
秋季特別展『茶碗 名碗展』
野村美術館 サイト ※12月9日(日)まで
野村サンの茶道具は上品な京雅テイストの趣味なので、
できれば前後期とも見たい思いはあったけれど、
前期は時間が取れず、パス
ちょうど紅葉が盛りの季節に訪れたので、
朝一というのに、やはり見学者の人数は多かった
★(展示室入口から向かって)左側は唐物と高麗物の茶碗。
田安(徳川)家伝来の大天目茶碗はやはり大きい。
添っている朱の倶利の天目台も立派。
※今、茶碗の本
を読んでいるので、尚更に興味深い
西本願寺から出たという井戸茶碗も大きい。
口造りに大きな欠損がありそれを漆で補修してあるのだけれど、
青海波の蒔絵が施されていて、思わず「お洒落~
」(と呟いた)
高麗雲鶴青磁茶碗「鶴亀」は継ぎ目が印象的。
熊川茶碗は大きくて甑形。←「こういう形の熊川もあるのかぁ」と感心した。
オレンジ色の宗和呉器は金継ぎの多さが魅力?
釘彫伊羅保「苔清水」はしぶい。
久しぶりに玄悦茶碗を見た。
象嵌の御本雲鶴茶碗の「鶴」は飛び立つ鶴。
この辺りは来年の勅題「立」を意識してのセレクトかなぁ。
※ちなみに、展示リストに目を通すと前期に御本立鶴茶碗が出ていた。
徳川3代将軍家光が立鶴を描き、小堀遠州が茶碗の切形をもって釜山釜に発注した本手立鶴茶碗。
「久しぶり見たかったゼ
」ともチラリと思う。
★(展示室からむかって右側は)国焼の茶碗。
光悦作の赤筒茶碗「刀自」は口造が特徴的。
乾山の銹絵(さびえ)山水画茶碗はチラシにも載っている。
※今回の展覧会は珍しくチラシがある。
近隣の泉屋さんが久々の茶道具展を懸けたので、それとの連動来場者をねらってのことだろう。
仁清の撫四方蟹の絵茶碗は「蟹~」という感じ?
織部の暦絵茶碗は「織部っぽくないなぁ
」と思ってしまった。
鼠志野「横雲」は赤っぽい色も入っている印象。
唐津柳絵茶碗「臥柳」は五角形?
萩分銅形茶碗「秋風」は四方形で「いかにも古そう」。(古萩とは違うのか?)
薩摩荒磯絵茶碗は鯉と白波を表現した底の釉薬が印象に残った。
上野茶碗「雪洞」の白茶色も印象的。
長次郎の黒楽茶碗「おそらく」は藪内家6代目(←とリストにメモ書きしてある)
★(展示室中央は)京焼の茶碗。
おそらく、あまり点数は残っている御菩薩焼の茶碗が3つも出ていて嬉しかった。
※昔、芦屋の滴翠美術館で拝見したっけ。
野村サンの御菩薩(みぞろ)3碗は唐松、笹、誰が袖文。いずれも京雅
珍しいという点では紫野焼の黒楽茶碗も出ていた。(←これもかつて滴翠で存在を知った)
文化年間(1804-1948)に今宮神社の門前にあった陶窯。
※昨年、金魚家に泊まって、今宮神社の茅の輪くぐりの神事に行ったなぁ。
「玉の輿」のお玉さん(←5代将軍綱吉の母・桂昌院)ゆかり神社だとも後から知った。
また再訪したいものだ。
さらにレアものだと思われる尾形周平(←1788-1839、初代高橋道八の三男)作の茶碗。
仁清写沓形秋草絵茶碗。作者に興味がいってしまい、どんな茶碗だったか印象に残ってない
兄にあたる仁阿弥道八の月の絵黒楽茶碗も展示されていて、そこは「さすがの手堅い道八サン」
6代・高橋道八の織部暦写茶碗も。
「これは右側にあった織部暦茶碗を写したのかな?」と再び見直しに行く。
永楽保全の祥瑞写しと安南写の茶碗は「さすが」。
そして、実はあまり見かける機会が少ない永楽和全の茶碗も2点。
仁清写の兎之絵茶碗はウサギさんが3尾かけている。
それをくるっと回りながら鑑賞できる中央ケースのよいところ。
もう一つは珠光青磁写の茶碗。
黄土色の釉薬とかすな猫掻き。
