桔梗おぢのブラブラJournal

突然やる気を起こしたり、なくしたり。桔梗の花をこよなく愛する「おぢ」の見たまま、聞いたまま、感じたままの徒然草です。

冬至・猫日和

2010年12月23日 11時49分13秒 | 地域猫

 昨日は冬至。
 銭湯の小金バスランドでは柚子湯だったので入りに行ってきました。
 平日は午後四時(日祝日は二時)からですが、三時過ぎにはトートバッグにシャンプーやらタオルを詰め込んで庵を出ました。
 歩いて十分ぐらいしかかからぬところなのに、なにゆえに一時間近くも早く出たのかというと、図書館の分館で借りていた本を返すついでに東漸寺に行こうと思ったのと、その前に前ヶ崎の香取神社に寄ろうと思ったからです。



 昨日の富士川上空です。
 雲一つない快晴でした。冬の雨は一雨ごとに寒くなるのが普通なのに、未明に雨の熄んだあとはポカポカ陽気になりました。

 富士川を渡り、無患子(ムクロジ)の樹を見上げ、二日前に気づいたばかりの蝋梅(ロウバイ)を見て、香取神社に向かいました。



 暖かかったせいか、前日には数輪だった蝋梅がいっぺんに花を開いていました。

 香取神社の裏手、神社の石垣と農地の生け垣に挟まれた細い径に出ると、なんと小春が径を横切ろうとしているのに出会いました。小春を見るのは二十九日ぶりです。いやいや、なんと……ようやく、と思ったら、なんとなく様子がおかしい。
 私にはまったく気づかぬ様子で、超々スローモーで歩いているのです。
 脚も引きつらせているみたいに見えました。ハテ、被毛は茶色で、小春に違いないと思いましたが、脚が悪かったような様子はありません。

 そのまま生け垣に入って、
姿が見えなくなりました。
 もしかしたら小春ではなかったのかしらん。そう思いながら神社に入り、本殿の背後に廻ってみました。径を歩いていると見えませんが、神社の裏手に廻ると、生け垣の向こうにある畑を見下ろすことができます。
 小春がノッソリノッソリと歩いていたのも道理、生け垣の向こうでは初めて見る三毛と睨み合っているところでした。

 鞄から日清製粉の懐石を取り出して、音が出るように振ってやると、石垣を駆け上ってきましたが、私の脇を一目散に通過……。なんだ、おやつに釣られてきたのではなかったと、ちょっぴりガッカリした思いで、拝殿のほうを振り返ったら……。



 一か月近くも会っていなかったのに、やはり小春は知っていたみたいです。いつも私がおやつを置いて帰る場所へ先回りして待ち構えていました。
 懐石は二種類持ってきていました。そのうちの赤い袋に入った「小魚とかにかま添え」を贈呈。



 新参者らしい三毛のほうは? と見ると、5メートルほど離れたところまできて、小春が食べているのを見ながら、ちょこんと坐りました。小春に較べると、ほんの少し身体は小さい。こちらには青い袋の「小魚とかつお節添え」を……。

 振り返ると、すでに小春はいなくなっていました。おやつはきれいになくなっています。



 縄張りはちょうだいするぜ、と宣言したのかどうか、小春が姿を消したあと、三毛はちょこまかと動き廻り、あちこちに身体をこすりつけていました。



 再びおやつを食べ終えると、あっちへフラフラこっちへフラフラ。拝殿下に小春の気配でも感じたのか、こんなスタイルで奥を覗き込んでいました。

 人懐っこい猫殿でした。私のほうを向いたら写真を撮ろうと腰を落とすと、すぐ近寄ってくるので、ピントを合わせるのがむずかしい。
 ピントが合っている、というサインが出たあとにシャッターを切ってもピンぼけ、というカメラなので、家に帰ってパソコンに取り込んでみるまでピントがきているかどうかはわからないのです。
 ましてグワーッと間近に迫られてはたまらない。何度か試みましたが、しゃがんでカメラを構えるたびに、レンズの真ん前まで鼻を伸ばしてくる有様なので、写真を撮るのは諦めました。

