かなり雑な文章になってますが・・
私はチーム4の「僕の太陽」公演が一番好きです。
ということを、コーヒーを飲みながら思いました。
変に大人ぶっていなくてチーム4に合ってると私は思います。
チーム4が新しくオリジナルなAKB48の物語を創るべきだと、私は日頃主張しているのですが、誤解されてる部分があるようなので、ここで簡単に考えを説明したいと思います。
「オリジナル公演が必要ということか?」と聞かれますが、違います。
必要なのは新曲や新公演ではないと私は思います。
「公演」について言うなら、私が主張しているのは、「裁量を持って自分たちで公演を創り上げろ」ということなのです。
わかりやすく言うと、リピートしたくなる要素が必要ということなのです。
(実際はリピートしたくてもチケット取れないのだが)
料金をとってる以上、一定水準以上の品質保証も大事ですが、あくまでも「AKB48クオリティ」を尊守しなければならないと思います。
「AKB48クオリティ」とは、公演が「生き物」であり、毎回「オリジナル」であることが大事だということです。
公演が予定調和にならない仕組みを、構造的に取り込まなければなりません。
プロとしての品質保証よりも、その場その時だけの公演をやらなければなりません。
事件が起きなきゃ現場じゃない。
新劇場による「劇場への原点回帰」こそがAKB48の再生だ ~事件は現場で起きるんだ!~
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/bdaaf2ea3af9f54f875a358221dc674c
ガチなら事故の一つや二つは起きるわけですから、まず、それを許容する体制作りが不可欠です。
そういう意味では、チーム4の「中村麻里子物語」はいい試みでしたね。
せっかく演劇部あるんだから、もっと生かしたらいいと思います。
中村!部長の立場を活かしてリーダーシップを発揮するチャンスだぞ!
「継続は力なり」だ。
半年間やり続けるんだ。
キャプテンらと相談しながら、がんばって枠を獲得してやってごらんよ。
AKB48にとって「劇場が主戦場だ」ということをメンバー、スタッフ、ファンが「鉄の掟」として暗黙の了解として受け入れた時、いろんなものが変わると私は漠然と考えているわけです。
メンバーやスタッフが重要視しないものを、なぜファンが重要視できるのか?
では、なぜ重要視する必要があるのか?
何度も繰り返すけど、そうすることで「48フォーマット」は初めて活きてくると思うからです。
東アジアのみんなが「AKIHABARA」にある聖地に憧れ、信仰し、目指すことになるのです。
信仰のパワーのすごさは、説明するまでもありません。
世界を変えるパワーです。
インターネットは時空間的な物理的制約をなくすと散々言われてきましたが、実際はどうだったでしょうか?
多くの場面でその通りになりました。
しかし、世界中に聖地は残ってます。
宗教だけの話をしているのではないです。
人的資本の集積効果(都市効果)の壁は、現在のメディア技術じゃ超えることができないという事実です。
聖地に行こうとするのは、なぜでしょうか?
そこに何かあると思うからでしょう。
何かが起きる場所じゃなきゃならない。
劇場は現場でなければならないんです。
ただ、そのためには気が遠くなるような作業が待ってるでしょうね。
成り行き任せに自生的に育まれたAKB48を取り巻くエコシステムを、今度は意図的に変化させないといけないのですから。
システム全体の構造的な問題に取り組む必要があります。
システムに手を入れれば、下手すればAKB48が弱ってしまう可能性だってあります。
スーパーマンが何人も必要だが、はたして日本でそれだけの人材を獲得できるかどうか。
それでも、信念があれば可能だと思います。
それが人を育てるわけですし。
AKB48とともに人も成長していけばいい。
ないなら創ればいいんだ。
AKB48だってそうやってできたんでしょう?
