阿部ブログ

日々思うこと

日本橋の福徳神社参拝 と 奥井海生堂

2014年11月02日 | 雑感
日本橋に福徳神社がある。目出度い名前の神社だが「さまよえる神社」でもある。紆余曲折を経てリニューアルされたので参拝しに行った。福徳神社の主祭神は、倉稲魂命。その他、天穂日命、大己貴命、少名彦命、事代主命、三穂津媛命。それと太田道灌、弁財天、徳川家康(東照大権現)。
今の福徳神社がある場所は、江戸時代には浮世小路(うきよしょうじ)と呼ばれ有名な高級料亭「百川」があった所。江戸幕府は、嘉永7年(1854)2月10日の日米和親条約の初交渉の際、ペリー一行を本膳料理で饗応した。この本膳料理は、百川茂右衛門が仕出しした。当時のお金で2000両と言う。百川は明治元年に廃業となっている。
         
畏れ多いので、正面からは撮影はしない。敷地にある『福徳神社由緒』にはこう書かれている。
   
「当社伝来の稲荷森塚碑文によれば九世紀後半、当地は福徳村と呼ばれ、穀物・食物を司る稲荷神が鎮守の森に懐かれて鎮座していた。
福徳村の稲荷は往古より、源義家、太田道潅ら武将の尊崇を受け、ことに最初の江戸城を築いた道潅との縁は深く、彼の神霊は当社に合祀されている。徳川家康は天正十八年江戸入部直後に当社を参詣、二代将軍秀忠も慶長十九年に参詣し、「福徳とはめでたい神号だ」と賞賛し、また当時の福徳稲荷の門の皮付き鳥居(黒木鳥居)から春の若芽が生えているのを見て「芽吹稲荷」の名を与えた。秀忠は江戸城内の弁天財を合祀し、社地を三百三十坪と公定するなど当社を篤く尊崇した事跡が伝わっている。
その後、江戸の町の発展と度重なる火災や社家の事情などにより境内地をほとんど失い、一時は消滅の危機に瀕した。それでも氏子有志が福徳神社の祭祀を継承してきた結果、平成二十六年秋、日本橋地域諸氏の尽力により往事の姿を彷彿とさせる境内・社殿が再興されることとなった。」

この福徳神社由緒碑を記念碑を寄贈したのは、
 東京日本橋ロータリークラブ
 東京日本橋東ロータリークラブ
 東京日本橋西ロータリークラブ
 東京シティ日本橋ロータリークラブ
          
説明板には↓
『当社の創祀された時は明らかではないが、当社に伝わる略記によると、貞観年間(清和天皇・八五九~八七六年)には既に鎮座していたようである。
当社は武蔵野の村落である福徳村の稲荷神社として祀られ、その地名をとって社号とした。
その鎮座する社地は広く、社殿も広壮にして社の四隣は森林、或いは田畑に囲まれ、農家が散在する片田舎であった。土地の人は神社の森を稲荷の森、その森の一端に建てられていた里程標(石造一里塚)を稲荷の一里塚と言っていた。後に明暦三年酉年(一六五七)正月八日の大地震により崩壊し碑石散乱したのを時の人々が残存した破片を集め保存を計ったと伝えられる。
その碑銘の写しをここに掲げてみると

表 宮戸川邊り宇賀の池上に
  立る一里塚より此福徳村
  稲荷森塚迄一理

裏 貞観元年卯年
  三つき吉祥日

とあって、そもそも当社は、元来武将の信仰があつく、源義家朝臣(みなもとのよしいえあそん・一〇三九~一一〇六年)が深く崇敬されていたことが記されていたと伝わっている。江戸幕府以前には太田道灌公を合祀し、その兜・矢・鏃などが奉納されたと伝わっています。徳川家康公入府し、天正十八年(一五九〇)八月・初めて参詣しその後参詣は数度に及び、更に、二代将軍秀忠公は慶長十九年(一六一四)正月八日に参詣し「福徳とはまことにめでたい神号である」と称賛した。この時、当社の古例の椚の皮付きの鳥居に春の若芽の萌え出でたのを御覧になり、神社の又の名を「芽吹神社」とつけられた。元和五年(一六一九)二月に御城内の弁天宮を当神社に合祀するにあたり将軍自ら神霊を納められ、大和錦の幌を奉納され、更に「社地縄張を三百三十坪」と定められた。
福徳神社社務所
〒103-0023 東京都中央区日本橋室町2-4-14 電話03-3276-3550』
取材している人~
   
福徳神社の参拝を終えて帰ろうかと地下鉄に向かって歩いていると、ナント「奥井海生堂」があるではないか、激写。
        
奥井海生堂は、永平寺の御用昆布所であり、京都の料亭に北海道の利尻・礼文の昆布を納めている。奥井海生堂が有名なのは、礼文の香深浜産の昆布を1年から3年程寝かせた「蔵囲昆布」。一番古い昆布は平成元年産で既に26年経っている。蔵囲昆布の中でもグレートヴィンテージといわれるのが、平成3年産の香深浜昆布だと言う。一度出汁をとって食してみたいものだ。ワインも昆布も熟成がキーだな。

※過去ブログ:「むしろで長期保存する、超絶「利尻こんぶ
       「むしろ麹でつくる、徳島・かねさ味噌本舗の絶品お味噌
       「醤油は 「かめびし」 が最高!」 

中国が尖閣を奪取を指向するならば、日本は核武装、自主防衛体制に移行

2014年11月02日 | 雑感
中国共産党と言うグローバリストが支配する中国が、米国にほだされて尖閣を奪取を指向するならば、日本は核武装する。
海中から抽出されたウランは重水素を吸蔵。小型核爆弾を実戦配備する。
潜在的核武装国として六ヶ所の再処理施設を運用する必要はなし。
現在のハード重視の防衛体制は速やかに転換してA2ADへの対抗する国防戦略へ転換。