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゛ともだち゛の正体『20世紀少年ー最終章ーぼくらの旗』

2009年09月12日 21時10分09秒 | Weblog

    20世紀少年<最終章> ぼくらの旗
 ついに『20世紀少年ー最終章ーぼくらの旗』(2009年東宝制作)を観た。この映画は、三部作で、今回の最終章で完結する。しかし、この作品の話は、中々展開が面白い。幼少の時の冒険、秘密基地、指が天上を指す「ぼくらの旗」のマーク、忍者ハットリくんやナショナル・キッドのお面を付けた仲間?、地球防衛軍のバッチ、1970年の日本万国博覧会等、年代構成等私と共通する話題が多い。゛ともだち゛と言われる不思議な男が、世界征服と人類の抹殺に動き出す。この恐ろしい悪行をやめさせようと、幼少の頃「地球を守るための友達連合」として誓い合った仲間たちが動き出す。しかし、何故゛ともだち゛は、これほどまでに人類を敵視し、恨みを持ったのか?それは、幼少の頃に起こった事件が契機だったのだ。この契機によって、大人になった゛ともだち゛は、自らの手で、人類の滅亡計画を実行していく。「よげんの書」や続編である「しんよげんの書」の通りに、人類滅亡へのスケジュールが進められていくのである。この2編のよげんの書に記された通り、人類の頂点に立って支配する゛ともだち゛は、着実に人類を葬り去る恐ろしい計画を実行していくのである。

【注意】この先は、この作品の最終章の結論を示しているので、まだ、この最終章をご覧になっていない方は、閲覧しないように注意願います!!


<映画の結論>
 
天下を支配した゛ともだち゛は、何故、全人類の抹殺を計画し、実行して行ったのか?それは、少年時代に、彼の存在自体が抹殺されたからだった。ケンヂ やオッチョたちと友達になりたかったのに、いつも仲間はずれにされていた。しかも、ナショナル・キッドや忍者ハットリくんのお面を付けてカモフラージュしていたことで、サダキヨやフクベエと間違われ、いじめっ子にいじめられてしまう。大好きな理科のフナの解剖授業の前日に、首吊りをして命を絶った・・・・、そう、゛ともだち゛の正体は、カツマタ(佐々木蔵之介)だったのである。いかさま手品師だった万丈目胤舟(まんじょうめ いんしゅう)に頼み込み、首の絞まらないロープを借り、あの日理科室で首吊りしたように見せかけた。この時、多くの同級生たちは、カツマタが死んだものと思い、恨みから幽霊となって、夜な夜な、山根と理科の実験をやっているとの噂も飛び交ったのであった。自殺したのは、本当ではなく、装っていただけだったのだが、いつしかみんなの中で、カツマタは忘れられる存在になってしまった。何故、カツマタは自殺してしまうことになってしまったのか?それは、大阪万博に行く予定が急遽キャンセルになってしまい、このことを友人に知られることを恐れたカツマタは、サダキヨのかぶっていたナショナル・キッドのお面をかぶり、旅行に行っているはずの期間、自分自身を隠そうと考えた。しかし、いじめられっ子の標的にされていたサダキヨと間違われ、毎日、いじめられる羽目になってしまう。しかし、カツマタであることを隠さねばならず、この仕打ちに耐えるのであった。ある時、駄菓子屋から、子供に人気の「地球防衛軍バッチ」が盗まれた。ナショナル・キッドのお面をつけたカツマタは、自身の胸に「地球防衛軍バッチ」を輝かせていた。これを見た駄菓子屋のおばさんは、彼を万引犯と誤認してしまう。この様子を見ていた少年たちに、「犯罪者は、死刑だ」として制裁を受ける。「死刑にされると、お前は実体のない゛無゛になるんだ」と宣告され、誰からも相手にされなくなる存在になってしまった。駄菓子屋のおばさんがいなかったので、当たり券を置いて引き換えたはずの「地球防衛軍バッチ」が、大きな誤解を周囲に与えてしまったのである。こうして、誰とも友人になれないカツマタは孤独に陥り、いつもケンヂやオッチョたちを遠目で見ているだけの存在になってしまったのだ。誰からも相手にされず、いつも孤独の゛ひとりぼっち゛のカツマタ。自分のそんな顔を見せれず、常に忍者ハットリくんやナショナル・キッドのお面で隠さねばならない自分があった。しかし、本当の万引犯は、ケンヂだったのだ。(このことを、大人になったケンヂは、ともだちランドの過去に戻る装置で、真実を伝えるのであった)
 この誰からも認めてもらえず、孤独だった少年期の憎悪が、世界抹殺を実行していく゛ともだち゛に変貌して行ったのである。十数年後に開催された同窓会でも、カツマタは誰からも認知されず、名前さえも忘れられ、フクベエと間違われてしまう。この事が、決定的に自分自身の存在を打ち消されたことになり、悪魔の征服者にして人類抹殺者の゛ともだち゛に変貌して行くのであった。

