たこさんの秋吉台日記

ご意見、ご感想はホームページの掲示板にお願いいたします。

11月18日 Yasukoさんへ

2008年11月18日 | Weblog

◇Yasukoさん、たこさんです。
全国のYasukoさんファンのためにも、この場所でお話しすることを許してね。

私の友達やこのたび初めて名前を知った人まで、多くの人がYasukoさんのページ
が更新されないのはご家庭の事情で、また更新されるものと信じていました。
Yasukoさんの一番のお友達に「決して口外しませんから、差し支えなければ」と、
メールしましたら、7月8日に入院された一部始終を教えていただきました。
あなたは本当に亡くなってしまわれたのですね。

◇タブノキ ― 2001年4月
長者ヶ森駐車場近くのタブノキをザックを背負った女性が夢中で撮っていました。
秋吉台に春の花がたくさん咲き始めた時なのに、タブノキ?
 「新しく来られた学芸員さんですか?」 「いいえ、私は・・・」。 
Yasukoさんとの出会いでした。
Yasukoさんの撮影の対象が野草中心になったのは、この頃でしたよね?

◇春の妖精たち ― 2002年2月20日

Yasukoさんは、秋吉台ばかりの私に、ほかの地で咲いている花たちを見せるた
め、倉木山、八幡高原、池の段など、いろんな所にご一緒させてくださいました。

◇安芸冠山 ― 2002年4月22日

途中から雨に。登山経験がなかったYasukoさんに、姉用においていたカッパを。
ザックは夫が持って、3時間40分かかりましたが山頂にたどり着きましたね。
あの日から、私の夫は「シェルパさん」と呼ばれるようになりました。

◇ホームページをやめたい ― 2002年7月

「何をやっても
すぐに飽きてやめたので、家族はそろそろやめると思っているよ」

「『Yasukoさんの地元、深坂をフィールドにしてみたら』と、hige さんも言ってる。
Yasukoさんには、たくさんファンがいて楽しみにしてるんだから、
遠出して撮れなくなったからといってやめないで」。
元気づけるために友人と、7月13日、阿蘇外輪山のユウスゲを見に行きました。

◇四国カルストにも ― 2002年7月20日

Yasukoさんには私達流の安上がりの山行きは無理だろうと、友人と相談して、
お一人だけ天狗荘に泊まっていただくことにしましたが、「みんなと同じがいいよ」。

◇「たこ飯買ってきたよ。おいしい?じゃあ、また買ってきてあげる」

元気を取り戻したYasukoさん、そのころから全国にお友達がたくさんできて、
北海道から沖縄まで、休みごとに遠出をされるようになりました。
秋吉台に来られる回数は少なくなりましたが、
いつも突然、携帯に「今から秋吉台に行こうと思うんだけど」と。
コンビニのおにぎりなど、お忙しい中で時間を作るためとは言え、Yasukoさんには、かなりの努力がいったことでしょうに、周りの人に合わせてこられました。

― 以下は、Yasukoさんの一番の友達から聞きました ―

◇2008年7月8日に病院に、その日に入院。

◇「子供たちのため、主人のため、母のため、自分自身のため、
全力で病と闘うよ。 負けてたまるかと思っているよ。
 今年は花を見に行くことはできないけど、来年はきっと元気一杯の私に戻るから、
また、山へ行こうね」(7月13日)

◇「いい先生に恵まれ、土日も連休もなく毎日顔を見せてくださる。
 家族も毎日来て支えてくれるので、全員で病気と闘うよ。
またいつか野山を歩ける日がきっと来ると信じてる」(7月20日)

◇「11月15日、娘さんからTELで
『13日に母が亡くなりました。葬儀は家族だけで済ませました』
と連絡がありました」。

* * * * *

優しかったYasukoさん。 野の花を通して、多くの人
があなたと親しくなり、
みんな、温かで幸せな気持ちをたくさん分けていただきました。
あなたと一緒に撮った花を見るたびに楽しかったあの時を思い出すことでしょう。
ありがとう、Yasukoさん。
こんなお別れで YASUKO'S HP がもうずっと更新されないなんてつらいですが、
今はただ、心から祈っています。
“お花いっぱいに包まれ
た天国で、安らかにお眠りください。”


最新の画像もっと見る