※素人談義です。
佐村河内守 交響曲第1番『HIROSHIMA』を聴いた。
Nスペを見てから気になっていたのだ。
「現代のベートーベン」と呼ばれる佐村河内の曲を。
これは紛れもなく「交響曲」である。
これまでのどれでもない「交響曲」である。
チャイコフスキーのようにファンタジー的な物語を語るわけではなく
ショパンのように情感に訴えるわけでもなく、
ラフマニノフのように美しさを追求せず、
第3楽章の暗闇から希望への転換はブラームスの交響曲第1番のようでもありながら、
楽観も希望的観測もそこにはなく、
ただひたすらに、ありのままの現実を
21世紀の今日、人々が直面している残酷なまでのリアリズムの
その嵐の中で、激しい暴風雨と分厚い雲の向こうにあるはずの光を見極めようとする
夢語るとしても、現実の向こう側を真直ぐに見据えた
そんな強い意志の表出のように感じた。
たしかに『HIROSHIMA』は「21世紀の交響曲」である。
CDジャケットが楽曲を非常にうまく表現していると思う。
嵐の中で必死に耐えながら分厚い雲を睨めつけていると、雲の切れ間から日の出が見えて、
いつしか嵐は消え去り、青空が見えた。
佐村河内守 交響曲第1番『HIROSHIMA』を聴いた。
Nスペを見てから気になっていたのだ。
「現代のベートーベン」と呼ばれる佐村河内の曲を。
これは紛れもなく「交響曲」である。
これまでのどれでもない「交響曲」である。
チャイコフスキーのようにファンタジー的な物語を語るわけではなく
ショパンのように情感に訴えるわけでもなく、
ラフマニノフのように美しさを追求せず、
第3楽章の暗闇から希望への転換はブラームスの交響曲第1番のようでもありながら、
楽観も希望的観測もそこにはなく、
ただひたすらに、ありのままの現実を
21世紀の今日、人々が直面している残酷なまでのリアリズムの
その嵐の中で、激しい暴風雨と分厚い雲の向こうにあるはずの光を見極めようとする
夢語るとしても、現実の向こう側を真直ぐに見据えた
そんな強い意志の表出のように感じた。
たしかに『HIROSHIMA』は「21世紀の交響曲」である。
CDジャケットが楽曲を非常にうまく表現していると思う。
嵐の中で必死に耐えながら分厚い雲を睨めつけていると、雲の切れ間から日の出が見えて、
いつしか嵐は消え去り、青空が見えた。
佐村河内守の障害は無視し音楽だけで評価しよう。
今世紀最高の頭脳の持ち主と言ってよいでしょう。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140206-00000140-spnannex-ent
新垣氏 佐村河内氏の聴覚障害は「キャラクター作り」
「私は佐村河内さんの共犯者です」とした新垣氏。「最初に、耳が聞こえないのだと言い出した時は戸惑いました。その必要があるのかどうか(疑問だった)。でも、それはこのような環境に立つための方法なんだと私は了承した。彼は自分のキャラクターを作り、世に出した。彼のイメージを作るために、私が協力をしたということだと思う。私にとってもゴーストライターとしての役割を果たすためにはそれ(実は聞こえるという事実)が知られてはならないので、なるべくそれがやりやすいような状況を望んでいたのは否めないです」と自らも「共犯者」として偽りの片棒を担いだことへの思いを語った。