日本キリスト教会 大分中央教会

1517年、宗教改革による改革派信仰の伝統を引き継ぐ教会です。

プロテスタントとカトリック

2016-08-31 03:24:44 | 大分中央ウィークリー

五、「教会とわたしたち」(377)近代から現代へ(宗教改革とその後)はじめに近代への萌芽としてアウグスチヌス著「神の国」から引用(その18)

 10 この世の財貨を失っても、聖徒は何物をも失わない。

~しかし善良なキリスト信者の中にも敵によって拷問をかけられ、その財貨を差し出すように強要された者がいる。しかし彼らは財貨を差し出すことはできなかっ

たし、また彼らを善きものとする真の財宝を失うこともなかった。もし彼らが不義の財宝の引き渡しよりも拷問を(前回はここまで)ましと考えたならば、彼らは善き

〔信仰者〕ではなかった。金銀のためにこれほどの拷問に耐える心構えのあった者は、キリストのために苦しむ心構えを持つことを学ぶべきであった。彼らはキリ

ストを愛することを学ぶべきであった。キリストは彼のために苦しむ者を、永遠の浄福をもって富ませるのである。偽りを言ってうまく隠しおおせるにせよ、真実を

語って取られるにせよ、金銭のために苦しむのは惨めである。どのような拷問にかけられても、キリストを言い表わすことによってキリストを失った者はいない。こ

れに反して、金銭を保持できたのは、ただそれを否認することによってであった。それゆえに、わたしたちが朽ちることのない宝を愛するように訓練する拷問は、

何の有益な実りももたらさず、ただ強欲の責苦によってその所有者を苦しめる持ち物よりも価値のあるものであった。

 11 長短いずれにもせよ、すべての現世の生は同じように終わりを迎える。

  しかしながら、多くのキリスト信者が、(つづく)~ (教団出版「神の国」出村彰訳1968から引用

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聖書研究

2016-08-31 03:21:58 | 大分中央ウィークリー

創世記23章19節である。「その後アブラハムは、カナン地方のヘブロンにあるマムレの前のマクペラの畑の洞穴に妻のサラを葬った。」という。その資料はすべてP典(444BC)であるから、実際の取引の社会形態の時代としては、ずっと十数世紀以前にさかのぼるものであるから、伝説資料によっている。要するに伝説資料によって、聖書は墓地のイスラエルの確固たる所有権を主張しているのである。 

新約聖書に、イスラエルの歴史を比較的詳しく語っているものが三つある。第一はペンテコステの後にペトロの説教(使徒2:29以下)、第二は、ステファノが、その殉教前に語った歴史(使徒7:2以下)、第三は、ヘブライ人の手紙の著者が語る歴史(11:4以下)などである。その第二のステファノの説教に「かつてアブラハムがシケムでハモルから」買ったという。彼がヨシュア24章32節と取り違えたものである。 

20節である。「その畑とそこの洞穴は、こうして、ヘトの人々からアブラハムが買い取り、墓地として所有することになった。」という。これは銀四百シケルを支払ったときに確認されているが、サラ遺体を埋葬した後に繰り返されている。土地の所有権の移転の確認であり、今日的には証印の役目を果たしている。またアブラハムの生涯にとって妻サラの埋葬の土地取得の重要性を後代に伝えているのである。 

アブラハムとその妻との間にたったひりの子イサクが跡継ぎであった。その子のためにも重要な墓地となった。その独り子から十二人の子が生まれ、十二部族を形成し、パレスチナを治め、やがて、神の独り子イエスが、ヨセフとマリアから聖霊によって生まれ、信仰の継承者が天の星の数のようになり、世を神と共に治めている。

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牧 会 通 信

2016-08-31 03:07:58 | 大分中央ウィークリー

       (原 光訳 2000年、沖積舎)

ダンテの「神曲 地獄」編 第14歌(カッコ内は筆子、その9)

◯他の鍛冶師どもを代る代るヘトへとにさせ、全力を振絞つて電火でわしを撃たうとも、痛快な復讐は出来まいぞ。」

 するとわたしの先達はわたしがまだその口から、聞いたことがないほどはげしい口調で言つた、「おお、カパネオ(ギリシャの七王の一人)、お前の傲慢の火

  が

 弱まらぬことによつて、お前は人一倍罰せられてゐるのだ、お前を焼くその激怒を除いて、お前の狂暴さにぴつたりな刑罰の苦痛はあるまい。」(前回ここま

 で)

