とてもいい番組をやっていた。
11日(日)フジテレビ「新報道2001」
朝7時から「ボクらの時代」(来週まりこさんですねう、うれしい)
そして、
現在の学校教育を考える賢人会議。
出演者は、世界的建築家の安藤忠雄さん、作家・元小学校教諭、乙武洋匡さん、経済評論家、宗 文洲さん、
慶応教授、清家 篤さん、京都造形芸術大学教授、寺脇 研さんの5人。
気持ちのいい意見がポンポン飛び出す。
~自分を知る事によって他人を知る~
~生きていく力とは、教えらるものと教えられないものがある~
~好きな事は生きるエネルギーだ~
~個性、個性というけど、
今は、親も先生も、文部省の役人も個性がないのに、
個性を求めようとしてもダメだ~
本当にそう思う。
~以心伝心は通用しない~
この間結婚した、私の第1号の生徒ちゃん、かわいいかわいいみえちゃんを、
連れて、アメリカフィラデルフィア郊外、チェヒ―音楽学院の夏期講習に2週間参加した時のこと、
日本人は彼女一人。中1で英語も習いたてで、でも講師陣の私達と別で、
たった一人、慣れない英語の中に飛び込んだみえちゃんは、
そのたくましい生命力で、すぐアメリカ人になじみ、
最後は涙、涙・・・そして何年か後に1年間アメリカに留学したのでした。
その時にカルチャーショックだった時間。
夕食後に、大きな蛍(アメリカの蛍の大きさは、日本の1・5倍くらいある!)
がいっぱい飛び交う芝生の庭に、
全員がすわって、順番に告白タイム、といって、自分の考えている事、
今の家庭の状況など、
身振り手振りで熱く語るのだ!
中には、自分の親の家庭不和を泣きながら訴え、周りの友達が肩を抱き合って、
慰めたりすることもあった。
皆、真剣に自分を語り、他人の話をきいていた。
美しいなあと思った。
番組の中で、安藤忠雄さんは、
「戦後日本は、出来るだけ失敗しないような教育をしてきた。
温室で育っている」
そのとおり!失敗こそ母!
失敗があることによって、次の舞台が設定されるのだ。
私なんかどれだけ失敗してきただろう!
大好きな乙武君が、実際教育の現場にいて1番感じた事。
「最近は、傷つく現場を与えない風潮がある」
今、娘の通っている学校の先生の教育はすばらしい。
小学校の5,6年生の女子は、対人関係でぐちゃぐちゃになる。
私は、娘が小さいときから、ピアノのお母さん方から散々きいてきた。
娘が5年生になったとき、やっぱりその通りになった。
でも娘は自分なりに悩み、家で相談し、先生に相談し、
友達を1番大切にする子なので、何とか調和をはかっている。
先生は、問題が起こると、真正面から生徒たちに語り、考えさせ、
どうしたら解決できるか、話し合っている。
私は毎日娘から学校の話をきき、アドヴァイスをし、
先生の教育方針に感動していた。
毎日毎日たいへんなエネルギーだと、通知簿渡しの時におききしたら、
「大人になる練習でーす」
と明るくさわやかに答えてくださった。
こういう先生が、日本中に拡がるといいなあ。
娘の学校は、とてもいい環境だ。大好き。
今は、どこの学校の先生も大変だ。
あの訳のわからない親たちは、
学校にいわず、教育委員会に文句をいうのだ。
私も教育の現場を担っている立場上、
授業参観にいくと、まず先生の目線で見てしまう。
1年生のときなんか、よくぞあの幼い子供たちを、
面倒見てくださって、と泣きそうになった。
授業をみているだけど、どれだけその1時間の授業のために、
先生が準備してきたかがわかる。
それぞれ家庭もあるのは同じで、ない時間を削ってやってくださっている。
友達も教師も多いが、その大変さはしゅっちゅうきいている。
私は、前の校長先生から、評議員になってほしいとの依頼で、
今年は娘の学校のPTAの代表で、ご意見番になってしまった。
こんな私でいいのかと思ったが、
メンバーも学校をよくしたいとの思いでいっぱいの方ばかりで、
1回目の会議も、本当に盛り上がった。
私も、娘の現場の話をそのまま校長先生、教頭先生に伝えた。
そのあとに学校コンサートもできたし、本当によかったですね
雨の日も雪の日もあられの日も、学校へ行く子供たちの通学路に立ってくださっているたくさんの保護者の方たちや、評議員、役員の方たち。
この学校は愛であふれている。内灘の他の学校もそうだ。
番組の中では、ゆとり教育のことも大きく取り上げられた。
私は、はっきり反対だ。
ゆとり、という言葉を使った事も間違いだったと思う。
でも実際、ドイツの小学校などはいくつも見学したが、
午後の授業がほとんどなく、お昼も家で食べ、お掃除は大人の専門の人がやり、
午後は帰宅した後、それぞれ自分の専門のピアノとか、サッカーとかの教室に行く。
そのピアノ教室も、たくさん見学させてもらったが、
ドイツの場合、高校までの教育システムが、すごくはっきりしていて、
かなり早い時期に、大学へいきたいか働きたいかという、コースを
分けていくのだ。
働きたい子は、専門の職業コースの勉強をしていく。
大型連休には、地域をわけて移動し、
森林でさえも、国中、スペースを年ごとに計算して植え込んでいく、
という超合理的な、ドイツならではの教育システムだ。
会社でもそうらしい。
かなり朝早くから、仕事を開始し、デスクに1日の仕事を積み上げておき、
夕方5時に絶対終わるようにする。
残業するという事が、恥ずかしいらしい。
5時に仕事を終了し、家に帰って家族と過ごす。
でも日本の付き合いのお酒の話。
これは内灘へ英語の教師として派遣されてて、
ピアノもバリバリ弾き、これまた超仲良しになったアメリカ人の友人は、
この日本式付き合いのお酒は、アメリカのシステムにないもので、
仕事の同僚とすごく仲良くなれるいいシステム、といっていた!
