日本キリスト教会 大分中央教会

1517年、宗教改革による改革派信仰の伝統を引き継ぐ教会です。

次週の礼拝説教の予告

2017-12-08 01:15:32 | 大分中央ウィークリー

2017年12月10日待降節第二主日 朝礼拝10:20.

説教:「わたしの魂は主をあがめ、わたしの霊は救い主である神を喜び」

聖書:エレミヤ書1章4~10節,ルカによる福音書1章46~56節.交読文2.讃美歌230,175,248,28.

 

同夕礼拝18:30

説教:「みことばの光」

聖書:詩編119編105~112節、ヨハネによる福音書1章14~18節、夕讃美歌231,268, 262 ,28.

 

 

2017年12月17日待降第三主日 朝礼拝10:20.

説教:「ほめたたえよ、イスラエルの神である主を、主はその民を訪れて解放し」

聖書:ミカ書5章1~10節,ルカによる福音書1章67~79節.交読文3.讃美歌236,268,262,29.

 

同夕礼拝18:30

説教:「栄光の主の審判」

聖書:イザヤ書60章1~3節、コリントの信徒への手紙一4章1~5節、夕讃美歌255,226, 258 ,29.

 

 

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プロテスタントとカトリック

2017-12-08 01:11:56 | 大分中央ウィークリー

五、「教会とわたしたち」(439)

 5.近代から現代へ(宗教改革とその後」

初めに、近代への萌芽としてアウグスチヌス著「神の国」(1968.教団出版)(その79)

  最終篇に入ります。

 第二十二編 神の国永遠の浄福

9.キリストの名によって殉教者がなした奇跡のすべてが、キリストに対する彼らの信仰 を証しする。

10.神を拝せんがために奇跡を行った殉教 者たちは、自分自身が神であることを人々に  信じさせようとし

    てふしぎなわざをなす悪鬼よりは、はるかに大きな栄誉に値する。

・・・・・・わたしたちが殉教者のために廟堂を建てるのは、彼らが神だからではなく、その魂が神とともにある(前回はここまで)死者たちを記念するためである。そのうちに作る祭壇は、殉教者たちに犠牲を捧げるためではなく、彼らの、またわたしたちの神である方に捧げるためである。この犠牲において、彼らはキリストの名を告白することによってこの世に打ち勝った神の民らを、その場においてその身分のままで記念するのである。しかし、犠牲を捧げる司祭は彼らから何かを祈り求めるのではない。

  司祭は殉教者の墓の上で犠牲を捧げるが、しかも彼らにではなく神に捧げるのである。なぜなら、彼は神に仕える司祭であって、殉教者に仕えるのではないからである。犠牲とはキリストのからだそのものである。それは殉教者に捧げられるのではない。なぜなら、彼ら自身がキリストのからだの一部分だからである。・・・・・・

 11.物質の重さを考えて、地上のからだは天にあることはできない、と主張するプラトン主義者に反論す

    る。

12.肉の(つづく)(「神の国」出村彰訳)

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聖書研究

2017-12-08 01:07:59 | 大分中央ウィークリー

創世記24章64節である。「リベカも目を上げて眺め、イサクを見た。リベカはらくだから下り、」という。らくだがイサクに向って、近づいて来た。「リベカも目を上げて眺め、イサクを見た。」という。しかしどこの誰か、リベカには顔をみるだけでは初めての男子であり、旅の目的からしてそれとなく感づいてはいたが、全く分からなかったに違いない。きっと心の高まりを感じてらくだにまたがっているわけにはいかなくなった。

 

互にそれぞれの顔を確認できそうになったのであろうか。長い旅路の据えであるから、それとなく、多分リベカが自分に決められていた男子が迎えに来たのではなかろうかと、感づいたのあろう。確認する必要があると判断した。僕に尋ねるためである。それでだれの指示もないのに、まだ、いくらか距離があるあいだにと思い、いよいよ自ら「リベカはらくだから下り」たのであった。

 

65節である。「『野原を歩いて、わたしたちを迎えに来るあの人は誰ですか』と僕に尋ねた。『あの方がわたしの主人です。』と僕が答えると、リベカはベールを取り出してかぶった。」という。夕暮れが近づいていますから目的地近くに来ていることは承知していました。とっさのこととはいえ、リベカにはそのための旅路ですから、その心の用意は十分できていたと言うべきでありましょう。