いかにも「写した」という印象はあるけれど、京焼テイストも盛り込んだ魅力もあり、
単なるコピーではない味わいが出ている。
14代得全の妻・妙全の柳橋文茶碗も見事。
得全亡き後の永楽家を必死に支えて明治・大正の時代を生き抜いたのに、
どうして、彼女は「代」を継がなかったのだろう。
明治という時代はまだ女性には厳しかったのだろうか。
※どーでもよいことだけど、妙全さんの生きた時代は来年の大河ドラマの主人公・新島八重が生きた時代でもある。
交流があったかもしれない。ドラマに登場するとウレシイなぁ。
そして、京焼といえば粟田焼は外せない
今回は古いものかしらん。四方の形と卵色が「やっぱり、粟田焼~
」だった。←なんのこっちゃ
展示リストで前期の出し物をチェックすると、
前期の中央は京焼という角度ではなく、出雲焼とか虫明焼といった江戸時代以降の窯元の茶碗の構成だったようで。
私自身は「せっかく京都に来たのだから、京焼をじっくり見たい」という好みもあるので、
後期ねらいで訪れたのは、よい選択だったと思った
※実際に見ている時は夜行バス
明けということもあり、
本能の趣くままに夢中で鑑賞していて自覚はなかったのだけど、
これまでの経験値の蓄積が見についてるのかもしれない。
鑑賞しながら、常に頭の中で記憶のデータベースを検索して、当てながら(=ヒットさせながら)見ている。
そして、これは鑑賞してから10日後にこうして感想をまとめている時も同じ。
展示リストにメモした汚い文字を読みながら、その場にいた記憶を手繰り寄せ、
メモはさらに記憶のデータベースを蓄積した資料に当てる糸口でもあるので、
書きながら自分のblogのアーカイブ機能を使って検索をかけ、
当時の展示&チラシをストックしたファイルをめくり、そこから本棚の図録を引き出して、
目的の茶碗の解説を読み返して、納得して、知識の層を塗り重ねていく作業。
こういう作業は休みの朝だからこそ、やっと出来ることで、
これが本当によい脳の活性化と気分転換(まさにリフレッシュ
)になっている。
く
実は3日前→一昨日、一昨日→昨日が二晩連続で徹夜しなくちゃならなくて
昨日の徹夜明けはつらくて不眠で、本当に今後の生活を思うと自信がなく、
「これから先、大丈夫だろうか」と珍しく弱気になった。
それを抹茶二服点てて体の内側から高ぶった心をなだめ、
さらに茶壺の紐結びの稽古を根気強くやって精神統一をはかり、
そして、フィギュアスケートNHK杯の観戦をして、羽生くんや真央ちゃん明子さんの演技をみて励まされ、
「私もがんばろう」と思えたら、そしたらぐっすりを眠れて、朝5時に目覚めることが出来た。
そうして、やっと野村美術館の展覧会感想記が書けた次第。
「茶道を続けてきて、本当によかった」と思えた朝。
明日以降の仕事もポジティブに取り組もう。
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★野村美術館バックナンバーリスト
2012年3月『「かな」の美」』(前期)
2011年12月『錦秋のころ』(後期)
2011年10月『錦秋のころ』(前期)
2011年5月『唐物』(前期)
2010年11月『一楽 二萩 三唐津』(後期)
2009年11月『楽家の歴代展』(後期)
2008年10月『開館25周年記念 館蔵名品展』(前期)
2008年5月 『高麗茶碗への挑戦』(後期)
2007年11月 『懐石のうつわ』展(後期)
野村美術館 サイト ※12月9日(日)まで
野村サンの茶道具は上品な京雅テイストの趣味なので、
できれば前後期とも見たい思いはあったけれど、
前期は時間が取れず、パス