 香取神社から富士川へ降りて行く香取坂の途中に細い脇径があります。
 香取神社からは50メートルそこそこのところ。径の左は海の家を思わせるような民家が四軒、右は少し高台になった梨畑です。通り抜けられそうに見えるので、降りてみようかという気になったら、民家が終わるあたりから泥道になっていました。朝の雨でまだ濡れています。
 引き返そうとしたら、ニャーニャーと呼びかける声。梨畑に寝そべって、日向ぼっこをしている猫殿がいました。こちらは仔猫です。


 


 香取神社の三毛と同じように忙しく歩き廻る猫殿で、ひとときもじっとしていない。写真を撮ろうと腰を落とすと、おやつを食べるのを中断して私に近寄ってくる。
 三毛と違うのは、三毛のほうは近づくたびに身体をこすらせながら私の周りを一周したのに、こやつめは私の前までくると反転して、またおやつのところに戻る。そういう繰り返しです。

 それにしても三匹も見るなんざぁ、冬至の日にしては暖かかったので、猫日和であったのかもしれません。

 このあと、東漸寺へ ― 。 



 東漸寺には墓所とは別に古い墓石をまるで五百羅漢のように並べた一画があります。
 前日、柏の行念寺で經譽愚底(きょうよ・ぐてい)さんのお墓に出会ったとき、もしかしたら東漸寺にもお墓があり、あるとすればあそこではないかと思ったので、探索に寄ったのです。
 大部分は苔むしています。刻まれた字も風化してほとんど読めません。中央に「南無阿弥陀佛」とだけ彫られた墓石があり、もし愚底さんのお墓があるとすれば、その左右どちらかであろうと、近づいてみましたが、ところどころに信士という文字が読めるほかははっきりしません。
 どうやら時が経ち過ぎて無縁となってしまった人たちの墓のようです。

 墓所に入り、一渡り見回してみましたが、新しい墓石ばかりで、無縫塔も古そうな墓石も見当たりませんでした。
 この日はお寺の人の姿は見えなかったので、今度の機会に訊ねてみようと思います。

 


 本土寺とは異なって、東漸寺にはまだ紅葉が残っていました。本土寺に較べると空間が狭いので、若干陽当たりが乏しいのかもしれません。

 三匹の猫の相手をしていたので、思わず知らず時間を過ごして、図書館を経て銭湯に着いたのは四時十五分過ぎでした。

 プカプカ浮いている柚子をお湯の中に沈めたり、匂いを嗅いでみたり……。家の風呂とは違って、広いのでゆったりと過ごし、立ち上がったり脚を伸ばしたりして身体じゅうを丹念に洗うこともできます。一度に洗えばいいものを、まず身体の前面を洗って柚子湯に……。上がると背中を洗ってまた柚子湯に……。今度は髪を洗って……。

 数日前、ダイニングテーブル下の引き戸の中に時代物の雑穀があるのに気づきました。ウェアに詰め替えてあるので、いつのものかまったくわかりません。

 で、庭に撒くことにしました。二合分ぐらいあります。
 日ごと飛来する雀の数がふえて行くようです。今朝は六羽。人の気配に敏感で、窓は閉め切ってあるのに、私が近づくとサッと飛び去ってしまうので、まだ写真を撮るところまで行きません。



 左の白いのが雑穀。右の枯れ枝は前の家に住む糞猫に、トイレとして使われるのを防止するための可動式バリアーです。土を掘り返して柔らかくすると、ほぼ必ず蹂躙されるので、新しく掘ったところにはこのバリアーを置いておくのです。
 しかし、今日は風が強い。昼前に庭を見たら、バラバラに解体されて、隣の庭まで吹き飛ばされてしまっていました。


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