 

それにしてもこのときの相手はイサクであり、アブラハムではない。僕はリベカに「あの方がわたしに主人です。」と答えている。一族の財産相続がイサクに移っていたからであろう(36節)。「ベールを取り出してかぶった。」(口語訳「被衣(かずき)で身をおおった」)は未来の夫の前では顔を覆う習慣があった。時に体全体も(38・14)覆った。

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牧 会 通 信

2017-12-08 00:56:39 | 大分中央ウィークリー

(原 光訳 2000年、沖積舎、)

ダンテ(1265-1321)の「神曲 地獄」編 18歌(その13)

◯堤は酒垢(あか)みたいな黴(かび)で蔽(おお)われていた、それは下から濃く立昇つて眼と鼻を襲ふ、蒸発気がべとべとこびりついたものだ。

  底は実に暗く深いので、上に高まり懸かつているアーチの背に登らなければ、わたしらには見えなかつた。

  その上に着くと下の堀の中に、人間の便所から汲み出されたやうに見える糞便に漬けられたものたちが見えた。前回はここまで)

◯その上に着くと下の堀の中に、人間の便所から汲み出されたやうに見える糞便に漬けられたものたちが見えた。

  わたしがそこに眼を凝らしく探つてゐると、頭が糞まみれで俗人か坊主かも分らぬ一人が見えた。

  するとわたしを怒鳴りつけた、「なぜそんなにガツガツと外の穢(けが)れた奴等以上にわしをみつめてるんだ?」わたしは答へた、「わたしの記憶どほりならば、~」(つづく)

 

◯本日12月3日(日)は、待降節第一主日です。日本聖書協会の聖書本文は、マタイ21章1~9節で、その

主題は「あなたの主が来られる」と。  主イエスが再びおいでになられるのを待望する季節を待降節といいま

す。クリスマスまでの四週間です。

  主イエスの再臨を待望しつつ、クリスマスのキリストのご誕生をお祝いするのです。そのクリスマスの感謝は

尽きることがありません。ますます年毎にそのようなクリスマスの喜びが増大します。点の、再来の約束のもと

に今信仰のクリスマスを祝うのです。いつ帰って来られてもよいという心の備えをすれば、クリスマスの恵は大

きい。

写真は、墓地のこの太さを持つ高さ約20メートル「タブの木」の伐採

12月10~12日(日・月・火)の三日間で根元から伐採することになりました。大工事です。事故が起きないよ

うにお祈りを。(横白線は1mを測定)

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プロテスタントとカトリック 

2017-12-02 13:25:14 | 大分中央ウィークリー

プロテスタントとカトリック 

五、「教会とわたしたち」(438)     近代から現代へ(宗教改革とその後)

はじめに近代への萌芽としてアウグスチヌス著「神の国」(1968.教団出版)(その78)

  最終篇に入ります。

第二十二篇 神の国の永遠の浄福に

  7.この世がキリストを信じるに至ったのは、人間的な説得の結果ではなく、神の力の結果である。

  8.この世をキリストの信仰へと獲得するためになしとげられ、世界が信ずるに至った今でもなされてい

     る   

    そのとき、いつ終わるとも見えないような感嘆の声と泣声とが入り混った叫び声が起こった。彼女はたった先刻震えながらも立っていたその場所に連れて行かれた。彼女がその兄とあまりにも違うのを悲しんだ人々は、いまや兄妹が全く同じであるのを見て喜んだ。神が人々の願いを聞き入れられたのは、彼女のために人々が祈り始めたそのときであったことを、彼らは思い出した。人々が口々に叫ぶ声はわたしの耳を聾(ろう)せんばかりであった。彼らの歓喜をかき立てたのが、殉教者のステファヌスがそのために血を流したキリストへの信仰でなければ何であったろう。(前回はここまで)

  9.キリストの名によって殉教者がなした奇跡のすべてが、キリストに対する彼らの信仰 を証しする。

 10.神を拝せんがために奇跡を行った殉教者たちは、自分自身が神であることを人々に 信じさせようと し

      てふしぎなわざをなす悪鬼よりは、はるかに大きな栄誉に値する。

・・・・わたしたちが殉教者のために廟堂を建てるのは、彼らが神だからではなく、その魂が神とともにある(つづく)(「神の国」出村彰訳)

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