日本キリスト教会 大分中央教会

1517年、宗教改革による改革派信仰の伝統を引き継ぐ教会です。

プロテスタントとカトリック

2015-12-31 13:49:04 | 大分中央ウィークリー

五、「教会とわたしたち」(342)

4.近代の教会の夜明け

 ―宗教改革とその後―

信仰の救いが「信仰のみ、恩寵のみ」によってもたらされるとするなら、いわゆるカトリックが主張していた貧者や病人に対する配慮や救護という善行によって救いの確かさを求める道は残されなくなったのであった。これはまた、カルヴァンのジュネーヴでも同じような社会現象となったもので、教会が取り仕切っていた結婚制度がある。カトリック教会の七つの秘蹟のうちの一つが結婚であった。結婚は世俗の問題として教会から切り離して、たとえば近親結婚の禁止など、教会が判断することではなく民事法の元に置いて裁判所の判断にゆだねるものとなった。(ここまで前回)

チューリヒでは一五二四年の12月修道院がすべてが廃止され、翌年3月13日イースターの聖餐式をもってカトリックのミサはその町から姿を消した。しかしその形はカトリックの組織がそのままで、その内容がプロテスタントに裏返っただけであった。スイスは13の地域共同体〈邦〉であるから、全体の連邦から見れば、一部の地域で分裂が始まったにすぎない。しかし実際は1528年にベルンが、孤立無援に近いチューリヒの大きな支えとなり、1529年にバーゼルが加わり急速に仲間を加えたが、その反対の傾向も強くなった。山岳地の諸邦ウーリ、シュヴィーツ、ウンターヴァルデン、ツーク、ルツェルンの5邦は「カトリック・キリスト教連合』を結成して対抗してきた。その緊張が、実力行使、すなわち軍事対決にまで高まったのが1529年6月の~(つづく)

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聖書研究

2015-12-31 13:41:53 | 大分中央ウィークリー

創世記22章6節である。「アブラハムは、焼き尽くす献げ物に用いる薪を取って、息子イサクに背負わせ、自分は火と刃物を手に持った。二人は一緒に歩いていった。」という。「薪を取って、息子イサクに」とある。このときのイサクは乳離れしてからおおよそ10年ぐらい経ったころと思われる。 

自分に背負わされる薪をかついで父アブラハムと一緒に歩くのであるが、その薪が何の目的を持つものであるのか判断できない年頃ではなかった。また、父親のアブラハムは、危ない「刃物」と厳しい役割を果たす「火」を持つということはどういうことかよく知っていた。この二人が並んで歩くところに、読者に心の痛み。

7節である。「イサクは父アブラハムに、『わたしのお父さん』と呼びかけた。彼が、『ここにいる。わたしの子よ』と答えると、イサクは言った。『火と薪はここにありますが、焼き尽くす献げ物にする小羊はどこにいるのですか。』」と、聖書がいう。ここに始めてイサクとの対話が出てくる。しかもイサクの方からであった。ということは、アブラハムはイサクとの間に、出発するとき、またはその出発の前に二人の間にはイサクについての、アブラハムに語られたところの神からの神の言葉については一切説明していなかったことになる。

 いや、ここ、人間としての彼、アブラハムの苦しい、心のうちが明らかになっており、実のところ、アブラハムは彼の心の中に秘めておくのが精一杯の神の言葉への応答ではなかったかと思う。信仰の忠実を貫くアブラハムの信仰のあり方を教えられる。人間的には、今、何とか答えねばならない。それが8節へと続く。(つづく)

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牧 会 通 信

2015-12-31 02:57:59 | 大分中央ウィークリー

ダンテの「神曲 地獄」編 第12歌(カッコ内は筆子、その6)(原 光訳 2000年、沖積舎)

◯が、わたしの考へ違へでなければ、たしかに、ディテ(地獄の王)から上の圏へあの大きな獲物を奪ひ去つた、御方が来られた少し前に(キリストの十字架の時を指す)、

この戯れた深い谷がくまなく震動した(マタイ27・51)ので、わたしは世界が愛の力を感じたのかと思つた、なんども世界を混沌に変へると

あるものが信じてゐる愛の力を。その刹那にこの古い岸壁がここや他の所でこのように崩れ落ちたのだ。(ここまで前回)

◯が、谷に眼を凝らせ、暴力で他人を傷つけたものたちが、ぐらぐら煮られている血の河が近づいたからだ。」

おお、盲目の貪欲と狂った憤怒よ、短い人生であれほどわたしらをけしかけ、永遠界でこれほど酷(むご)くわたしらを侵(おか)すものよ!