  
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 <20世紀少年の本質的意味>
 「20世紀少年」という題名はともだちであるカツマタくんが言ったセリフ,
「僕こそ20世紀少年なんだ」からきているのです。自分を20世紀少年と名乗る。その意図は、次のような意味なんだろうと思うのです。上記に記したようにカツマタ君は、ある事件を契機にいじめられていました。ケンヂのせいで。
普通の人間は「あの時代は良かった」と言いますが,カツマタ君にとってあの時代は最悪な時代でした。カツマタ君は、20世紀にいじめられていた人間の代表者として…あの時代を憎んでいる数少ない人間の一人として…自分は20世紀少年だと名乗ったんだと思います。カツマタ君はこう言いたかったのではないでしょうか?「20世紀は、決して良い時代ではなかった。僕こそが20世紀の悲惨さを表す象徴だ」と。20世紀少年とはカツマタ君だけのことではありません。20世紀に苦しんでいた子供達全員を、「20世紀少年」と呼んでいるのだと思います。そして、
その苦しさを形にした、ただ一人の人間であるカツマタ君を作者は20世紀少年と呼び,本人も20世紀少年と名乗ったのです。「僕こそ、20世紀少年なんだ」と言わしめたのは、このような思いがあったからなのです。20世紀と言う、繁栄の中で過ぎ去った最悪の時間。つまり20世紀少年とはカツマタ君のことでもあり,その時代の全てのいじめられっ子でもある…という両方の意味を持っているのです。日本万国博覧会に象徴されるように、日本の高度経済成長の絶頂期だった20世紀、しかし、最も大事な「人間の尊厳や生き方、人間同士の大切な繋がり」が葬り去られた時代だったのも事実なのです。この時期では、人間としての重要な個性や個人の尊重ということが失われながら、時代は大きな発展していったかのように見えていたが、同時に、その重要な構成員であるはずの人間の価値が、大きく損なわれていた時代だったのではないでしょうか?「20世紀少年」は、そのことに大きな警鐘を鳴らしているのだと思うのです。

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 浦沢直樹による累計発行部数2,700万部を突破したベストセラーコミック「20世紀少年」を、邦画史上初の3部作で実写映画化した最終章。フィナーレを飾る今作では、世界大統領として君臨する“ともだち”に支配された日本を舞台に、反政府組織として武装蜂起する氷の女王・カンナと秘密基地のメンバーたちが、ともだちの独裁に立ち向かう。“しんよげんの書”の全ぼうやともだちの正体、そして原作とは異なる展開から目が離せない。
 “ともだち歴3年”の2019年、世界は世界大統領として君臨する“ともだち”に支配され、殺人ウイルスがまん延する東京は壁で分断。都民の行動は完全に制限されていた。そんな中、カンナ(平愛梨)は反政府組織として武装蜂起する一方、“血の大みそか”以降、行方がわからなくなっていたケンヂ(唐沢寿明)が突然現われる。

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3 コメント

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Unknown (ハットリ・服部・フクベエ)
2009-11-02 17:46:56
~ 抜粋 ~
「20世紀少年」という題名はともだちであるカツマタくんが言ったセリフ,
「僕こそ20世紀少年なんだ」からきているのです。
~ ここまで ~

~ 意見 ~
違う。T.REXの「20th Century Boy」を訳したものを漫画タイトルとしている。
原作内にも、T.REX 20th Century Boyの描写もあるし、映画の中でもこの曲が使われている。
~ 以上 ~
ご意見に返答 (ドラエモン)
2009-11-03 11:49:15
フクベエさま

ご投稿、有難うございます。「20世紀少年」の題名の由来について、ご意見いただきました。
 確かに、「T.REX」の20th Century Boyをタイトルカバー曲に選んでいますが、この作品の本質は、その歌にあるのではないと思います。20世紀の中に生きた者が、すべて幸せの絶頂期にあったのではなく、この作品の主人公のように悲惨な思いで生きた少年もいたのだと言うことなのです。ここに「20世紀に生きた少年の中に、苦しんでいた少年がいた」という作品構成から、「20世紀少年」と命名したのです。その事を、この作品の「ともだち」に言わしめたということなのです。あくまでも、T.REXの歌は、この作品の付属的なものだと考えています。
もっと理解してから意見しましょう。 (kh)
2012-01-28 15:30:08
浅い、浅慮な意見ですな。
「曲のタイトルからとりました」は単なる事実の話であって、皆それは承前である。それで以上終了の意見なんて短慮な厨のツッコミでしかないね。
T.REXの20th Century Boyからとったのは事実だが、作品としてそのタイトルに込めた意味は違う。
歌詞訳も読めばわかるし、話の流れでも如此。
タイトルにおいてのダブルミーニングぐらいは理解してから意見すべきだね。

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