救急車が着いた時には心臓が停止してから既に30分以上経過していたそうです。もちろんそのまま昏睡状態。医者は95%の確率で亡くなるでしょうと。一時はほとんどすべての望みは絶たれたかのように見えたのですが、しかし鬼のような父の気迫の故なのか柔道で鍛えた頑丈な体のせいなのか、2週間後に奇跡的に昏睡を脱しとりあえず一命は取り留めたものの綱渡り状態、それから危篤の報を受けて急遽帰郷した私と兄と母は24時間手の離せない父の介護をすることになったのです。
その後の2ヶ月あまりは幸い医者が驚くほどの奇跡の回復ぶりを見せた父でしたが、ただただ惜しむらくは脳細胞の一部の領域が壊死しており、体が回復するとともに病院で毎夜暴れて騒動を起こすようになり遂に精神病院に移送され、その後薬で抑えて自宅療養となりました。つまり体はどこも悪くないほどに回復した一方、脳と心臓に致命的な障害を残してしまったのです。当初あれほど家に帰る帰らないで父を振り回した兄は、父が再起不能と確定するや長男の勤めとして家に戻る、財産も引き継ぐと掌を返すようなものの言い。驚いたことに父はそれまでにこつこつと貯め続け半端ではない額の貯金を作っていたのです。兄の突然の豹変ぶりに呆気に取られた私ではありましたが、冷静になってよくよく考えればこの際一番生活力の無い者が家にいて父の貯金に養われるのもやむを得ないことかと思い、そう、では私が家を出るよと言いました。私とてこれからこの家で父を苦しめ瀕死に至らせた兄と一緒に暮らしたくはありませんでしたし、実際私は正直なところ兄をどうしようもなく忌み嫌っておりました。大事な家とお金を手放してあのような兄に譲るのは、私自身とても勇気の要る精一杯の決断ではありました。ところがそこで収まらなかったのは母で、もし私が家に帰らないなら自分は兄と暮らすがお前には財産もやらないよと、父の正気無き後は残された家族それぞれの思惑のままに父の残したお金の取り合いをするようなことを主張します。
では私はというとお金に決して無関心だったわけではありません。もともと父はガメツイとともに非常な倹約家でそのお陰で家は長年の借金地獄から逃れられたのでしょうし、また浪費癖のある母と兄を父がガッチリと抑えていたからこそ今の貯金もあったのだと思います。父が精魂傾け苦しい最中に仕送りを続け不自由なく勉学をさせた兄は今社会性や経済観念を持ち併せずすることは人として信用を欠くことばかり。その反面高校を卒業以来ほとんど自力で生活し留学し大学を卒業した私の方が、皮肉にも家で唯一父の典型的な性質を受け継いでいたのです。ここに至って父の遺志は私が家を継ぐことだったことは明らかでした。そして私が家を継げば兄や母は思うとおり父のお金を使えなくなることも目に見えていました。本当は私もお金が欲しかったのです。それは確かに父の遺志を継ぎたいという思いと絡み合った私自身の欲でもありました。何に使おうということはありませんでしたがただ父のお金を自分の管理下に置いておきたかったのです。そのような私でしたから最終的に兄と母とは結託して邪魔者を駆逐するように私を追い出しに掛かりました。
私はひとり家を出る道を選びました。それが家族全体を見た上での現実的な状況判断だったことは事実ですが、また一方私はひとつ屋根の下に兄と母と正気を無くした父とともに暮らす自信がなかったことも事実です。もし私があのままお金の取り合いをしながら家に留まれば、早晩兄を半殺しにするか母を虐待するかという何らかの行為に出た恐れはあります。私が父から受け継いだ鬼の血はいざという時抗いようもなく胸からふつふつと湧き上がり私にそういうことをさせるのです。そのことは私が一番よく知っていました。
だからあの時私は私自身を十分に抑えコントロールできるところに逃げ出したかったのです。
実のところ私は父も、兄も、母も、好きではないのです。
幼い時から私をないがしろにし日陰に追いやって来た彼ら、また今に至るまで欲のために平気で家族である私を切り捨てる彼らを未だに愛することができません。
