日本キリスト教会 大分中央教会

1517年、宗教改革による改革派信仰の伝統を引き継ぐ教会です。

プロテスタントとカトリック

2016-04-27 00:42:13 | 大分中央ウィークリー

五、「教会とわたしたち」(359)  5.近代から現代へ(宗教改革とその後)

 極め細かな答を彼のその人生最後の作品「神の国」において語っている。その目的は、まずはローマ帝国の崩壊はキリスト教の責任ではないことを諄々と書き綴るところからはじめている。またキリスト教の後世に残して余りある基本的教理を語るのであった。落胆する多くのキリスト者を励ますために、彼をしてもっと大きな作品を出すように勧めたその友人は、カルタゴの護民官で公証人という公的地位を持つ人であったが、その名はマルセリヌスといった。

 その「神の国」の書き出しは次のとおりである。「わたしの愛する子、マルセリヌスよ、この書においてわたしは神の国の輝かしい想念を陳述しようと企てた。そもそもこの国は二つの領域に属する。一つはこの世における人生の行路であって、そこではこの国は信仰に(ここまで前回)よって生かされつつ、不信者の間で異国人としてその行程を歩むのである。もう一つは永遠的な彼岸の故郷であり、それを神の国は正義が審判を来たらす時まで、いまは忍耐をもって待ち望んでいるのである。そのとき最後の勝利が得られ、平和が回復され、そして神の国はかち取った大いなる報酬を受けるであろう。約束に従って、約束に従って、わたしはこの書をあなたに献呈しよう。わたしの意図は、この国の建設者である神の代わりに彼ら自身の神々を選び取る者たちに対し、この国を弁護することである。この仕事は長い時を要し、労苦の多いものとなるであろう。しかしわたしは神の助けを信じている。傲慢な者に~(つづく)

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聖書研究

2016-04-27 00:39:13 | 大分中央ウィークリー

創世記23章1節である。「サラの生涯は百二十七年であった。これがサラの生きた年数である。」という。アブラハムがサラより十歳年上であるから(17・17)、このとき百三十七歳であった。また息子のイサクはアブラハムの百歳のときに生まれたのであったから(21・5)イサクは三十七歳であった。 

最愛の妻というか、いろいろあったが、サラの忍耐を感謝するアブラハムの思いを記す意味で、恐らく、彼女の死のときを覚えて、その年齢を数えさせているのであろう。もう一つ、わざわざ歳を数えさせるのは、人はその「死」において、さすらいの人の成れの果を迎えるのではなく、さらに確固とした目標を目指していることを確認しているのである。その人の死においてこそ確かな永遠の資産の世継となっていることを現すのであった。彼女の百二十七年は世継と認定された記念の歳である。 

2節である。「サラは、カナン地方のキルヤト・アルバ、すなわちヘブロンで死んだ。アブラハムは(来て)、サラのために胸を打ち、嘆き悲しんだ。」という。「キルヤト・アルバ」は、ヘブロンの元の地名である。もう一箇所聖書に出てくる。それはヨシュア記14・15、「ヘブロンはかつてキルヤト・アルバと呼ばれていたが、それはアナク人の中で最も偉大な人物アルバの名によるものであった。」と。この地名は人名から転化したもののようである。さらに民数記13・22、町の始りは「ヘブロン」という。 

このとき、アブラハムが「胸を打ち嘆き悲しんだ」という。痛く悲しんだのであるが、原文では、「そして彼が行って(「ヤバー」)~」となっている。前章19節で、アブラハムが約40キロ南西の「ベエル・シェバに住んだ」というから、生活圏は広く、たぶん、出先から訃報を聞いて、ヘブロンまで戻ったようで、悲しみが大きい。

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牧 会 通 信

2016-04-27 00:15:29 | 大分中央ウィークリー

 (原 光訳 2000年、沖積舎)

ダンテの「神曲 地獄」編 第13歌(カッコ内は筆子、その8)

◯すると師は言つた、「そんなに優しい言葉で誘き寄せられると、わたしも黙つてはゐられぬ、餌に釣られてわたしが少し議論に溺れようとも、

 煩わしいとは思つてくれるな。わたしはフェデリコ(ローマ皇帝第二世)の心の鍵を二つとも握つてゐたもので、実に巧妙(たくみ)にそれを回して閉ぢたり開(あ)けたりし、(ここまで前回)       

