「もしも、余命1ヶ月だったら」小トラッチョさんからのテーマについて、私も考えてみることにしました。
やっぱり、会いたい人に会って、伝えたいことを伝えると思います。それは「ありがとう」だったり「ごめんね」だったり、ただ会って大騒ぎして別れたり・・・。言葉よりも伝わるものがあるかもしれません。その人との関係によって、最後の時間も様々だと思います。息子には、きっと手紙を書くでしょう。これから、いくつも人生の節目を乗り越えて行かないといけないから、その時々を考えて言葉も綴ってみようと思うと思います。
その他はというと・・・普通に過ごしたいです。特別なことをするわけでもなく、最後の日まで、普通に毎日を送りたいと思います。喜んだり怒ったり笑ったりちょっと悲しんだり・・・そんな気持ちを、家族や仲間や友達や、大事な人達と共有しながら。心が震えるくらい、生まれてきたことに感謝をしながら。
この文章を書いてまた改めて思いました。やっぱり幸せって、特別なことをすることではなく、日々の生活の、人や物との関わりの中にあるんだなと。
“Let’s make everyday happy and special.”
道化教室が目指していることって、本当の幸せに通じるんだなと再発見しました。
YOU
先日 友人達と数人で
岡山市内のちゃんこ鍋屋さんで飲んでました
話の中で
「もし 自分の余命が1ヶ月だとしたら 何をしたい?」
そんな質問が出ました
とてもきつい質問かもしれません
でも 自分の人生を改めて考えれる質問でもあります
少し考えて 僕はこう答えました
「体が動くようなら 可能な限り
今まで出会った人達に日本全国会いに行く。
その時 自分が余命1ヶ月とは言わないでおく
悲しい思いをするといけないし
可哀想とも思われたくないから。
きっと謝りたいこと 御礼を言いたいことだらけなんだろうけど
変な雰囲気になりそうなので
昔の思い出話とかをしたい
そして最後、別れ際に こう言って去りたい。
『それじゃー またな!!』 」
「また」はないんだろうけど
何かそうでも言わないと 自分が耐えれそうになく・・・
結局自分の生きた証なんてものは物や場所にはなく
人との間にしかないのだろうと
ビール飲みながらそんなことを考えました
それは
父親を見ていたおかげかもしれない
あなたなら
何をしたいですか?
小トラッチョ