そうそうは思うに任せぬて、いかさま厄介なことではある。


<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<春-63>
 さかづきに梅の花浮け思ふどち飲みての後は散りぬともよし  大伴坂上郎女

万葉集、巻八、冬の相聞。
邦雄曰く、いざ酌まむ、いざ干さむ梅花杯、春は来たれりと、老若相集い、飲み明かす趣き、一首に漲り渡って、爽快かつ雄大、坂上郎女の個性が横溢している。作者は旅人の異母妹であり、また旅人の死後は大伴一族を束ねる女傑的存在。大胆かつ奔放な恋歌にも特色はあるが、「思ふどち」と呼びかける趣き、「散りぬともよし」の潔さ、まさしく朗々誦すべき作品、と。


 さ夜深き月は霞に沈みつつそこはかとなき世のあはれかな  伏見院

伏見院御集、春月。
邦雄曰く、春夜の眺めが。結句で一転してこの世に、ひいては人生への深い感懐となるところ、玉葉集を選進させた京極派の帝王歌人ならではの見事な技法。第92代天皇で父帝は後深草。53才の崩御だが、玉葉・風雅を初め勅撰集には295首入選、歴代天皇中首位、次位の後鳥羽院を遙かに越え、閑雅秀麗な歌風は永福門院とともに絶後である、と。


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わが園に梅の花散る‥‥

2007-03-12 15:51:54 | 文化・芸術
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-表象の森- 熊野純彦の「西洋哲学史」

良書である。著者独特の語り口がいい。
――やわらかな叙述のなかに哲学者たちの魅力的な原テクストを多数散りばめつつ、「思考する」ことそのものへと読者を誘う新鮮な哲学史入門――と、扉にうたわれるように、採り上げられた先哲者たちの思考を、著者一流の受容を通して、静謐な佇まいながらしっかりと伝わってくる。
岩波新書の上下巻は、「古代から中世へ」、「近代から現代へ」とそれぞれ副題された哲学史、著者自らがいうように「確実に哲学そのもの」となりえていると思われる。
折にふれ再読を誘われる書。その章立ての構成を記しておこう。


「古代から中世へ」
1-哲学の資源へ
  「いっさいのものは神々に充ちている」-タレス、アナクシマンドロス、アナクシメネス
2-ハルモニアへ
  「世界には音階があり、対立するものの調和が支配している」-ピタゴラスとその学派、ヘラクレイトス、クセノファネス
3-存在の思考へ
  「あるならば、生まれず、滅びない」-パルメニデス、エレアのゼノン、メリッソス
4-四大と原子論
  「世界は愛憎に満ち、無は有におとらず存在する」-エンペドクレス、アナクサゴラス、デモクリトス
5-知者と愛知者
  「私がしたがうのは神に対してであって、諸君にではない」-ソフィストたち、ソクラテス、ディオゲネス
6-イデアと世界
  「かれらはさまざまなものの影だけを真の存在とみとめている」-プラトン
7-自然のロゴス
  「すべての人間は、生まれつき知ることを欲する」-アリストテレス
8-生と死の技法
  「今日のこの日が、あたかも最期の日であるかのように」-ストア派の哲学者群像
9-古代の懐疑論
  「懐疑主義とは、現象と思考を対置する能力である」-メガラ派、アカデメイア派、ピュロン主義
10-一者の思考へ
  「一を分有するものはすべて一であるとともに、一ではない」-フィロン、プロティノス、プロクロス
11-神という真理
  「きみ自身のうちに帰れ、真理は人間の内部に宿る」-アウグスティヌス
12-一、善、永遠
  「存在することと存在するものとはことなる」-ボエティウス
13-神性への道程
  「神はその卓越性のゆえに、いみじくも無と呼ばれる」-偽ディオニソス、エリウゲナ、アンセルムス
14-哲学と神学と
  「神が存在することは、五つの道によって証明される」-トマス・アクィナス
15-神の絶対性へ
  「存在は神にも、一義的に語られ、神にはすべてが現前する」-スコトゥス、オッカム、デカルト


