雑感  ー皆さんからの投稿をお待ちしていますー

日々感じたこと、思ったこと、なんでもよいのでこちらまでご投稿ください。

特別な旅

2010-11-29 23:47:23 | インポート

今月の始めに、関東地方に旅行にでかけた。特別な旅だった。
東京の病院に入院している、大好きな叔母との旅。
10年前に脳こうそくを患って、右半身が動かない。言葉もうまく話せない。
そして数週間前、卵巣がんがみつかり、かなり大きくなっていることがわかった。血栓もあり、それがいつ心臓や脳に飛ぶかわからない、とも言われた。

今何かできることをしようと、皆で叔母と旅行に行くことにした。
東京から海が見える大磯まで、レンタカーを借りて出かける。
特別な時間だった。1分1分がとても大事に思えた。
普通に行けば1時間半のところが、やはり都会。車の数が本当に多くて、3時間もかかってしまった。叔母の身体にとっては、かなりの負担だったと思う。
しかし、本当に元気だった。笑顔だった。
話をする代わりに、叔母は歌をたくさん歌った。
"ベッサメ・ムーチョ"と歌うところを、”グッサメ・ムーチョ”と歌って、皆大笑い。

それから”グッサメ・ムーチョ”の大合唱が始まった。
叔母はみんなを笑わせた。逆にこちらが元気づけられた。
人間の力はすごいと思った。

病院に送った後、兄がめずらしく号泣していた。
運転している兄には、バックミラーで叔母の顔がよく見える。
最後の方は、ずっと兄を見て微笑んでいたようだった。

叔母にとって、この時間はどんなだったろう。
いつもお見舞いにいくと、隅の方でテレビをみている。
静かに、一人で。
病院の中で、車いすで過ごす毎日を繰り返す。
そんな中の一泊二日の旅。
年が明けたら、また皆で来ると約束した。
この旅から、叔母は食事を頑張って摂るようになったそうだ。

年が明けたら、また会いに行こうと思う。

YOU


「の」の字の哲学

2010-11-23 21:55:58 | インポート

この雑感に、何度も登場している渡辺和子先生の本で、「「の」の字の哲学」という哲学が紹介されていた。ある神父さまが話された夫婦円満の秘訣だそうだ。以下、本からの抜粋。

「もしあなた方の夫が会社から帰って家のドアを開けるなり、『ああ疲れた』と言ったら、『疲れたの』と言って迎えてあげてください。疲れたという夫に、『私だって一日働いていたのよ』、『暑かった』という夫に『夏だから当たり前でしょ』、そういう受け答えをしないでください。『の』の字の哲学は、ある意味でオウム返しですが、もっと深く考えれば、相手の気持ちをふんわりと受け止める。夫と妻を入れ替えても同じです。」

私は、結婚して、退職し、初めての土地で初めての子育てをしている。人見知りを克服したと思い込んでいたが、やはり人見知りだったようで、いまだに 友人とよべるような人はいない。日中は子供と二人、外出も思うようにならず、全く家からでず、誰とも話さない日もある。そんな毎日を送っているが、夫はいつもどんなに仕事から遅く帰ってきても、「今日はどうだった?」と必ず私と息子の一日を聞いてくれる。意識しての言葉ではなく、関心があるから自然にでてきているものかもしれない。でも、ちょっと、オーバーな表現かもしれないけれど、私はこの言葉で救われてるんだと思う。これが全く私と息子について無関心で、話を聞いてくれない夫だったら、と思うとぞっとする。無関心は人の心を徐々に殺していくように思う。最近、よく耳に入ってくる虐待の事件も周囲の人の無関心さが原因の一つなのかもしれないと思った。私はとても恵まれた環境で子育てをしているのだと思った。

私自身は夫の話を聞けてるのか?寂しい思いをさせてないのか?つい自分のことばかりになりがちな私には、この「『の』の字の哲学」が必要だと感じた。

うっかり八平


瞬間

2010-11-13 20:34:46 | インポート

小説家の柳美里さんという方がいらっしゃいますね

インタビューの中で興味深い話がありました

僕はこの方の小説は読んだことはなく

本屋で名前を見かける程度でしたが

結構ハードな人生を歩んでるようで


そのインタビューの話



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「幸せ」っていうのは「状態」のことではない

客観的にどんなに不幸に見える時だって

一瞬、反射で海の波が光るみたいに

幸福の瞬間がある

「幸せ」とは「状態」ではなく「瞬間」だと思う

今までどんな不幸な時でも一瞬光るような「幸せ」はあったと思う

そして自分の子供を幸せにしたいというより

「幸せの瞬間」を見せてあげたい



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この話を聞いて

幸せが前提でない少し悲観的な考えにも聞こえなくもないですが

幸せというものを一瞬の光と考えられたら

それを当たり前と考えず 

今よりもっと有難く思えるのではないかと思いました

                            小トラッチョ