日本キリスト教会 大分中央教会

1517年、宗教改革による改革派信仰の伝統を引き継ぐ教会です。

プロテスタントとカトリック 

2016-11-30 00:54:49 | 大分中央ウィークリー

五、「教会とわたしたち」(390)   近代から現代へ(宗教改革とその後)

はじめに近代への萌芽としてアウグスチヌス著「神の国」から引用(その29)

⒗.多くの聖別された処女たちが捕囚の間に暴行を蒙った。彼女らが進んで同意したのでない限り、これは彼女らの魂の罪を意味するであろうか。

 我々の敵対者は捕囚の恐怖を大いに誇張し、その証拠として既婚・未婚の婦人たちのみならず、聖別された処女たちまでが襲われたことを列挙することによって、特に重大な非難をキリスト教に加えうると考える。こうした事柄を~ (前回

ここまで)論ずるに当たっては、我々は中庸と道理の両者をともに保持しなければならない。問題になっているのは信仰や宗教、あるいは貞節として知られる徳ですらない。わたしが目指しているのは、外部の者に答えるというよりはわた

し自身の群れに慰めを与えることである。

 

 それゆえに、次のことをまずしっかりと弁え知るべきである。それは、善良な生活を送るに必要な徳というものが宿るのは、ひとのこころの中にであり、また肉体が聖くされるのは聖別された意志の働きによる、ということである。もし意思さ

え毅然としているならば、だれか他の人がどのようなことを肉体に、また肉体によって行おうとも、その人自身が自ら何か罪を犯すことなしには攻撃を逃れられないかぎり、被害者には何の咎もない。しかして、他人の肉体になしうることは乱

暴のみならず、欲情の行いをも含む。後者の範疇に属する行為は、貞節を損なうことがない。貞節は平穏な精神によって~(つづく) (教団出版「神の国」出村彰訳1968)

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

聖書研究

2016-11-30 00:48:28 | 大分中央ウィークリー

創世記24章11節である。「女たちが水汲みに来る夕方、彼は、らくだを町外れの井戸の傍らに休ませて、」という。長旅のゆえに、用意万端を整えて夜明けを待ち朝食を済ませてからの出発となったのであろう。ここの、「女たちが水汲み

に来る夕方」というときの報告にはそのような出発の時との対象の夕方と言う意味がありそうである。第一日が暮れようとするこのとき、出発に至ったときまでの責任の重さを痛感しての最初の大きな意味を持つ休憩となった。豪華な結納

品、付け人も多くいたのであろう。

 

10節で「ナホルの町」に向かったのであるがナホルは正確にその古代の位置を特定するのは難しい。しかし、ユーフラテス河の大湾曲部に囲まれた地域のハランのやや南方であると言われる。古代バビロニヤの文献、粘土板のマリ文

書にもしばしば出てくる地名(フォン・ラート)であるから、その存在はほぼ間違いない。いずれにしても旅の道程はヘブロンからほぼ千キロほどになり、歩いて一日30キロとして一ヶ月はかかる。その「夕方」は、その先を展望するに貴重な

る時間であった。

 

12節である。「祈った。『主人アブラハムの神、主よ、どうか、今日、わたしを顧みて、主人アブラハムに慈しみを示してください。』という。『主人アブラハムの神』という呼び方は始めてである。本人の信仰があってその上で強い呼びかけ

なった。

 

「慈しみを示してください」という、その「慈しみ」は原語では「『へセド』であり、神の人間への重要なかかわり方、神の態度を現す言葉である。したがって、「『へセド』を示してください」というのは、神様のわたしたちへの基本的な、契約を実

現させる神の固い慈しみである。やがてキリストの十字架に開示され神の愛となる

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

牧 会 通 信

2016-11-30 00:37:29 | 大分中央ウィークリー

(原 光訳 2000年、沖積舎)

ダンテの「神曲 地獄」編 15(カッコ内は筆子、その5)

◯その焼け焦げもわたしがそのものを見分けるのを妨げなかつた。わたしは片手をそのものの顔の方へ下げて答へた、「あなたが、ここに、セル・ブルネット?」(ブルネットは高名な学者、「セル」はその尊称)、

すると答へた、「おお、わが息子よ、ブルネット・ラティノがそなたとともに少し後戻りして、この縦列を先に行かせても、不快に思はないでほしい。」(ブルネット・ラティノは千二百十年頃フィレンツェに出生)

わたしは言つた、「出来るかぎり、さうして下さい。あなたとともに坐れと言われれば、わたしの道連れが許ししだいさうしましせう。」

 (前回ここまで)

