アスカのブログ!

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

【日独伊の楽勝だった第二次大戦!】④

2018-02-23 18:31:50 | 日記

前回の、ビルマ山中の援蒋<中国国民党軍(蒋介
石軍)支援>ルート断ちが、「二次大戦の図式を
一変させる程のインパクト」には、納得できない
人も多いことでしょう。
それは、援蒋断ち→蒋介石の降伏に近い状態での
和平成立(この時、共産軍は、支援するところも
無く、殆ど無力状態。せいぜいゲリラ戦程度)→
中国大陸平穏化→よって、日本は大陸の兵を幾ら
でもソ満国境にも、東南アジアやインド方面にも
移動可能→ソ連のシベリア軍団は欧州戦には向か
えず(モスクワ防衛に投入出来ず)、国境地帯に
釘付け→よって、ドイツ機甲軍団のモスクワ猛攻
勢により<この時点(1941年10月あたり)では、
アメリカからのソ連への武器援助は無いか、あっ
ても極く少数>→「タイフーン作戦成功」で、つ
いにモスクワ陥落→極東のホボ無傷の日本軍とに
挟撃されソ連降伏→ヨーロッパ全土が枢軸側に握
られ、残る英国も風前の灯火に! 
イギリスが陥落すれば、アメリカが世界の孤児と
化してしまう訳で、何という面白いストーリー展
開ではありませんか!!!<でも、そうは成らな
かった(*_*)> 

援蒋断ちは、以上のような、とてつもない大図式
を成立させる程のインパクトなのです。如何に中
国大陸での和平が重要であったか、少しはご理解
頂けたでしょうか? 
実は、援蒋ルートの入口は、今のバングラデシュ
(ベンガル湾)辺りです。12/8の宣戦布告後は、
速やかに、ここらの揚陸港(港湾施設)をチョコ
ッと叩いて破壊するだけで<例えば、連合艦隊の
大和・武蔵による世界最大18インチ砲の艦砲射
撃(メチャメチャ保有していた、その他の戦艦・
巡洋艦も使い)や空爆など>、援蒋ルートはお終
いです。わざわざインパール作戦など発動する必
要すら無い訳です。
                 <続く> 

次回は、主力戦場はソロモン海域(ガ島)では無
くインド洋! を記したいと思います。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

【日独伊の楽勝だった第二次大戦!】③

2018-02-21 19:36:50 | 日記

前回、少しでも援蒋ルートを切っておくべきだっ
たと述べました。何しろ、この時点に於ける最大
の重点項目であるからです(第二次大戦の図式を
一変させる程のインパクト有り)。当然、援護側
の英米との戦闘状態を覚悟する必要があり(*)、
切らなかったのは、政府・軍部にこの覚悟が出来
なかったと言う訳です(つまりは、「優柔不断、
事なかれ、先送りの無責任体制」と言う、今に続
く悪しき慣習)。
しかし現実には、戦闘相手国に支援するというの
は、明白な敵対行動で、その行為を止めさせる権
利は有るはずです。抗議しても止めないなら、実
力に訴えるしかありません<それが、当時(現在
も?)の常識であり、そのための軍事力なのです
から>。唯今の、北朝鮮問題とも似ていますね。
同様、英米と日本が戦闘し、日本に対し独伊が支
援行動を取れば、英米は当然、独伊を攻撃出来る
道理です。最重要項目にも拘わらず、この決断が
出来なかったが為に、将来に大きな禍根を残しま
した(敗戦はするは、最後まで、日支が泥沼状態
で闘う羽目に)。
例えば、宣戦布告無き戦闘は事変と呼ばれます
(支那事変と言うように)。当時、英米と戦争し
たくないのなら、せめて、事変扱いでの戦闘でも
良かったのです。最大に譲っても、英米と戦争に
入った1941年12/8以降、直ちに堂々とインパー
ル作戦を実行すべきでした。それをしなかったの
は、返す返すも、唯々、残念至極! としか言い
ようがありません。
                 <続く>

(*)実際に援蒋ルートを叩いても、英米は日本
に宣戦布告出来なかったでしょう。前回述べたよ
うに、イギリスは独伊と死闘を演じて手一杯、余
力はありません。アメリカも、一次大戦で多くの
若者を死なせた反省から、国民全体が厭戦気分。
戦争絶対NOで固まっているからです(戦争屋の
ルーズベルトが大統領3選出馬にあたり、決して
参戦せず、と公約して当選している程です)。
しかも現場は、米本土から遙かに遠いビルマの山
中。こんな戦闘くらいで、アメリカ国民が憤り、
宣戦布告賛成など考えられません。親戚とも言う
べき、隣の欧州戦線ですら参戦反対しているので
すから。
アメリカ国民の方から、日本と戦争になる可能性
があるくらいなら、援蒋など止めろ! との声も
湧き上がっていたかも知れないのです。
こんな判断(大局予測)すら出来ないエリートだ
らけの【参謀本部】って、一体何なの? と思っ
てしまいます! 
この悪しき慣習が今日にまで及んでいるのは、多
くの識者が、ヒラリーとトランプ当選を見誤った
ことでも明らかなようです。
 誠に嘆かわしい限りです(*_*) 