だからあの頃父が次第に憔悴し体を壊していった時兄と父との確執を遠巻きにして今ひとつ深く関わろうとしなかった自分があったのでしょう。
実は私は、その状況を内心喜んでいたのかもしれません。
私は父も、兄も、母も憎んでいるのです。
だから父は、自らの息子達によって壊されていきました。
私もやはり鬼の子なのです。
今の父には倒れた日から起算して過去7年分の記憶がありません。
それはちょうど、父が生涯で一番心を苦しめた期間と重なります。
ただ最低限の生活習慣と古い記憶は残っていますが、現実に自分が今何歳なのかも把握することができないでいます。
実家では母が兄、孫達と同居しながら父の世話をしています。
父が、そうして生きているだけでありがたいことではあります。
私はいずれもう一度兄や母と対面する心の準備を整えなければなりません。
私はあれから今日まで、実家とはなんら接触の無い状況にいます。
父はもしかしたらそんな私のために、今生き長らえてくれているのかもしれません。
例え鬼であっても、私たちは家族なのですから。
(『鬼』 完)
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と 思われ | 『父の記憶 1』
Ordinary Love:『葛藤』
Smiley Smile:『父と安吾』
今日の幸せ:『過去の残滓』
その後の2ヶ月あまりは幸い医者が驚くほどの奇跡の回復ぶりを見せた父でしたが、ただただ惜しむらくは脳細胞の一部の領域が壊死しており、体が回復するとともに病院で毎夜暴れて騒動を起こすようになり遂に精神病院に移送され、その後薬で抑えて自宅療養となりました。つまり体はどこも悪くないほどに回復した一方、脳と心臓に致命的な障害を残してしまったのです。当初あれほど家に帰る帰らないで父を振り回した兄は、父が再起不能と確定するや長男の勤めとして家に戻る、財産も引き継ぐと掌を返すようなものの言い。驚いたことに父はそれまでにこつこつと貯め続け半端ではない額の貯金を作っていたのです。兄の突然の豹変ぶりに呆気に取られた私ではありましたが、冷静になってよくよく考えればこの際一番生活力の無い者が家にいて父の貯金に養われるのもやむを得ないことかと思い、そう、では私が家を出るよと言いました。私とてこれからこの家で父を苦しめ瀕死に至らせた兄と一緒に暮らしたくはありませんでしたし、実際私は正直なところ兄をどうしようもなく忌み嫌っておりました。大事な家とお金を手放してあのような兄に譲るのは、私自身とても勇気の要る精一杯の決断ではありました。ところがそこで収まらなかったのは母で、もし私が家に帰らないなら自分は兄と暮らすがお前には財産もやらないよと、父の正気無き後は残された家族それぞれの思惑のままに父の残したお金の取り合いをするようなことを主張します。
では私はというとお金に決して無関心だったわけではありません。もともと父はガメツイとともに非常な倹約家でそのお陰で家は長年の借金地獄から逃れられたのでしょうし、また浪費癖のある母と兄を父がガッチリと抑えていたからこそ今の貯金もあったのだと思います。父が精魂傾け苦しい最中に仕送りを続け不自由なく勉学をさせた兄は今社会性や経済観念を持ち併せずすることは人として信用を欠くことばかり。その反面高校を卒業以来ほとんど自力で生活し留学し大学を卒業した私の方が、皮肉にも家で唯一父の典型的な性質を受け継いでいたのです。ここに至って父の遺志は私が家を継ぐことだったことは明らかでした。そして私が家を継げば兄や母は思うとおり父のお金を使えなくなることも目に見えていました。本当は私もお金が欲しかったのです。それは確かに父の遺志を継ぎたいという思いと絡み合った私自身の欲でもありました。何に使おうということはありませんでしたがただ父のお金を自分の管理下に置いておきたかったのです。そのような私でしたから最終的に兄と母とは結託して邪魔者を駆逐するように私を追い出しに掛かりました。
