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【日独伊の楽勝!⑤ <インド洋の重要性>】

2018-03-04 22:11:33 | 日記

欧州戦線に於けるドイツ快進撃を横目に見ての日
米開戦にあたり、本来、日本の主力戦場は、『イ
ンド洋』そのものでした。そんなことは、チョッ
ト地図を見るだけで、中高生にも分かる理屈で、
陸大・海大出身のエリート参謀に分からぬ筈はあ
りません。しかし、そうは成らず、戦線はミッド
ウエー島からソロモン海域(ガダルカナル島)に
移ってしまいました。そのような力学(後述)が
働いたから、としか言いようがありません。
1941.12/10 マレー沖海戦でイギリス東洋艦隊の
華、戦艦レパルスとプリンス・オブ・ウエールズ
を轟沈し、英艦隊の主力を撃破!(この報を聞い
て、チャーチル首相は泣き崩れたとか?) 翌年
2/7より、難攻不落と謳われたシンガポール要塞
(守備兵、約13万人)を山下兵団(3.6万)が、
わずか1週間で攻略<同じく、ロンドン亡命中の
仏ドゴール将軍(後の大統領)は日記に、「陥落
は、長い歴史である白人植民地主義の終わりを意
味する」と記述したそうです>。
これで、インド洋方面への海路が開けました。
何故、インド洋が重要か? この海は、連合国側
の主要な兵站ルートの上、主敵、アメリカからは
最も遠隔地だからです。例えば、ここで艦船が損
傷すれば、遠く、ハワイまで修理に戻らねばなり
ません(補給も修理も休養も全て)。実際、珊瑚
海海戦では中破した空母『ヨークタウン』を真珠
湾で緊急修理し、ミッドウエー海戦に投入してい
ます)。もし、海戦が珊瑚海でなく、遠いインド
洋だったなら、『ヨークタウン』が真珠湾に戻れ
たかどうかも分からず(途中には要衝を押さえた
日本軍や連合艦隊が待ち構えているので!)、ミ
ッドウエー海戦に投入など凡そ不可能だったこと
でしょう!(これだけでも、日本がミッドウエー
で勝てた可能性大) 
アメリカにとって、これほど不利な海域もありま
せん(敵の不利な地を戦場とするのは、兵法のイ
ロハだと思いますが・・・)。
アメリカの武器貸与法による、ソ連への支援物資
の上陸地は、イラン(当時、北はソ連軍、南はイ
ギリス軍の進駐を受け、半独立状態)方面が実に
7割を占めています(他、北極海直行コース、ア
リューシャン列島添いにウラジオ陸揚げ)。援蒋
ルートの入口にして、北アフリカ戦線での英国軍
への輸送路(アフリカ東海岸添い→紅海経由→エ
ジプト揚陸)でもあるのです。第二次大戦に於い
て、インド洋が、どれほど重要な海域か、お分か
り頂けたでしょうか? 
4月5~9日にはセイロン(現在はスリランカ)沖
海戦があり、英空母ハーミス他を撃破し、以降、
東洋艦隊はアフリカ東岸のマダカスカル島やケニ
アの港に撤退します。
もし、この時、連合艦隊を二分し、半分(それで
も、もの凄い戦力!)をインド洋に遊弋させ、睨
みをきかせておけば、連合国側は全くのお手上げ
状態で、蒋介石もスターリンも、北アフリカ戦線
の英軍(モントゴメリー将軍)も、み~んな干上
がってしまったわけです。

①で記した、独伊からのヤンヤの参戦要請(シベ
リヤ軍団の満州釘付け策や、欧州戦線への関与、
紅海封鎖など)も良く理解出来ると言うものです
<後日譚として、独伊は当時の情勢から、勝てる
戦争をハナから無視した日本の姿勢を、戦後も長
く恨んでいたそうな。当然でしょう!>。
後のガダルカナルやインパールや、どこもかしこ
もですが、日本軍にはそもそも通商破壊(有名な
のは独、Uボートによる輸送船団攻撃)や兵站
(食糧、補給、整備、修理、管理運用・・・)と
言う概念が著しく欠如しており(代わりに精神力
ばかりが強調されていた)、それは余りに惨めで
寒気がする程です(例えば、日本は輸送船団に少
数の護衛しか付けなかったり。よって米潜水艦の
格好の餌食となりました。反対に、日本の潜水艦
は、大物の空母や戦艦ばかりを狙い、商船には殆
ど無関心でした)。結局、この概念希薄が敗戦に
繋がった、と言っても過言でありません(と、私
は確信しています)。
一例として、もしガダルカナル方面に飛行場を作
るなら、ラバウル基地(南方の最前線で一大拠点)
から凡そ1000km(東京ー屋久島間)のガ島では無
く、中間の500km当たりに飛行場を建設すれば良
かったのです! 
1000kmと言えば、ラバウルから、敵襲を警戒しつ
つ、緊張し放しでの片道2~3時間。そこで(残り
の燃料を計算しつつ)敵と空中戦の死闘を演じ、
又、同じ距離を帰ってくるのですから、ゼロ戦パ
イロットにとって、一体どれほど過酷だったか!
(ここにも兵站概念の無さが露呈しています) 
それが連日の出撃なのです!(*)   
もし中間点なら、余裕を持ってアメリカに対処出
来、負けるはずは無かったのです。何しろ当時、
世界最先端の艦上戦闘機グラマンF4Fですら、
ゼロ戦に全く歯が立たなかったのですから(英、
スピットファイヤーも同じ)。つまり制空権は日
本に有り、このことは、海上決戦に於いても如何
に重要であるか、論を俟ちません。
ガ島がアメリカに奪われたのなら、兵法・兵站の
観点からも、そんな1000kmの先の小島などサッ
サと放棄してしまえば良かったのです!!!
さすれば、日本に有利な海域を選んでアメリカと
闘い、ガ島(餓島)の悲劇など起こりようも無か
った訳です。
                 <続く>

(*)ゼロ戦にトイレはありません。と言うこと
は、用便は機内で済ませます。そのため、命の綱
である落下傘は、実質、トイレ代わりだったとの
こと。又、戦後も暫くはヒロポンという覚醒剤が
流行りました。これは日本軍が開発し、飲むとポ
ンッ! と覚醒するので、常時、パイロットに支
給されたそうです(無論、恐怖心を和らげる為、
特攻隊にも)。


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