わたしは平地をぐるりと抱きしめる堀のやうな、弓なりに曲つた広い堀を見た、わたしの先達が言つた通りに。(つづく)

 

◯2015年12月20日は、今年の第五十二主日。日聖協「聖書愛読こよみ」は「神われらと共に」という主題である。マタイ2章13~21節、その21節、「幼子とその母を連れて、イスラエルの地へ帰って来た。」という。エジプトへの同じ道でも、様変わりであった。「神共に」いる喜びの路となった。道端のやしの木々はお辞儀してお通りさせたといわれる。

 

◯写真は12月25日の聖誕日礼拝を守った記念撮影である。

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プロテスタントとカトリック

2015-12-25 21:47:12 | 大分中央ウィークリー

五、「教会とわたしたち」(341)

4.近代の教会の夜明け ―宗教改革とその後―

つまり貧民救済は教会の慈善の仕事ではなく、大きくは人道的な問題として国家政治の問題であるという社会構造の変革をもたらしたのである。これはそのまま現代の社会にも受け継がれている。カトリック的な意味で慈善行為は自分自身の救いにかかわるという意味での中世的な教会特有の慈善行為であった。その働きを主として修道院が担ってきた。結果として、人の善意によって生活する建前の中世的修道院は廃止され、その施設や基金は没収され、国家の所轄となり、とりあえずは貧民救済のために用いられることになった。以後継続的に国家が責任を持つことになる。働く力のある者は、公的な福祉事業に働き、福祉思想の発展に貢献することになった。宗教改革の「信仰のみ、恩寵のみ」が福祉労働者を(ここまで前回)その社会に職業として根付かせることになった。

信仰の救いが「信仰のみ、恩寵のみ」によってもたらされるとするなら、いわゆるカトリックが主張していた貧者や病人に対する配慮や救護という善行によって救いの確かさを求める道は残されなくなったのであった。これはまた、カルヴァンのジュネーヴでも同じような社会現象となったもので、教会が取り仕切っていた結婚制度がある。カトリック教会の七つの秘蹟のうちの一つが結婚であった。結婚は世俗の問題として教会から切り離して、たとえば近親結婚の禁止など、教会が判断することではなく民事法の元に置いて裁判所の判断にゆだねるものとなった。(つづく)

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聖書研究

2015-12-25 21:38:00 | 大分中央ウィークリー

創世記22章5節である。「アブラハムは若者に言った。『お前たちは、ろばと一緒にここに待っていなさい。わたしと息子はあそこへ行って、礼拝をして、また戻ってくる。』」という。4節の「三日目になって」行く先は「モリヤの地に行きなさい」(2節)との命を受けて出かけたのであるから出発点ベエル・シェバからモリヤ(「エルサレム」代下3・1)まで直線距離で約70キロ、山道であるから80キロぐらいが正解であろう。 

また、聖書では「三日目」は決定的なときを示す神が、神としてその姿または力を現す(ホセ6・2、マタ16・21他)神学的用語となっていることも知っておく必要がある。

 6節である。「アブラハムは、焼き尽くす献げ物に用いる薪を取って、息子イサクに背負わせ、自分は火と刃物を手に持った。二人は一緒に歩いていった。」という。「薪を取って、息子イサクに」とある。このときのイサクは乳離れしてからおおよそ10年ぐらい経ったころと思われる。 

自分に背負わされる薪をかついで父アブラハムと一緒に歩くのであるが、その薪が何の目的を持つものであるのか判断できない年頃ではなかった。また、父親のアブラハムは、危ない「刃物」と厳しい役割を果たす「火」を持つということはどういうことかよく知っていた。この二人が並んで歩くところに、読者に心の痛み(つづく)

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