ブラックフェイス手帳

中央線201系 最後の軌跡

12月6日(日)役目を終えた踏切へ

2009-12-07 | 中央線201系(H21.8.21~)
 新しい上り線はいつでも見られるので、長年、開かずの踏切と言われ続けた踏切を見ておくことにした。



 まずは小金井街道へ。
 遮断機は早くも取り外されていた。
 小金井街道は昨日までと違ってクルマがスムーズに動いていたが、その代わり、この道路を横断するのが難しくなった。





 気になる名所は・・・閉鎖されていた。



 ふたたび小金井街道に戻り、歩道橋に登って、H4編成を狙ってみた。
 平成15年9月の切替前日の午後も、同じ場所から仮線・本線を撮ったが、一般市民もお祭り騒ぎのように写真を撮っていた。
 そのときに比べると静かだ。
 一般市民も「最後の日」の方が集まるようだ。

 そのとき、私の隣にいたおばさん連中は「明日から高架になるんだって」「へぇ」などと、思わず吹き出すような話をしていたが、いまどうしているのだろうか。



 行き交う人々はいったん踏切の上で立ち止まる。
 自転車に乗ったおばさんは「なんだかさびしいねぇ」。
 「電車はどこにいっちゃったの?」と父親に尋ねる子供。


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 武蔵小金井駅のホームに上がると、2番線始発の東京行きがとまっていたので見送ることにした。



 天文台踏切跡


 境西踏切跡



 踏切名称、位置を記した表示はなくなっていた。
 さらに高架化後のイメージ図も撤去されていた。




 えっ・・・そうなんですか???

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 東小金井駅の下りホームは2番線から3番線に変わった。




 顔は柱の間に納まったが、後ろが切れてしまった。 
 気になるのは柱の「かけこみ注意」の文字。
 東京方の階段を上ったところの柱2本にもこの文字があるのだが、この写真の一番右の柱だけが、文字が傾いている。

 この柱から文字を貼り付けたところ失敗してしまったので次から注意した・・・ということなのか、意図的にくねらせたのかわからないが、このような張り方の方が「あわてちゃダメ!」って感じがしてよい。



 高架完成後のイメージ図に201系が並んだ絵があったが、早速実現。

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 国分寺を出ると、22パーミルの坂を上ることになった。

12月6日(日)切替完了後の朝

2009-12-07 | 中央線201系(H21.8.21~)
 朝は早起きして・・・という計画はあり、4時ころに目は覚めたが、どうせ201系が上り高架を通過するのは8時以降だろう、さらに根拠はまったくないが、H4編成も早い時間には出てこないだろう・・・と布団の中で予想し、ゆっくりと家を出た。

 早出した場合は京王線で新宿か吉祥寺に向かう予定だったが、まっすぐ中央線で出陣。



 H7編成が71Tで動いているようなので日野で待機。
 川面に霧がかかった多摩川を渡ってやってきた。

 ふと、西の山々に目をやると、まだらに白くなっている。
 昨日、平野部では雨だったが、奥多摩の方では雪が降ったようだ。

 そうとなれば多摩川で撮ろうかなと誘惑に駆られたが、迷ったり欲張るとロクなことがないので、三鷹に高架に向かうことにする。



 三鷹で下車すると、お礼の掲示があった。
 改めて無事終わったんだなぁと思う。
 平成15年9月以来、中央線の切替工事後の朝は、当事者ではないものの、少々ドキドキする。



 高架区間からH7編成が下りてきた。
 仮線のレールは残っているが、やがて撤去される日がやってくる。



 三鷹駅に戻り改札を入ると、前夜まで中央線の運休案内パンフが置かれていたラックが様変わりしていた。
 端っこに「マスコミでも話題!」と書いてある。
 少し前に私の読んだ新聞には、高速道路1000円料金で乗客を奪われ、しびれを切らしたJRが年末年始に格安きっぷを売り出すと書いてあった。
 そんな背景から生まれたきっぷだとすると、素直に喜べないきっぷである。

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 H7編成の下りは東小金井の新ホームから撮ってみた。