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

【日独伊の楽勝だった第二次大戦!】② 

2018-01-27 20:57:59 | 日記

先ず、欧州を見ると、1939年にドイツがポーラン
ドに侵入したことで、英仏が宣戦布告し、ここに
第二次大戦が始まります。独はソ連と不可侵条約
を結んで後方を固め、破竹の電撃作戦により、独
仏国境のマジノ線(フランスの対ドイツ超要塞線)
を突破、英軍を欧州大陸のダンケルクより叩き出
し、パリを陥落させ、アレヨアレヨと言う間に、
ソ連を除くホボ全欧州を手中に。
その間の日本は、1937年7月 盧溝橋事件<日中戦
争勃発。いわゆる支那事変。今日、中共軍の劉少
奇将軍が日中両軍に発砲して日中を争わせた、が
定説に?(*)>から続く中国・国民党軍(蒋介
石軍)との長い闘いに突き進んでいた訳。
しかし現実は、蒋介石軍は日本軍に追い回され、
連戦連敗<つまりは日本軍の連戦連勝! とにか
く前線(現場)の日本軍は強かった。最後の一兵
(玉砕)まで戦ったので。こんな軍隊は世界広し
といえども日本軍だけ! 通常は3割ほど損傷す
れば、白旗を揚げて、ゲームオーバー>。首都・
南京を失い、遙か後方の重慶に後退、ここで、日
本軍と対峙することに。同年9月、国共合作が誕
生し抗日民族統一戦線が成立。それでも共産党軍
(八路軍)の実体は陝西省延安にヒタスラ閉じこ
もり、ただタマにチョコマカと動き回るだけ(敗
戦により、日本軍の武器弾薬を多数押収し、ここ
に初めて力を付けてくる)。

この蒋介石軍を助けたのが、英米独ソ(独は三国
同盟締結後に抜ける。ソ連も日ソ中立条約からは
名目だけ)で、世に言う【援蒋ルート】<イギリ
ス領インドから、ビルマ(現在のミャンマー)、
雲南省を経由する長大な補給線>により蒋介石を
支援。この時、日本は国力の頂点にあり(ミッド
ウエー海戦あたりまで)、もしその時点でインパ
ール作戦を実施し援蒋ルートを少しでも断ってお
けば(主力の英軍は、欧州戦線でドイツと死闘を
演じており、無傷の日本軍と闘う余力無し。アメ
リカは国民の総意で、未だ参戦できず)、孤立無
援となった中国は簡単に降伏!(の筈) 
実際、蒋介石は英米に支援されている最中でも、
日本と降伏に近い講和を考えていた(と戦後、語
っている)。それを近衛首相が、「国民党政府を
相手にせず」(1938年1月)と宣ったばっかりに、
折角の講和の機会を自ら断ってしまった! 

何れにせよ、チョビットでもインパール(又は、
その類似の)作戦を行い支那と和平していたら、
国際連盟(当時、有名無実化してたが)にも悠々
と復帰し(何しろ大国なので。又、国際連盟自身
も復帰を望み活動を再開したがってた筈)、大戦
の歴史(推移)は様変わりしていた事でしょう。
例えば、ドーリットルの日本初空襲も無く<中国
での帰投地が無いので>、続くミッドウエー島攻
略戦(初空襲で頭に血が上った大本営が考案)も
必然、有り得なかった次第。
それを、よりによって何を血迷ったのか、負け戦
が決定済みの44年に、補給(兵站)も考えず、牟
田口廉也中将の強硬な主張により、多くの反対を
押し切りインパール作戦は決行された(**)。
杜撰な作戦により、白骨街道(***)と称された
悲惨な敗退路は、つい先日のNHK特集でも明ら
かな通り(死者の6割ほどは、戦闘死では無く、
餓死・病死だそうです)。
サテ、再び欧州に目を転ずれば、こちらも何を狂
ったかヒトラーは、41年6月、不可侵条約を破り
突然、独ソ戦を開始<バトル・オブ・ブリテンで
負け戦だったため?(この時も、ヒトラーはロン
ドンを空襲し続けたが、本来は工場地帯を徹底し
て叩くべきだった)>。イギリスとの二方面に戦
端を開いてしまう。が当初は、この独ソ戦でも、
電撃戦が功を奏し(不意を突かれたソ連の準備不
足も有り)、ソ連領に怒濤の侵攻! 
                 <続く>