諦めたらそこで試合終了。
信じてやり続けたことこそ成功要因なのだから。
これまで走ってきたし、これからも走っていくだけのことです。
ただちょっと走り方を変えるというだけで。
と第3者として超無責任に思いますけどね。 m(_ _)m
私はチーム4の「僕の太陽」公演が一番好きです。
ということを、コーヒーを飲みながら思いました。
変に大人ぶっていなくてチーム4に合ってると私は思います。
チーム4が新しくオリジナルなAKB48の物語を創るべきだと、私は日頃主張しているのですが、誤解されてる部分があるようなので、ここで簡単に考えを説明したいと思います。
「オリジナル公演が必要ということか?」と聞かれますが、違います。
必要なのは新曲や新公演ではないと私は思います。
「公演」について言うなら、私が主張しているのは、「裁量を持って自分たちで公演を創り上げろ」ということなのです。
わかりやすく言うと、リピートしたくなる要素が必要ということなのです。
(実際はリピートしたくてもチケット取れないのだが)
料金をとってる以上、一定水準以上の品質保証も大事ですが、あくまでも「AKB48クオリティ」を尊守しなければならないと思います。
「AKB48クオリティ」とは、公演が「生き物」であり、毎回「オリジナル」であることが大事だということです。
公演が予定調和にならない仕組みを、構造的に取り込まなければなりません。
プロとしての品質保証よりも、その場その時だけの公演をやらなければなりません。
事件が起きなきゃ現場じゃない。
新劇場による「劇場への原点回帰」こそがAKB48の再生だ ~事件は現場で起きるんだ!~
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/bdaaf2ea3af9f54f875a358221dc674c
ガチなら事故の一つや二つは起きるわけですから、まず、それを許容する体制作りが不可欠です。
そういう意味では、チーム4の「中村麻里子物語」はいい試みでしたね。
せっかく演劇部あるんだから、もっと生かしたらいいと思います。
中村!部長の立場を活かしてリーダーシップを発揮するチャンスだぞ!
「継続は力なり」だ。
半年間やり続けるんだ。
キャプテンらと相談しながら、がんばって枠を獲得してやってごらんよ。
AKB48にとって「劇場が主戦場だ」ということをメンバー、スタッフ、ファンが「鉄の掟」として暗黙の了解として受け入れた時、いろんなものが変わると私は漠然と考えているわけです。
メンバーやスタッフが重要視しないものを、なぜファンが重要視できるのか?
では、なぜ重要視する必要があるのか?
何度も繰り返すけど、そうすることで「48フォーマット」は初めて活きてくると思うからです。
東アジアのみんなが「AKIHABARA」にある聖地に憧れ、信仰し、目指すことになるのです。
信仰のパワーのすごさは、説明するまでもありません。
世界を変えるパワーです。
インターネットは時空間的な物理的制約をなくすと散々言われてきましたが、実際はどうだったでしょうか?
多くの場面でその通りになりました。
しかし、世界中に聖地は残ってます。
宗教だけの話をしているのではないです。
人的資本の集積効果(都市効果)の壁は、現在のメディア技術じゃ超えることができないという事実です。
聖地に行こうとするのは、なぜでしょうか?
そこに何かあると思うからでしょう。
何かが起きる場所じゃなきゃならない。
劇場は現場でなければならないんです。
ただ、そのためには気が遠くなるような作業が待ってるでしょうね。
成り行き任せに自生的に育まれたAKB48を取り巻くエコシステムを、今度は意図的に変化させないといけないのですから。
システム全体の構造的な問題に取り組む必要があります。
システムに手を入れれば、下手すればAKB48が弱ってしまう可能性だってあります。
スーパーマンが何人も必要だが、はたして日本でそれだけの人材を獲得できるかどうか。
それでも、信念があれば可能だと思います。
それが人を育てるわけですし。
AKB48とともに人も成長していけばいい。
ないなら創ればいいんだ。
AKB48だってそうやってできたんでしょう?
諦めたらそこで試合終了。
信じてやり続けたことこそ成功要因なのだから。
これまで走ってきたし、これからも走っていくだけのことです。
ただちょっと走り方を変えるというだけで。
と第3者として超無責任に思いますけどね。 m(_ _)m
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