◯「おお、息子よ、」と霊は言つた、「この群れの中の誰にせよ、しばしでも立止まれば、それから百年も火に傷つけられ放題で、身を守るすべもなく横はるのだ。

だから先へ進んでほしい、わたしはそなたの裾に寄り添つて行こう、それからきりのない責苦を哭(な)き悲しみながら行く、わたしの仲間たちに追ひつかう。」(つづく)

 

◯本日、2016年11月27日は、第四十八主日となる。日聖協「聖書愛読こよみ」は「降誕のそなえ」という主題。聖書はローマ13章11~14節、その14節、「キリストを身にまといなさい」と。道徳的な美しい着物を着よ、とはいわない。

「キリストを着る」、信仰の衣である。

写真は、先週11月23日、中会長老(執事・委員)研修会が志免教会で開かれ出席者は43名。写真上は講師真田泉先生(東京主僕教会牧師)が「信徒説教者の可能性について」と題して話された。右司会、平山晴記長老(福岡筑紫

野)。下写真会場風景。提供者、上・秦博記長老下・富樫史朗先生(島原教会牧師)。筆子南茂は風邪欠席。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

プロテスタントとカトリック

2016-11-22 20:39:25 | 大分中央ウィークリー

五、「教会とわたしたち」(389)  近代から現代へ(宗教改革とその後)

  はじめに近代への萌芽としてアウグスチヌス著「神の国」から引用(その28)

⒖.マルクス・レグルスは、宗教的信仰のゆえに喜んで捕囚に堪えた人々の偉大な範例である。

 しかし彼の異教的信仰は、彼からその益を奪い取ってしまった。

~しかしながら、目下の問題はキリスト信者が捕虜となっていることである。厚顔無恥に、また無思慮にもわたしたちのいとも健全なる宗教を嘲弄する者どもは、このことに耳を傾け、黙すべきである。神々のもっとも熱心な礼拝者であり、そ

の名によって立てた誓いを守った者が、その祖国から追い出され、どこでも市民権を拒まれ、捕われとなり、そして未曾有の残酷な拷問によるゆるやかな死によって殺されたことが、神々の不名誉とならないとすれば、(前回はここまで)

聖徒の中に捕囚となった者がいるからと言って、キリスト者の名が非難されるいわれははるかに少ない。少なくとも彼らは真の信仰をもって永遠の国を望み見ていたし、この世では異邦人、また巡礼者であることを知っていたのである。

⒗.多くの聖別された処女たちが捕囚の間に暴行を蒙った。彼女らが進んで同意したのでない限り、

 これは彼女らの魂の罪を意味するであろうか。

我々の敵対者は捕囚の恐怖を大いに誇張し、その証拠として既婚・未婚の婦人たちのみならず、聖別された処女たちまでが襲われたことを列挙することによって、特に重大な非難をキリスト教に加えうると考える。こうした事柄を~(つづく)

(教団出版「神の国」出村彰訳1968)

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

聖書研究

2016-11-22 20:30:07 | 大分中央ウィークリー

創世記24章10節である。「僕は主人のらくだの中から十頭を選び、主人から預かった高価な贈り物を多く携え、アラム・ナハライムのナホルの町に向って出発した。」という。「主人から預かった高価な贈り物」とは、イサクの嫁となる娘と彼女の数句に対する贈り物である。22節と53節にその内容が分るようになっている。それにしても豪華なもの。その心意気が現れている。 

イサクがこの大旅行に同行しなかった。それは僕への信頼関係が強かったことを現している。一切を任せて送り出したのである。それだけでなく大事なのは神の約束の地をカナンと決めて、一歩も譲らない6節と8節の言葉の神信仰の堅さがある。 

11節である。「女たちが水汲みに来る夕方、彼は、らくだを町外れの井戸の傍らに休ませて、」という。長旅のゆえに、用意万端を整えて夜明けを待ち朝食を済ませてからの出発となったのであろう。ここの、「女たちが水汲みに来る夕方」というときの報告にはそのような出発の時との対象の夕方と言う意味がありそうである。第一日が暮れようとするこのとき、出発に至ったときまでの責任の重さを痛感しての最初の大きな意味を持つ休憩となった。豪華な結納品、付け人も多くいたのであろう。 

10節で「ナホルの町」に向かったのであるがナホルは正確にその古代の位置を特定するのは難しい。しかし、ユーフラテス河の大湾曲部に囲まれた地域のハランのやや南方であると言われる。古代バビロニヤの文献、粘土板のマリ文書にもしばしば出てくる地名であるあるがくしゃのけんきゅうによってわかっている。従ってその町の存在はほぼ間違いない。いずれにしても旅の道程はヘブロンからほぼ千キロほどになり、歩いて一日30キロとして一ヶ月はかかる。その「夕方」は、その先を展望するに貴重なる時間であった。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加