更新が滞っておりました。
忙殺されておりました。(現在進行中)
たわいもない話でお茶を濁そうかと思います(笑)
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突然ですが、日本でビスマルクは有名ですよね。
ドイツ帝国の鉄血宰相、オットー・フォン・ビスマルク。
明治に制定された『大日本帝国憲法』に大きな影響を与えたと言われるのがドイツの『ビスマルク憲法』と、授業で習いますよね。
そのビスマルクの格言として有名なのがこれです。
見たことや聞いたことのある人は多いと思います。
愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ。
(愚者は自分の経験に学ぶと言う、私はむしろ他人の経験に学ぶのを好む。)
染みますね。
実に。
でも、学べないものなのですよね。
歴史学者に言わせると「歴史を学ぶ限り、人間は驚くほど歴史から学ばない。」のだそうです。
そもそも人間には一貫性がないですからね。
同じ人でも、場合によって意見を変えますし、考え方も変わります。
それゆえ「賢者だけが歴史に学ぶ」なのかもしれませんね。
その賢者がどこにいるのかは、わかりませんが。
でも、一つだけ確かなことがあるのですよ。
人間は、知ることに関しては不可逆なのですね。
知ってしまったら元に戻れない。
人間は、都合よく忘れることはできないのです。
忘れることはできないから、一度知ってしまったら、知ってしまったことについて無視はできないです。
どんな人も、人生の中で様々な問題を多く抱えると思います。
いろんなスケールで、いろんなコトについて。
そういうものを解決したいと思った時、やれることはただ一つなのではないかと思います。
「知る」ことだけ。
「知る」ことこそ人類に与えられた希望なのではないかと思うのです。
知的好奇心の充足が根源的欲求であることは、この宇宙に与えられた奇跡の設計としか言いようがない。
(個人的解釈)
それゆえ私は常日頃から「進化はスパイラルに進むが、決して後戻りしない。」と主張するものです。
「知る」や「学ぶ」をもっと尊ぶべきなんだな~。
ビスマルクの格言でこういうのもあります。
ソーセージと法律の作り方に無知であるほど、その人はよく眠ることだろう。
ソーセージと法律の作り方を知る人は、もはや安眠することが出来ない。
「知る」というのは福音であり罪だな。
高橋みなみの努力、原みづきの努力、やすす先生の努力 ~努力と競争戦略と学習のトリレンマ~
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