私はひとり家を出る道を選びました。それが家族全体を見た上での現実的な状況判断だったことは事実ですが、また一方私はひとつ屋根の下に兄と母と正気を無くした父とともに暮らす自信がなかったことも事実です。もし私があのままお金の取り合いをしながら家に留まれば、早晩兄を半殺しにするか母を虐待するかという何らかの行為に出た恐れはあります。私が父から受け継いだ鬼の血はいざという時抗いようもなく胸からふつふつと湧き上がり私にそういうことをさせるのです。そのことは私が一番よく知っていました。
だからあの時私は私自身を十分に抑えコントロールできるところに逃げ出したかったのです。
実のところ私は父も、兄も、母も、好きではないのです。
幼い時から私をないがしろにし日陰に追いやって来た彼ら、また今に至るまで欲のために平気で家族である私を切り捨てる彼らを未だに愛することができません。
だからあの頃父が次第に憔悴し体を壊していった時兄と父との確執を遠巻きにして今ひとつ深く関わろうとしなかった自分があったのでしょう。
実は私は、その状況を内心喜んでいたのかもしれません。
私は父も、兄も、母も憎んでいるのです。
だから父は、自らの息子達によって壊されていきました。
私もやはり鬼の子なのです。
今の父には倒れた日から起算して過去7年分の記憶がありません。
それはちょうど、父が生涯で一番心を苦しめた期間と重なります。
ただ最低限の生活習慣と古い記憶は残っていますが、現実に自分が今何歳なのかも把握することができないでいます。
実家では母が兄、孫達と同居しながら父の世話をしています。
父が、そうして生きているだけでありがたいことではあります。
私はいずれもう一度兄や母と対面する心の準備を整えなければなりません。
私はあれから今日まで、実家とはなんら接触の無い状況にいます。
父はもしかしたらそんな私のために、今生き長らえてくれているのかもしれません。
例え鬼であっても、私たちは家族なのですから。
(『鬼』 完)
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と 思われ | 『父の記憶 1』
Ordinary Love:『葛藤』
Smiley Smile:『父と安吾』
今日の幸せ:『過去の残滓』
父は、弁護士から戦えば、必ず勝てるからといわれても、実の兄弟で争ってまで、土地を得たところでなんになると、何も行動を起こさず、ただ幸いなことに祖父の残した会社だけは守り通しました。父は、ずっと耐えてるのです。多くを語らない父はきっと相当深い傷を負っていたに違いないと思います。そして、父は憎しみを隠し続けていき続けるのでしょう。
今、この現実の中で、自分はどのような価値観で生きるか。
だと思います。
この日常のひとつひとつの積み重ねの中で、私たちひとりひとりの心は創り続けられているのではないでしょうか。
「和」を選べば和の心が、
「金」を選べばそれにふさわしい心が
私たち自身の中に蓄積されるのだろうと思います。
kokoさんのお父さんの選択は、それで得た物質的な物よりも、それを選んだ心の積み重ねの方がその後の人生の中で遥かに大きい影響を自身に与えて来たと思うのです。
そのことに比べればその時得たモノは、いかほどの価値があるというのでしょう。
逆の場合も同じです。
私は今、そう信じています。
この記事の中で私のした選択は、決して胸を張れるようなものではありません。
事実上それを選ばざるを得ない状態に近かったのだから。
弁護士にも相談したことがありました。
やはり、厚顔無恥になって行動することを勧められました。
しかしその時の私にはできなかった。
今でもしたくありません。
私が選んだことは、それ相応の価値を持って今の自分に帰って来ていると、思っています。
ありがとう。
お陰でこの物語を書き終えることができました。
agricoさんの選択に、第三者が言うべき事はありませんが、恐らく私が同じ立場であっても、同様の選択をしたような気がします。
