「志摩」は、文政3年(1820年)に建てられたお茶屋の建物で、
典型的なお茶屋のつくりを、江戸時代から現在までそのままに残して、
学術的にも貴重な文化遺産として、高く評価されています。
文政3年に建てられたままの、約200年前のお茶屋は、2階だけを客間として用い、
道路側から、「前座敷」「なかの間」「ひろ間」「はなれ」となっています。
この「なかの間」以外のいずれの間も、
必ずひかえの間がついていて、ひかえの間が演舞の間になります。
お客が、床の間を背にして座ると、その正面が必ず控えの間になって、
そこが演舞の場となり、ふすまが開くと同時に、
あでやかな舞や、三弦などの遊芸が披露されたそうです。
いつもこの部屋で、時間をとって、ふーっとその時代の音がきこえてくるような感触を味わいます。
この部屋が1番好き。何度きてもそう思います。
上は、典型的なお茶屋の庭です。この庭を囲むように、部屋が出来ているので、
2階のどの場所からも、この庭を見下ろすことが出来ます。
ここでもそうですし、金沢のいろいろな場所で、必ずいただくのがお抹茶。
一応、基本のお点前は出来るので、実家にいるときは、自分で簡単にお茶をたてることもあり、
受験の頃などは、よく妹と2人で、キャーキャーお互いにたてていましたね。懐かしい。
一口、お抹茶をいただくと、シャキッと背筋が伸びる感じです。
やっぱりいいなあ。
この’志摩’は、いつ行っても、人が大勢いることはなく、
お抹茶は、いつも静かにいただけますね。
ここは、琴、三弦、舞、謡曲、茶の湯から和歌、俳諧まで、
客、芸妓ともに、幅広く高い教養と技能が、要求されて、
その文化が花開いた場所です。
他にも、簪(かんざし)や鼈甲(べっこう)櫛や象牙櫛など、贅沢を極めたお道具類が並んでいて、
加賀百万石の城下町の茶屋街の様子がうかがえます。
東茶屋街に行かれたら、是非’志摩’の中、ご覧くださいね。
このシリーズ!も伸びてしまって、4回になりました!
明日は、’こころの道’から金沢の鬼門、宝泉寺です。
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