京都で、着物暮らし 

京の街には着物姿が増えています。実に奥が深く、教えられることがいっぱい。着物とその周辺について綴ります。

鶴見和子さん  その2

2006年08月04日 | 着物あれこれ
鶴見和子さん逝去のニュースをここで取り上げましたところ、
皆様さすが関心が高く、多くのコメントをいただきありがとうございました。

鶴見さんは病気で倒れられてからは弟の鶴見俊輔さんが京都岩倉にお住まいのこともあって、居を宇治市にある老人ホーム『ゆうゆうの里』に移されていた関係で地元紙の京都新聞紙上で拝読する機会が何度かありました。

今日の朝刊には生命誌の科学者、中村桂子さんの追悼文が掲載されました。
電子板では読めないようなので、鶴見さんの10数年前のお姿をご覧ください。

凛としておキレイ!著書によりますと晩年には蘇芳という和の赤色狂いになられて、この写真の帯締めも蘇芳です。加齢とともに「赤ちゃん」に帰って行くというのもいいですね。





 
「きものは変容自在」 
  
「バックナンバーインデック」



着るものも作リ手にも、きもののは思想がある!
鶴見さんと志村ふくみさんの書かれたもの対談を読んでそう確信しました。

欧米の女性たちが、ココ シャネルによって窮屈な洋服から解放されたのと違って、
(きものは私がかつて差別的な衣装と思っていたのは間違いで、ある意味では正しい面もありますが、それはそうとして今悔い改めています)

「きものは直線裁ちだから、着る人の姿勢と思想と暮らしぶりによって、変容自在である。解けば一枚の布に戻るので、どのように仕立て直しもできる。。。。。」と、鶴見さんがおっしゃることがいまよくわかるようになりました。

鶴見さんは、戦前にアメリカに留学されていて、開戦の際に交換船で帰国されたという女子留学生の走りの方。
アメリカで先駆的に学ばれ、近代文系の申し子のような社会学を専攻されたものの、途中で疑問をもたれて、「日本」に出会われたのです。そして、生活からの思想~『思想の科学』の同人。そして、水俣、南方熊楠、曼荼羅。。。。

きものを着た女学者、国際学会にもきもの.インドの女性たちが堂々とサリーで世界をゆくごとく、日本人もそうすればいいのにと仰っています。そういえば、洋画輸入の川喜田かしこさんもそうでしたね.いつも紫のおきもので。
外に出ることによって日本に出会う=きものに出会う! 
この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ブログ開設1周年が近づいて... | トップ | こういう時にこそ、きものを... »
最新の画像もっと見る

着物あれこれ」カテゴリの最新記事