私も父との関わりの中で、初めて「血」というのもを意識しました。
皮肉にも、私は父の血を色濃く受け継いでいます。
その血にアレンジを加えながら生きてゆけばいいと思っています。
胸の奥深くにまで届くお話を、ありがとうございました。
また勇気をいただいた気がします。
特に頑なな部分ですけどね。
いや、いや、野次馬的好奇心のことなんだけどね。(笑
もう充分でしょう、
これだけ吐き出したんだから。
金や財産は大切かも知れないけどね。
それ以上でもないし、それ以下でもないからね。
元々裸で生まれてきたんだから親の財産なんて付録にしか過ぎんよ。
オレは二回家建てて、二回無くした。
三回目は前の妻に残した。
そして今は犬とアパート住まいだよ。
でも、四回目の家建てるつもりだよ。
全力でね。
死んだら子供にやるつもりだ。
もっとも建てるまで生きてる保証はないけどね。
オレはオレ、妻は妻、子供は子供、だと言いきれないところもある。
子供は血肉を分けた分身だからね。
そして別れた妻はその子達の母でもある。
だけどね、今となれば彼ら子供たちはオレの死に様を見て、どう思うか等々考える事も無くなったよ。
年老いて子供に面倒みて貰うくらいなら若いイイ女探して、そいつに面倒見させるわ。
しかし、旧約の世界を見たような気分だった。壮絶なりagrico。
私のぱこさんの作品へのコメントが恥ずかしくなりました。
「血」は私たちの現実です。
その上でどう生きるか、しかありません。
決してマイナスの血はありません。
すべてバランスの中で、長所、短所と見えるものを持っているだけだと思います。
ぱこさん、これからも、一緒に生きていきましょう。
私たちが発信するものはまだまだありますし・・・
このままで死ぬのももったいないからね。
私が、自分はまだ若いんだなあ~(自嘲の意味ですよ)と思わせられるのも、南無さんの話を聞く時です。
この体験は私の心に文字通り鉄槌を打ち下ろしました。
それまで自分の中に蓄積したものでは、どうにも対処できなかった。
自分の中に、愛と憎悪、うわべの美しさと深奥の現実があるのを、まざまざと見せつけられました。
人は、その心はあまりにも奥深く、
恐らくはこれに更に輪をかけるほどの経験もいずれあるのかもしれない。
この時まで私は人生の選択の中で何が大切かを見出したいと思っていたけれど、
もう、どのような選択でもOKなのかもしれないと、思ってます。
すべての人生は肯定される。
と、思わなければ私自身を肯定できないような気がします。
南無さん、ありがとう。
素晴らしい人と出会えて嬉しいです。
更に勇気づけられました。
少しだけ告白しておくと、
この出来事は、いずれ今時点の私の理解よりも更に深いものがあるような気がします。
まだまだ私は自分自身が見えてないような気がするのです。
健康であることの幸せ。
今日も、1日、無事に過ごせました。
いろいろと、コメント残せなくて、ごめんなさいね。
皆さん、壮絶過ぎます。
私は、のほほん顔でここまで来たようなものです。
恥かしい・・・、甘いなあ。
健康であることは、自分が健康管理しているからでもなんでもなくて、この世界が今の自分を100%発揮できる素晴らしい状態に置いてくれている、ということですよね。
決して当たり前のことではないし、自分の努力に関わらず時には容易く失ってしまうもの。
幸せはこういうものにひとつひとつ気づくところから生まれるものなんですね。
persempreさんの存在があれば、素敵なコメントなんて残さなくてもいいんですよ。
でも「鬼1」のコメント、心に響きます。
出会いはtakeさんが引き寄せたものです。
決して、自分の考える「自分の価値」で集まったわけではありません。
恐らく私たちの価値は、日頃考えられているものよりももっと遠く離れたところにあるんでしょう。
だから、どんな人でも生きているんです。
生きている価値がないんじゃないか、と思ってしまう人でも、生きているんだと思います。