日本キリスト教会 大分中央教会

1517年、宗教改革による改革派信仰の伝統を引き継ぐ教会です。

プロテスタントとカトリック

2017-08-08 21:44:10 | 大分中央ウィークリー

五、「教会とわたしたち」(423)

近代から現代へ(宗教改革とその後)

はじめに近代への萌芽としてアウグスチヌス著「神の国」(1968.教団出版)(その63)

  最終篇に入ります。

第二十二篇 神の国の永遠の浄福に

5.肉のよみがえりについて、世界の大部分 

の人はこれを受け入れているのに、中に

はこれを否認する者もいる。

(前回はここまで)

これはかつては信ずべからざることであった。しかし、いまや全世界はキリストの地上のからだが天に上げら

れたことを信じている。学問のある者も、ない者も、等しく〔キリストの〕復活と昇天を信じており、そのことに驚き

を感じている者はわずかしかいない。もし彼らが信じているという事実が信ずべきであるならば、信じようとしな

い者は何と愚かなことであろうか。もしも信じられないとすれば、それを信じなければならないということこそ信

じられないことになる。ここには二つの信ずべからざることがある。一つはわたしたちのからだがよみがえって

永遠へと至るということ、他は世界中がかくも信ずべからざることを信じているということで、わたしたちの主御

自身がこのことの起こる前にあらかじめ語られた通りである(ヨハネ五・二八、一一・四二)。

この二つの信ずべからざることのうちの一つは、すでに起こっている。すなわち、信じられないと考えられること

を世界中が事実信じているということである。そうであるならば、もう一つに絶望する理由があるだろうか。すな

わち、世界がかつて信ずべからざるものと考えていたことを~ (つづく)(「神の国」出村彰訳)


聖書研究

2017-08-08 21:42:02 | 大分中央ウィークリー

創世記24章47節である。「『あなたはどなたの娘さんですか』とお尋ねしたところ、『ナホルとミルカの子ベトエルの娘です。』と答えられましたので、わたしは鼻輪を鼻に、腕輪を腕に着けて差し上げたのです。」と語りました。これは贈り物による彼、僕の意思表示であったが、それを聞く彼らにとっては、初めて、事の次第を納得できたのである。あの時リベカが戻って来た。リベカの異様な姿に、何か大事なことが起こり始めていると気がついたが、ただ親族のその本心は極めて不安だったに違いない。 

リベカに何かがあったと判断して、リベカの言葉を聞いてとっさに、兄がまず現場に向った(28節)。遠来の親族がやって来たことが確かに驚きではあるが、それ以上にこの親族にとって大きな問題はその目的にあった。兄が反応したのはそのためであった。 

48節である。「わたしはひざまずいて主を伏し拝み、主人アブラハムの神、主をほめたたえました。主は、主人の子息のために、ほかならぬ主人の一族のお嬢様を迎えることができるように、わたしの旅路をまことをもって導いてくださいました。」という。一方的な長い話はここまででありす。その締めくくりが大事です。「主は、~わたしに旅路をまことをもって導いてくださいました。」と締めくくりました。 

一千キロに及ぶ旅路のいろいろなことが思い出されたようである。しかしそのどの部分をとっても主なる神ご自身の導きであり続けたといっているのであり、それ以外のことは考えられないと、神ご自身との完璧な一体性を語っているのである。これは、わたしたちの人生の旅路のすべてについていえるのであり、詩人の言葉90編の最後の言葉を思い出す。彼は「生涯の日を正しく数えるように教えてください。」という。


牧 会 通 信

2017-08-08 21:27:26 | 大分中央ウィークリー

 (原 光訳 2000年、沖積舎)

ダンテの「神曲 地獄」編 17歌(カッコ内は筆子、その11)

◯わたしは背の上にまたがつた 、わたしを抱き締めて下さい、と言ひたかつたが、思つたやうに言葉が出なかつた。

  だがいままで外の危機にわたしを援けた師は、わたしが乗るとすぐ両腕で抱き締めて支へ、

  かう言つた、「ヂエリオン(神話の巨人の名付)、さあ動き出せ、大きな環(わ)を描いて、少しづつ下れ、背負つてる新奇な積荷を忘れるな。」(前回ここまで)

◯小舟が引上げられてゐた岸辺から後へ後へと押出されるやうに、獣は緑から離れてすつかり自由になつたのを感じると

   胸があつたところへ尾をぐるりと回し、それからピインと伸ばした尾を鰻のやうに動かし、前肢(あし)で空気を自分の方へ掻き寄せた。

  フェトン(神話の人)は手綱を放したために、いまもさう見えるやうに空が焼けてしまひ、哀れなイカロ(神話の人)は蝋(ろう)が熱で溶けて、(つづく)

 

◯本日、8月6日(日)の日本聖書協会の、「コロサイ3章12~17節である。その15節、「キリストの平和があ

なたがたの心を支配するようにしなさい。この平和にあずからせるために、あなたがたは招かれて一体とされ

たのです。いつも感謝していなさい。」という。この8月は、二つの原子爆弾を世界で初めて日本国の広島と長

崎に受けた。この事実が憲法の軍備放棄を宣言させたといえる。人類平和の金字塔ある。「平和」の大切さを

確認して、核の保有さえ止めさせねばならない。

 

◯写真は、教会墓地の敷地内にある個人の墓地3件の墓石撤去作業が8月1日から始まり、墓地で作業中の

(株)ハーサ石材の、右、梶原義隆社長とその従業員。(8月2日撮影)。