色々な考え方がある。外国人と付き合ってると、こういうことがわかっておもしろい。
日本を客観的に見れるのだ。
ドイツの話に戻るが、あの合理的な教育システムなら、
小学校の時、午後は自分の習い事に通う事は納得できる。
私は昭和38年生まれだが、多分いい教育を受けてきた世代だと思う。
以前も書いたが、中1の英語の教科書を丸暗記しただけで、
今、どこでも英語が通じるというのは、
いかに教科書がしっかりしていたかだ。
土曜日、学校へ行くのも普通だった。
さすがに最初から、土、日が連休だった娘は、
今から土曜が学校になったらいやらしいが・・・
詰め込み教育をする、と言ってるのではなく、
私達の時代のシンプルな教育システムに戻したらいいじゃないだろうか。
先生方もゆとり教育をすると、いろいろな負担が非常に多いのが現実。
うちは、夏休みも旅行に行くのは、何年かに1度、
毎日、朝からピアノを弾いて10時過ぎから海水浴、
お昼は砂浜でお弁当を食べ(全部ただなんです)
帰ってからまたピアノ、夕方から夜までレッスン、
土、日は必ず外国人とBBQ。
夫も、夏の間は時々、海でパソコンで仕事し(自営なので可能なのですね)
何より、全国、海外から次々友達が遊びに来るので、
毎日お祭りみたいで、他に遊びにいく必要がない。
うちの場合は、特殊だと思うが、とにかくお金をかけずに、最大限楽しんでいる。
こういう事を出来るようにするために、
今まで努力してきたのだ。
日本人はゆとりの時間を何とか、うまく使えるといいのになあ。
私達の小学校、中学校時代は、きちんとした教育システムがあり、
基本的な事をきちんと習ったと思う。
塾に行ってる子なんていなかった。
受験時代は、皆、あの赤本で其々勉強し、東大、早稲田政経なんて現役ではいった。
先生も、すごくのびのびされてたように思う。
学校で行儀の悪い子は殴られ、私達も先生は偉いものだからと、
あだ名なんてつけたりしてたけど、尊敬していた。
特に私達の中学校なんて、先生と仲良しで、私はいつも職員室に遊びにいっていた!
今じゃこんなこと出来ないのかな?
番組内で吉田松陰の教育方針の紹介もあり、
先生と生徒の関係ではなく、君とボクの関係、というのも主張していた。
いいことだと思う。
安藤さんの設計した幼稚園も、これは私はずっと前に知っていたが、
自由な発想の幼稚園、このブログでも以前、宮崎監督の作った幼稚園、
あのケースとホント似ている。
今日のUPの1番目の写真は、我が家のフジ棚にあるハンモック。
海の家のマスターにただでもらい、古くなったのでもうタイ製の新品ももらってある。
このハンモックには、近所の子供たちが、
いつも鈴なりだ
このあたりは、少子化どころか、4人、5人のおうちもあり、
いつも子供の元気な声がしている。
子供の声はいいもんだ。
うちはこれを自由につかってもらって、誰がこようと、そのままにしている。
皆、やはり自分で遊びを考えている。
娘なんか、いつも猿のように、てっぺんまでよじのぼり、
皆既日食も、このてっぺんで、座ってみていた(笑)
乙武君がいっていた。
親は、子供に完璧を求めすぎ。
もっとストライクゾーンを広くしてあげるといい。
そのとおりです。
私は小さい頃、勉強も大好きでピアノも運動も好きだったので、
本当によく遊び、よく学び、の子だった。
娘は、成績もいつもクラスのトップの方で、よくはきはき発言してるが、
私は子供の時、異常に勉強が好きだったのに、それほどじゃないみたい。
競争もきらいだ。でも絵をかくのは大好きだ。
私は、その娘の絵が大好きなので、絶対勉強しなさいといわない。
宿題だけやっていればいい。
娘は、超自然児で、友達が多く、将来に希望を持ち、明るく元気に毎日生活している。
本当に体力的にもタフな子だ。
娘はこの先どうなるか、わからないし、もちろん色々な事があると思う。
でも、失敗を恐れず、自分の好きな事を貫いて、
社会に貢献していってほしいと思う。
今、日本に必要なのは、賢く、自分の好きな事に貪欲な若者だ。
20歳で自分がわからないと、番組で話していた若者たち。
当たり前です。
私は30歳で初めてヨーロッパに行き、
やっと母のお腹からでて来れたかなあという感じだった。
もちろん、20代も悩み、考え、前進していたと思うが、私の場合は30歳から人生が変わっていった。
今日は参議院選。天下分け目の決戦の日だ。
結果どうなるにせよ、政治家の方には、本当にこの日本をよくしてもらうために、
働いていただきたい。
私達も精いっぱいやります。
もうすぐ梅雨明け。
夏が来るよ
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