「近代から現代へ」
1-自己の根底へ
「無能な神の観念は、有限な<私>を超えている」-デカルト
2-近代形而上学
  「存在するすべてのものは、神のうちに存在する」-スアレス、マールブランショ、スピノザ
3-経験論の形成
  「経験にこそ、いっさいの知の基礎がある」-ロック
4-モナド論の夢
  「すべての述語は、主語のうちにすでにふくまれている」-ライプニッツ
5-知識への反逆
  「存在するとは知覚されていることである」-バークリー
6-経験論の臨界
  「人間とはたんなる知覚の束であるにすぎない」-ヒューム
7-言語論の展開
  「原初、ことばは詩であり音楽であった」-コンディヤック、ルソー、ヘルダー
8-理性の深淵へ
  「ひとはその思考を拒むことも耐えることもできない」-カント
9-自然のゆくえ
  「私はただ私に対して存在し、しかも私に対して必然的に存在する」-マイモン、フィヒテ、シェリング
10-同一性と差違
  「生命とは結合と非結合との結合である」-ヘーゲル
11-批判知の起源
  「かれらは、それを知らないが、それをおこなっている」-ヘーゲル左派、マルクス、ニーチェ
12-理念的な次元
  「事物は存在し、できごとは生起して、命題は妥当する」-ロッツェ、新カント派、フレーゲ
13-生命論の成立
  「生は夢と行動のあいだにある」-ベルクソン
14-現象の地平へ
  「世界を還元することで獲得されるものは、世界それ自体である」-フッサール
15-語りえぬもの
  「その書は、他のいっさいの書物を焼きつくすことだろう」-ハイデガー、ウィトゲンシュタイン、レヴィナス


<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<春-62>
 心あらむ人に見せばや津の国の難波のわたりの春のけしきを  能因

後拾遺集、春上、正月ばかりに津の国に侍りける頃、人の許に言ひ遣はしける。
邦雄曰く、摂津の昆陽、古曽部あたりには、20代半ばで出家して以来、能因が居を定めていたところだ。鴨長明はこの一首を、無名抄に「能書の書ける仮名の「し」文字の如し」と評した。書に堪能な人の筆法に似て、さして目に立つ技巧も見所もないのに、その自在なのびやかな姿は類がないとの意である。詞書の「人」こそ「心あらむ人」だろうか、と。


 わが園に梅の花散るひさかたの天より雪の流れ来るかも  大伴旅人

万葉集、巻五、雑歌、梅花の歌三十二首。
邦雄曰く、天平2(730)年正月13日に、当時65歳の旅人の家の宴に、主客が園の梅花に題して歌ったという名文の序あり。32首中、主人のこの二句切れの燦然たる一首が、あたりを払ふ美しさだ。以前にも以後にも類歌は多いが、調べが比類を絶する。当時の最も新しい「和漢洋才」の一典型。筑紫太宰府にあり、逸速く漢詩を体得している証歌であろう、と。


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梅の花ただなほざりの袖の香に‥‥

2007-03-08 18:42:54 | 文化・芸術
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-世間虚仮- 祝祭空間としての選挙