ちょうど紅葉が盛りの季節に訪れたので、
朝一というのに、やはり見学者の人数は多かった

★(展示室入口から向かって)左側は唐物と高麗物の茶碗。
田安(徳川)家伝来の大天目茶碗はやはり大きい。
添っている朱の倶利の天目台も立派。
※今、茶碗の本

西本願寺から出たという井戸茶碗も大きい。
口造りに大きな欠損がありそれを漆で補修してあるのだけれど、
青海波の蒔絵が施されていて、思わず「お洒落~

高麗雲鶴青磁茶碗「鶴亀」は継ぎ目が印象的。
熊川茶碗は大きくて甑形。←「こういう形の熊川もあるのかぁ」と感心した。
オレンジ色の宗和呉器は金継ぎの多さが魅力?
釘彫伊羅保「苔清水」はしぶい。
久しぶりに玄悦茶碗を見た。
象嵌の御本雲鶴茶碗の「鶴」は飛び立つ鶴。
この辺りは来年の勅題「立」を意識してのセレクトかなぁ。
※ちなみに、展示リストに目を通すと前期に御本立鶴茶碗が出ていた。
徳川3代将軍家光が立鶴を描き、小堀遠州が茶碗の切形をもって釜山釜に発注した本手立鶴茶碗。
「久しぶり見たかったゼ

★(展示室からむかって右側は)国焼の茶碗。
光悦作の赤筒茶碗「刀自」は口造が特徴的。
乾山の銹絵(さびえ)山水画茶碗はチラシにも載っている。
※今回の展覧会は珍しくチラシがある。
近隣の泉屋さんが久々の茶道具展を懸けたので、それとの連動来場者をねらってのことだろう。
仁清の撫四方蟹の絵茶碗は「蟹~」という感じ?
織部の暦絵茶碗は「織部っぽくないなぁ

鼠志野「横雲」は赤っぽい色も入っている印象。
唐津柳絵茶碗「臥柳」は五角形?
萩分銅形茶碗「秋風」は四方形で「いかにも古そう」。(古萩とは違うのか?)
薩摩荒磯絵茶碗は鯉と白波を表現した底の釉薬が印象に残った。
上野茶碗「雪洞」の白茶色も印象的。
長次郎の黒楽茶碗「おそらく」は藪内家6代目(←とリストにメモ書きしてある)
★(展示室中央は)京焼の茶碗。
おそらく、あまり点数は残っている御菩薩焼の茶碗が3つも出ていて嬉しかった。
※昔、芦屋の滴翠美術館で拝見したっけ。
野村サンの御菩薩(みぞろ)3碗は唐松、笹、誰が袖文。いずれも京雅

珍しいという点では紫野焼の黒楽茶碗も出ていた。(←これもかつて滴翠で存在を知った)
文化年間(1804-1948)に今宮神社の門前にあった陶窯。
※昨年、金魚家に泊まって、今宮神社の茅の輪くぐりの神事に行ったなぁ。
「玉の輿」のお玉さん(←5代将軍綱吉の母・桂昌院)ゆかり神社だとも後から知った。
また再訪したいものだ。
さらにレアものだと思われる尾形周平(←1788-1839、初代高橋道八の三男)作の茶碗。
仁清写沓形秋草絵茶碗。作者に興味がいってしまい、どんな茶碗だったか印象に残ってない

