京都で、着物暮らし 

京の街には着物姿が増えています。実に奥が深く、教えられることがいっぱい。着物とその周辺について綴ります。

KIMURAの読書ノート『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー2』

2024年05月04日 | KIMURAの読書ノート

『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー2』
ブレイディみかこ 著 新潮社 2021年

2019年12月の読書ノートに同タイトルの本を紹介している。本書はその第2弾であり、すでに3年前に刊行されていたのだが、ようやく手にすることができた。第1弾のその後ではあるが、かなり濃厚に書かれているため時間的にはそこまで進んでおらず、著者の息子の中学生時代の話題である。第1弾で感じたのが、息子の発言はかなり的確で大人のようであるということ。そこからわずかな時間しか経過していないにも関わらず、息子の発言は以前にも増してより客観的に深いものとなっていることに驚かされる。なかなか今の日本の中学生と会話をする機会がないため、比較することはできないが、少なからず自分の中学生時代にこのように示唆に富んだ発言をしていたかと振り返ると皆無である。これは、著者の家族の環境的要因なのか、それともイギリス全般にこのような傾向が見られるのか、もしかしたら日本の中学生もこのようになっているのかは分からない。しかし、彼だけの発言として捉えるのではなく、ティーンエイジャーがこのような考えを持ち、時に大人を厳しい目で見つめているということは肝に銘じておく必要があるとしみじみと感じた。

第1弾同様にイギリスの社会制度、教育制度が著者の家族を通して語られているが、その中で今回いちばん目を惹いたのが、高校生に進級するための進学制度である。イギリスではGCSEという中等教育修了時の全国統一試験を受けるようである。大学進学を希望している生徒はこの試験で一定以上の成績を収める必要があると記されている。この試験には日本でいうところの主要五科目(国語、数学、外国語、理科…本文では科学、社会…本文では歴史、地理)が必須。ここまではなんてことはない、日本と同じなのである。日本と異なるとしたら、イギリスは全国統一で、日本は公立だと各自治体、国・私立だと各学校によりテスト問題が異なるという点のみである。しかしである。ここから大きな違いがある。著者の言葉をそのまま引用する。

「シティズンシップ、経済、コンピューティング、芸術&デザイン、ダンス、映像、エンジニアリング、宗教、音楽、演劇など多種多様な科目を選んで受験できることになっている(英国政府のサイトで確認したら32科目あった)。(p81)」

これを1つの学校が全て教える訳には行かないので、学校によってこの選択科目の指導は微妙に変わってくるらしいのだが、それでも、大学進学予定の生徒たちは10科目ないし13科目は受験する。と言うことは、1つの学校で32科目全てを開講しないにしろ、生徒が「選択する」ということを考えると最低でも20科目近くは開講しているということになる。世界中で1日の持ち時間は24時間で、1週間は24時間×7日のはずである。同じ時間を日本でもイギリスでも共有しているはずなのに、このカリキュラム運営の差はどこから来るのであろうか。また、大学試験に目を向けてみると日本では近年総合型試験にシフトしようという動きが出ているが、イギリスの制度から見ると学力が「有りき」の上でそれらが成り立っていると感じる。学力を決してそれ以下には考えていないだけでなく、個人の関心や活動の幅を広げるための科目も学校で用意されているのである。そして、その授業内容は本格的である。例えば著者の息子はミュージックコースを選択しているが、作曲や演奏や理論的なことだけでなく、音楽を商品化するというビジネスサイドのことも学ぶようである。そうして、この授業で課せられたことがコンサートのプロモータになったつもりで、クライアントに会場の提案をするためのプレゼン資料の作成である。その会場は架空のものではなく、実在のようである。そのため、その会場に使用料や機材を搬入するための決まり事などを直接その会場に連絡を取り、教えてもらうのである。この位の授業レベルなのである。これを踏まえた上での総合型の大学入試なのである。ちなみに彼が通っている学校は地元の公立学校である。

日本でここまでの授業を行っているかというと皆無とまではいかないが、多くが私立学校ではないだろうか。私立学校に進学するか否かは親の経済力の差と言われているが、公立でこのような授業が行われていないとなると(現在日本でも入試制度を総合型入試にシフトチェンジしようとしているが)、総合入試のために「お金」でその力をつけていくという、より一層親の経済力を必要とすることになるだろう。総合型入試にシフトチェンジするならば、その母体をしっかりと造っていかなければ、これまでと同様に中途半端な入試制度になり、かつ経済格差が子どもたちの教育により影響を及ぼすのではないかと、ますます心配になってきた。 

            文責 木村綾子


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