選挙が近い。戦後の昭和22年から数えて16回目となる統一地方選挙だ。
東京の都知事選には、前宮城県知事の浅野史郎が関係者をやきもきさせた挙げ句やっと出馬を表明。後出しジャンケンと揶揄する向きもあるが、決意に至るまでの心の揺れはかなり率直に表れていたとみえる。これを追ったマスコミの過度の露出は計算外の功を奏して、三選をめざす石原慎太郎の対抗馬に躍り出た感がある。
先に表明した黒川紀章の出馬宣言には唖然とさせられた。慎太郎の三十数年来の親友だと言い、「彼の三選を阻止し、花道をつくってやる」と曰ったのには、世界に冠たる建築家として一芸に秀でた者の、風狂心や諧謔精神からならば喝采を贈りたいところだが、それが真っ向大真面目なだけにとても正視に耐えないものがあった。
共産党が推す元足立区長の吉田万三もいて、オリンピック招致から格差や福祉と争点にもこと欠かないから、都民の関心も高まるだろう。
おまけに宮崎県知事となったそのまんま東ブームがなお去りやまぬまま選挙本番へと突入しそうだから、東京以外の各地方選挙へも波及、相乗効果ともなって全国的に少なからずヒートアップするかもしれぬ。
私の生まれ育った西区においても波乱含みの波風が立つ。ひょっとすると異変が起こるかもしれない。
大阪市議選だが、定数は2で、現在はどちらも自民。9期という長きを務めあげた古参がやっとこさ引退して、二世候補が名のりをあげる。
もう一人は前回新人で当選した若手だが、この人、4年前は自民ならぬ自由党推薦だったのに、当選してしまうと、会派も組めない一匹狼は仕事もできないと、ちゃっかりさっさと自民へと鞍替えした。どちらの候補も30代半ばだが、このあたりの世代は機を見て敏なのか利に聡いのか、いまどき転向論など遠い過去の遺物と百も承知だが、六十路の私などにはどうにも腹ふくるるわざと映る。
自民独占の2議席に、共産党は世代交代と新人候補を出す模様だが、これだけでは波乱含みとはいえず無風選挙となること必至のところへ、「こんなの放っとけない」と、御年60歳になる婦人が手を挙げた。団塊世代のオバチャンパワーであるが、この人、私の旧知の友人の夫人だから、此方も「放っとけない」始末になりそうで心落ちつかないものがある。
権力ゲームの「権力」のほうにはなんら関わり合いたくない私だが、「ゲーム」に遊ぶ風狂の心はなお消えやらぬのも私である。この「ゲーム」はその一回性において、のそれと相い似たものだから、春の陽気にも誘われて気もそぞろと、なかなか始末に負えないのだ。


戦後60余年、統一地方選挙の投票率の推移をひさしぶりに眺めてみる。
昭和22年の第1回、知事-71.85%、都道府県議-84.55%、市区村長-72.69%、市区村議-81.17%
昭和26年の第2回、知事-82.58%、都道府県議-82.99%、市区村長-90.14%、市区村議-91.02%
昭和30年の第3回、知事-74.85%、都道府県議-77.24%、市区村長-83.67%、市区村議-80.99%
と、総じて朝鮮動乱の翌年にピークをなして、1回目と3回目はほぼニアリーといってもいいだろう。昭和34年の第4回はもう一度小幅に上げて、それ以降は低落曲線を描いてゆく。前回の平成15年は軒並み50%台だ。


権力ゲームたる選挙もまた一種の通過儀礼にはちがいない。それは選挙の洗礼を受ける候補者にとっても、これを選出する県民・市民にとってもご同様だ。全国津々浦々、あげて通過儀礼とあらばこれまた祝祭空間と化すものだが、昭和20年代、30年代、そのマグマは熱くとぐろを巻いていたのだろう。あるいはおしなべて誰もが見えぬ先を直視したかったのだろう。
「見るほどのことは見つ」と発して瀬戸内の海へと身を投じたのは、平家物語の平知盛だが、取り返しのつかぬ十年を経てきたこの平成の御代に5割台の投票率は、見るほどのことを誰もが見えているとも思えぬし、見えぬ先に誰もが望みも潰えてしまっているとも思えぬ。いやむしろ、宮崎駿の世界を評して村瀬学が用いた「腐海」のイメージのごとく、われわれの棲む此の世もすでに「腐海」と化しているゆえに、視覚は奪われもはや見ることなど叶わず、ただ皮膚感覚に任せ漂うしかないというのが、現実の似姿なのかもしれぬ。
権力サイド、既存勢力の連中にとっては、選挙という権力ゲームが過熱し祝祭化するなど誰も望まない。投票率など低迷していてこそ万事好都合、彼らの安泰を約束してくれる。大半の無党派層と呼ばれる人たちがこぞって投票に行くなどと、昔の「ええじゃないか」ではあるまいに、そんなお祭騒ぎなどもってのほかなのだ。
腐海は腐海のままに、澄まず清めず、かといって死の海とならぬように、だ。