◯ほとんどあらゆるものをその秘密から遠ざけ、この名誉ある職務に忠誠を尽して、そのために眠りも活力も失はれるほどだつた。 

 皇帝の住居(すまい)からその淫らな眼をかつてそむけたことがないあの娼婦、ペスト、宮廷の悪癖、嫉妬は、

 わたしに対してすべての心を燃え立たせた、燃え立たされたものどもは皇帝を燃え立たせ、喜ばしい名誉は悲しい喪に変つてしまつた。 わたしの霊は、尊大な気性から、死ねば悔蔑の苦痛を免れられると思ひこみ、正しいわが身に対して不正な仕打をしたのだ。(つづく)

 

◯2016年4月24日は第十七主日、イースター後第四主日という。日聖協「聖書愛読こよみ」は「キリストの主権」という主題。聖書は詩編47編6節。「神は、歓呼の中に上られる。」とある。「シオンの山とその丘の上に下って戦われる主」(イザ31・4)が、今や天に上られる」とは、詩編である。イエスの復活・昇天の詩的光景が詠われている。

 

◯写真は「熊本地震」から一週間、復旧への第一歩。ボランティア活動の本格化を報道す。

 

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プロテスタントとカトリック 

2016-04-19 01:15:59 | 大分中央ウィークリー

五、「教会とわたしたち」(358)

5.近代から現代へ(宗教改革とその後)

信仰理解の誤りと政治の失態に対する神の報いであったという。キリスト教内部の無力感と異教徒の批判にキリスト教こそローマの国家の滅亡に責任があると、教養のある異教的な貴族たちが農民たちを扇動して非難した。このとき信頼の篤い友人の勧めを受けて立ち上がったのが、キリスト教の大思想家アウグスチヌス(354~430)であった。彼は先ず、キリスト教信徒に向かって語りかけた。キリスト教信仰のご利益に加担する誤った信仰姿勢を質すことからはじめた。彼は、もともとアフリカ人であり、新しい第二のローマ帝国の期待もギリシャ的神話も全面的に無視した。そしてキリスト教的なこの世の国をも全く考えもしない。

極め細かな答を彼のその(ここまで前回) 人生最後の作品「神の国」において語っている。その目的は、まずはローマ帝国の崩壊はキリスト教の責任ではないことを諄々と書き綴るところからはじめている。またキリスト教の後世に残して余りある基本的教理を語るのであった。落胆する多くのキリスト者を励ますために、彼をしてもっと大きな作品を出すように勧めたその友人は、カルタゴの護民官で公証人という公的地位を持つ人であったが、その名はマルセリヌスといった。その「神の国」の書出しは次のとおりである。「わたしの愛する子、マルセリヌスよ、この書においてわたしは神の国の輝かしい想念を陳述しようと企てた。そもそもこの国は二つの領域に属する。一つはこの世における人生の行路であって、そこではこの国は信仰に~(つづく)

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聖書研究

2016-04-19 01:13:44 | 大分中央ウィークリー

創世記22章22~24節である。「それからケセド、ハゾ、ピルダッシュ、イドラフ、ベトエルです。」ベトエルはリベカの父となった。ミルカは、アブラハムの兄弟ナホルとの間にこれら八人の子供を産んだ。ナホルの側女で、シウマという女性もまた、テバ、ガハム、タハシュ、マアカを産んだ。」という。ナホルとミルカとの間に生まれたのは八人の子供たちであった。さらにナホルのそばめレウマに四人の子供が産まれている。 

アブラハムの兄弟ナホルに八人と四人の合計十二人の子供が与えられたことが報告されている。「十二」はイシュマエルの子孫(25・16)、ヤコブの子孫(35・22)にも見られるように聖なる「数」であると共に諸部族の一集団の単位であった。またナホルの孫として「リベカ」(23節)の名だけが挙げられ、24章の予備知識を提供している。 

23章1節である。「サラの生涯は百二十七年であった。これがサラの生きた年数である。」という。アブラハムがサラより十歳年上であるから(17・17)、このとき百三十七歳であった。また息子のイサクはアブラハムの百歳のときに生まれたのであったから(21・5)イサクは三十七歳であった。 

最愛の妻というか、いろいろあったが、サラの忍耐を感謝するアブラハムの思いを記す意味で、恐らく、彼女の死のときを覚えて、その年齢を数えさせているのであろう。もう一つ、わざわざ歳を数えさせるのは、人はその「死」において、さすらいの人の成れの果を迎えるのではなく、さらに確固とした目標を目指していることを確認しているのである。その人の死においてこそ確かな永遠の資産の世継となっていることを現すのであった。彼女の百二十七年は世継と認定された記念の歳である。

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