兄にあたる仁阿弥道八の月の絵黒楽茶碗も展示されていて、そこは「さすがの手堅い道八サン」
6代・高橋道八の織部暦写茶碗も。
「これは右側にあった織部暦茶碗を写したのかな?」と再び見直しに行く。
永楽保全の祥瑞写しと安南写の茶碗は「さすが」。
そして、実はあまり見かける機会が少ない永楽和全の茶碗も2点。
仁清写の兎之絵茶碗はウサギさんが3尾かけている。
それをくるっと回りながら鑑賞できる中央ケースのよいところ。
もう一つは珠光青磁写の茶碗。
黄土色の釉薬とかすな猫掻き。
いかにも「写した」という印象はあるけれど、京焼テイストも盛り込んだ魅力もあり、
単なるコピーではない味わいが出ている。
14代得全の妻・妙全の柳橋文茶碗も見事。
得全亡き後の永楽家を必死に支えて明治・大正の時代を生き抜いたのに、
どうして、彼女は「代」を継がなかったのだろう。
明治という時代はまだ女性には厳しかったのだろうか。
※どーでもよいことだけど、妙全さんの生きた時代は来年の大河ドラマの主人公・新島八重が生きた時代でもある。
交流があったかもしれない。ドラマに登場するとウレシイなぁ。
そして、京焼といえば粟田焼は外せない

今回は古いものかしらん。四方の形と卵色が「やっぱり、粟田焼~


展示リストで前期の出し物をチェックすると、
前期の中央は京焼という角度ではなく、出雲焼とか虫明焼といった江戸時代以降の窯元の茶碗の構成だったようで。
私自身は「せっかく京都に来たのだから、京焼をじっくり見たい」という好みもあるので、
後期ねらいで訪れたのは、よい選択だったと思った

※実際に見ている時は夜行バス

本能の趣くままに夢中で鑑賞していて自覚はなかったのだけど、
これまでの経験値の蓄積が見についてるのかもしれない。
鑑賞しながら、常に頭の中で記憶のデータベースを検索して、当てながら(=ヒットさせながら)見ている。
そして、これは鑑賞してから10日後にこうして感想をまとめている時も同じ。
展示リストにメモした汚い文字を読みながら、その場にいた記憶を手繰り寄せ、
メモはさらに記憶のデータベースを蓄積した資料に当てる糸口でもあるので、
書きながら自分のblogのアーカイブ機能を使って検索をかけ、
当時の展示&チラシをストックしたファイルをめくり、そこから本棚の図録を引き出して、
目的の茶碗の解説を読み返して、納得して、知識の層を塗り重ねていく作業。
こういう作業は休みの朝だからこそ、やっと出来ることで、
これが本当によい脳の活性化と気分転換(まさにリフレッシュ

く
実は3日前→一昨日、一昨日→昨日が二晩連続で徹夜しなくちゃならなくて

昨日の徹夜明けはつらくて不眠で、本当に今後の生活を思うと自信がなく、
「これから先、大丈夫だろうか」と珍しく弱気になった。
それを抹茶二服点てて体の内側から高ぶった心をなだめ、
さらに茶壺の紐結びの稽古を根気強くやって精神統一をはかり、
そして、フィギュアスケートNHK杯の観戦をして、羽生くんや真央ちゃん明子さんの演技をみて励まされ、
「私もがんばろう」と思えたら、そしたらぐっすりを眠れて、朝5時に目覚めることが出来た。
そうして、やっと野村美術館の展覧会感想記が書けた次第。
「茶道を続けてきて、本当によかった」と思えた朝。
明日以降の仕事もポジティブに取り組もう。



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2012年3月『「かな」の美」』(前期)
2011年12月『錦秋のころ』(後期)
2011年10月『錦秋のころ』(前期)
2011年5月『唐物』(前期)
2010年11月『一楽 二萩 三唐津』(後期)
2009年11月『楽家の歴代展』(後期)
2008年10月『開館25周年記念 館蔵名品展』(前期)
2008年5月 『高麗茶碗への挑戦』(後期)
2007年11月 『懐石のうつわ』展(後期)