<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>
この「清祥千首」シリーズは、冬120首をすべて記して、やっと2度目の春を迎える。

<春-61>
 梅の花ただなほざりの袖の香に飽かぬ別れの夜半の山風  藤原秀能

如願法師集、春日詠百首応製和歌、春。
邦雄曰く、建保4(1216)年、秀能32歳壮年の歌。恋の趣濃厚で、花と人との重なりあう味わいは格別。武者歌人らしく、調べが清冽で、速度のある下句、切って捨てたような結句が印象的だ。彼は同じ百首の中の桜も「来ぬ人を明日も待つべきさむしろに桜吹きしく夜半の山風」と相聞歌風に仕立てた。多情多感な青年であり、後鳥羽院の寵を一身に集めた、と。


 さ夜ふけて風や吹くらむ花の香のにほふ心地の空にするかな  藤原道信

千載集、春上、題知らず。
邦雄曰く、宵闇に作者は端座瞑目する。遙かな闇に満開の梅が枝を差し交わしているのだろう。その花々が風に揺れ、香りが流れる。座にあって、作者はその気配を鋭く感知する。太政大臣為光の子、歌才に恵まれながら、10世紀近く、22歳で夭折した。「いみじき和歌の上手にて、心にくき人にいはれ給ひしほどに、うせ給ひにき」と大鏡は伝えている、と。


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ひととせをながめつくせる朝戸出に‥‥

2007-03-05 15:37:07 | 文化・芸術
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-表象の森- 流し雛

一昨日(3日)の夕刻、加太淡島神社の流し雛の模様がTVのニュースで伝えられていた。
全国各地の家庭から用済みとなって社へ奉納された雛たちがうずたかく積まれた白木の小舟が3艘、細いロープにつながれて瀬戸内の海へとゆらりゆらり漂い流れていく。


 「知らざりし大海の原に流れ来てひとかたにやはものは悲しき」
源氏物語「須磨」の巻、弥生のはじめの巳の日に、須磨の海辺にて禊ぎをせんとて、陰陽師にお祓いをさせた際、「舟にことことしき人形乗せて流す」のを見て源氏が詠んだ歌だが、流されゆく人形に流謫のわが身を重ねている。


「ひとがた-人形」を水に流して災厄を祓おうとするこの風習を、流し雛の源流とする説もあれば、これを否定する説もある。
また同じ頃、宮中にあって貴族の子女たちに親しまれた「ひいな遊び」が雛祭りの原型ともされるが、手許の「こよみ読み解き辞典」(柏書房刊)によれば、源氏物語「須磨」の故事などを流し雛の源流と捉え、この撫物の人形がしだいに精巧なものになり、やがて雛人形となり、人々に愛玩・観賞されるようになり、雛祭りとして定着していったとある。
この説を採るならば、「ひいな遊び」が雛祭りの原型というより、むしろ厄払いの流し雛の風習に傍筋として影響したくらいにみるべきかと思われるが、実際のところは諸説あって判然としない。
俳諧における季語の来歴に照らせば、「雛祭り」がむしろ先行していて、「流し雛」のほうはかなり遅れてみえるというから、これを傍証とすれば源氏物語などの故事源流説は否定されてしまうことになるが、果たしてそうだろうか。


いずれにせよその判断は好事家たちの読み解きに委ねおくとして、些か気にかかるのは、流し雛の風習が昭和の末頃から一種の復古ブームともなって、全国各地にひろまっているということだ。
TVで伝えられた淡島神社の流し雛も、今日のような大層な体裁を採るようになったのはずいぶん新しく昭和37(1962)年だそうで、それまでは神社で祈祷を受けたひとがたや人形を個人がそれぞれ海へ流していたという。
平安朝絵巻よろしく古式に則り華やかに厳かに繰りひろげられて観光スポットになっている下鴨神社の場合などは、平成元(1989)年に復古されたものだというから、ブーム便乗型もはなはだしい典型といえそうだ。


<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<冬-60>
 薮がくれ雉子のありかうかがふとあやなく冬の野にやたはれむ  曾禰好忠