◯それからまた和らいだ顔つきで、わたしの方を振向いて言つた、「これはテーベを攻囲した七人の王たちの一人だ、奴は神を侮辱したし、

 いまも侮辱して見くびつてゐるやうだ、わたしが奴に言つたやうに、奴の激怒が奴の胸にぴつたりな飾りになつてゐる。

 さあわたしについてくるがいい、よく注意してずつと焼けた砂に足を突つこまず、つねに森にぴつたり沿つて歩くように。」(つづく)

 

◯本日は、2016年8月28日は第三十五主日となる。日聖協「聖書愛読こよみ」は「真の知恵」という主題。聖書はは箴言1章7~19節その7節。「主を畏れ

ることは知恵の初め。無知な者は知恵をも諭しをも侮る。」という。これは、人生の初めに知らねばならない聖書中の第一の言葉である。現代人はぜひ。

◯写真は、先週、夕礼拝に出席された尾道西教会(近畿中会)の伝道師山本盾(46)先生、写真の前列左から2番目で、23日、熊本災害支援ボランティアに

参加された。

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プロテスタントとカトリック

2016-08-23 23:26:03 | 大分中央ウィークリー

 

五、「教会とわたしたち」(376)

近代から現代へ(宗教改革とその後)はじめに近代への萌芽としてアウグスチヌス著「神の国」から引用(その17)

 10 この世の財貨を失っても、聖徒は何物をも失わない。

ノラの司教、わたしたちのバウリヌスは大変富裕な人であったが、進んでこれを捨て、きわめて貧しくなった。彼は聖なる人であったが、後で次のようなことをわた

しに語ってくれた。ノラの町が蛮族の略奪を蒙り、司教自身も彼らの手の中に陥ったとき、彼はこう心の中で祈って言った(わたしたちはのちにそれを学んだ)。

「主よ、わたしが金銭のことで心を痛めること(前回はここまで)がありませんように。あなたはわたしの宝がどこにあるかを御存じでいらっしゃいます」。まことに

彼の真の持ち物はすべて、かつてそのような禍が地上に来ることを予言されたキリストが、彼に対して隠し貯えるように示されたその所〔天〕にあったのである。

このようにして、宝をどこに・どのように貯えるか、という神の教えに従った者は、彼らの現世の財貨までも侵入した蛮族から守ることができたのである。しかし神

に従わなかった者は、即座の知恵によってではなかったとしても、その後の経験によって、現世の財貨の正しい用法を学ぶこととなったのである。

しかし善良なキリスト信者の中にも敵によって拷問をかけられ、その財貨を差し出すように強要された者がいる。しかし彼らは財貨を差し出すことはできなかった

し、また彼らを善きものとする真の財宝を失うこともなかった。もし彼らが不義の財宝の引き渡しよりも拷問を~(つづく) (教団出版「神の国」出村彰訳1968

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聖書研究

2016-08-23 23:22:27 | 大分中央ウィークリー

創世記23章18節である。「町の門の広場に来ていたすべてのヘトの人々の立ち会いのもとに、アブラハムの所有となった。」という。これは多くの証人たち前で公的にアブラハムの所有となったという意味である。この聖書の箇所、23章1節「サラの生涯は百二十七年であった。」から、アブラハムにとって妻サラの死去とその埋葬のために寄留地で墓地を購入する。どこまでもこの世の金銭取引のルールに則らねばならなかった。

 

しかし、これが神認識から始まる信仰の決断と祈りによるなら当然のこと。人は、罪深い人間そのものを読み切っての確信と自信をもっての行動を必要とする。そのために人はこの世のルールを適切に用いて行動を取らねばならない。信仰者の生活はこの世から離れてはならない。神とこの世の関係の中に生きる。それ以外でない。

 

19節である。「その後アブラハムは、カナン地方のヘブロンにあるマムレの前のマクペラの畑の洞穴に妻のサラを葬った。」という。その資料はすべてP典(444BC)であるから、実際の取引の社会形態の時代としては、ずっと十数世紀以前にさかのぼるものであるから、伝説資料によっている。要するに伝説資料によって、聖書は墓地のイスラエルの確固たる所有権を主張しているのである。

 

新約聖書に、イスラエルの歴史を比較的詳しく語っているものが三つある。第一はペンテコステの後にペトロの説教(使徒2:29以下)、第二は、ステファノが、その殉教前に語った歴史(使徒7:2以下)、第三は、ヘブライ人の手紙の著者が語る歴史(11:4以下)などである。その第二のステファノの説教に「かつてアブラハムがシケムでハモルから」買ったという。彼がヨシュア24章32節と取り違えたものである。

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