好忠集、毎月集、冬、十一月はじめ。
邦雄曰く、これは宮人の狩りではない。俗人が近所の草藪竹薮にひそんで、雉子(きぎす)-キジを狙っている図。本人は至極真剣なのだが、よそめには、むやみに冬枯れの原で戯れて時を過ごしているように見えるだろうと、ややはにかんで、なかば弁明気味に歌っているのが殊の外面白い。好忠の巧まぬ諧謔は、通俗すれすれのところで思わぬ清新な味を生む。結句は反語表現、と。


 ひととせをながめつくせる朝戸出に薄雪こほる寂しさの果て  藤原定家

邦雄曰く、定家31歳、天満空を行く技巧の冴えを見せる六百番歌合百首の中でも、「薄雪こほる寂しさの果て」は比類のない秀作だが、新古今以後いずれの勅撰集からも漏れている。盲千人、判者の俊成さえ「雪も深くや侍らむとこそ覚え侍るを」などと見当違いなことを言い、珠玉の結句は方人達の非難の的となった。名作も評価されるとは限らない、と。

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降る雪に霞みあひてや到るらむ‥‥

2007-03-02 15:47:14 | 文化・芸術
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-世間虚仮- 夢のあと

夢を見ていた
それが途切れるようにして、夜中に眼が覚めた
親父の夢だった
そういえば、この10日には
母親の七回忌と、父親の三十三回忌の法要が予定されている
夢のなかの親父は
‥‥彼はたしか満63歳で死んだ筈だが
わたしの知るかぎりにおける、若い親父だった
といっても、33歳のときの子としては
40歳前後の親父の姿しか想い描きようもないのだけれど
記憶にのこる親父の姿に
たのしかったとか、おもしろかったとか
そんな懐かしくも微笑ましいような絵面など、なにもない
なにしろ、子どもらと一緒になって遊ぶような親父では
けっしてなかったのだから


夢から覚めたあと
その夢を反芻しつつ
さらには、その近傍の記憶をいくつか手繰りよせながら
ある一事を考えていた
なぜ、いまさら、そんなことを考えてみなければならないのか
まったく理由はわからないのだが
まるで夢のつづきのように
あれこれ想い起こしては、そのことを考えてみた
―― それで、腑に落ちた
そのこととは
子どものわれわれには、まったくあずかり知らぬことで
親父が、ひとり、自分でしただけのことだが
ずっと後になって、なぜそんなことをしたのか
また、することができたのか
そこいらが、子どものわれわれには
いささか不条理ともいえ、無謀ともいえそうな
われわれの理解をこえたものだった
―― それが、夢から覚めたあと、腑に落ちた


そういえば、私も
7月がくれば、63歳になるのだった


<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<冬-59>
 時雨さへ阿逹の原となりにけり檀の紅葉もろく散る頃  堯孝

慕風愚吟集、応永二十八年十一月、玉津島社毎月法楽の百首に、冬、阿逹原。
檀(まゆみ)-栴檀、白檀、黒檀など、落葉する喬木。
邦雄曰く、古歌の紅葉はおしなべて楓紅葉、あるいは漠然と雑木の紅葉を指すようだが、堯孝の歌は、とくに冬の美しさで名のある檀を選んでいるだけでも、記し止めて然るべきだ。結句の「もろく散る頃」も的確で鋭い。冬「浮島原」題の「ひと群の見えしもいづこ波の上に雪ぞさながら浮島の原」も地味ながら印象に残る。阿逹は安達、奥州の著名な歌枕、と。


 降る雪に霞みあひてや到るらむ年行き違ふ夜半の大空  恵慶

恵慶法師集、つごもりの夜、年の行き交ふ心、人々よむに。
邦雄曰く、古今・夏巻軸に「夏と秋と行き交ふ空の通ひ路は」があり、貫之集にも「花鳥もみな行き交ひて」が見えるので、発想は必ずしも新しくはないが、すれちがいも季節ではなく、逝く年来る年となるとスケールも大きく、堂々たる調べが生まれる。その不可視の「時間」に、現実の雪がまつわって霞むとしたところに、この歌独自の愉しさを感じる、と。


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