(*)2014年のウクライナ政変では、ヒラリー指
示の元、現地でヌーランド国務次官補が指揮し、
政府側、デモ側双方に発砲させ、違法クーデター
を成功させた(と言われている)のと同じ図式
<この政変劇では、ロシア系住民を守るため即行
でクリミア半島を押さえたプーチン大統領を、一
方的に悪と決めつけ、西欧社会は未だに経済封鎖
を続けている。ワルは、正当な政権を違法クーデ
ターで倒した、オバマ・ヒラリーに決まっている
のに!)。

(**)日清・日露と今次大戦に於けるリーダー
の大きな違いは、前者は、幕末・維新で白刃の下
を生き抜いた(死線を越えた)、即ち現場を知る
人物がリーダー! 対して後者は、軒並み陸大・
海大出身のペーパーテストでのエリート組(専ら
机上作戦ばっかり)。この差は、大きかった! 
言わずと知れた、今日の東大出身の霞ヶ関官僚に
も続く弊害でしょう。三橋 貴明著『財務省が日
本を滅ぼす』(2017/10/31刊)の言う通りと思い
ます<実際、お公家さんのような近衛(実は、回
りはスパイだらけ。当人も?)と、陸大・海大出
身の現場(実情)を無視した、ペーパーエリート
によって国が滅ぼされました!>。

(***)日本軍のインパールへの行軍路は、当然
のように、多くの村落がありました。世界の軍隊
は、食料が無くなれば、兵隊は、周辺で略奪行為
を働きます。これは常識しすぎる程の現実です。
必ずです。所が、ミャンマーは今日に至るも親日
国です。何故でしょう? 
それは敗退する将兵は、村落から略奪してまで生
きようとはせず、自死(餓死)を選んだ結果なの
です。恐らく、目の前には食料となる水牛が草で
も食(は)んでいたに違いありません。しかし、
これを食べてしまえば、自分は生きても、村人は
翌日からの農作業に行き詰まってしまうのを良く
知っていたからです(農村出身の将兵が多かった
事もあり)。もし略奪に走れば、村民・国民の恨
みは今日にも及び、大の反日国家になっていた筈
です。
これは、どれほど、日本人の民度(高潔さ)が見
事であったかを表すエピソードの一つだと思いま
す(無論、不心得者は何処にも居りますが)。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

遅ればせながら【謹賀新年】を (^^ゞ 

2018-01-18 16:40:55 | 日記

昨年は訃報の多い年でした(*_*) 
私は? と言えば、お陰様で、この5年、風邪ひと
つ引く事も無く、若い時分と同様に毎年スキーを
楽しんでおります。
<今年は、八方か野沢か志賀(^o^) > 

昨年11月29日には嬉しい経験をしました。一日、
10万人弱訪れる有名なサイトが(累計:2.4億
人!)、突然、私のブログを2件紹介してくれま
した。
【『567=666=ミロク』の種明かし(2014-12
  -30付け)】
【熱中症に水分補給は危険です!(2017-08-08
  付け)】
です。
月に1~2度しか更新しないせいか,いつもはgoo
(NTT系)のブロガー280万人中、1日あたり閲覧:
50~300辺りをウロウロ、ランク:3000~20000
位をチョロチョロでしたが、その夜の私への訪問
者が一挙に40~50倍に跳ね上がり、閲覧数2500,
ランクは745位で、これにはビックリ仰天でし
た(◎△◎;) 
又、これをキッカケに、他のサイト3~4ヶ所でも
取り上げてくれましたので、今後の訪問履歴を楽
しみにしている所です。
17年の大トリのブログは大晦日あたりに、【日独
伊の楽勝だった第二次大戦!】(100歩譲っても
この結論に。有利な条件で講和出来たのに、それ
が何故?)を書くつもりです。
尚、検索は『木脇文節』で。読者増のお陰か、こ
れ一発でヒットします。お暇な折にでもどうぞ。

それでは皆様もどうぞ良いお年を! 2018年元旦
           <2017.12.27記>

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

【日独伊の楽勝だった第二次大戦!】①

2017-12-31 22:43:05 | 日記

【今次大戦で日本が勝てば、戦前の軍国主義がそ
のまま維持されるわけです(軍部独裁)。個人的
には、戦後、塗炭の苦しみを味わいましたが、曲
がりなりにも民主主義体制に変革された(農地解
放や参政権など)ので、負けて良かったかも、と
思っています】 

2017年の12/8日は、宣戦布告から76年です<今日
では、アメリカと戦争した事すら知らない若者も
多いと聞きます(>_<)>。
戦後、二次大戦は、「膨大な国力を誇るアメリカ
に、無謀にも立ち向かった愚かな日本! 当然、
負けるべくして負けた」、及びGHQの『日本弱体
化政策』の一つ「GPIF洗脳(*)」により、「連
合国は善、日本は悪!」「戦後は善、戦前は全て
悪!」が、今日に至るまでの常識で、未だ、多く
の国民が自虐史観に捕らわれているのは周知の事
実です(又、阿川弘之氏などの著作によって、海
軍善玉・陸軍悪玉説が広く流布され、国民多数が
それを信じてもいるみたい)。
よって日本の楽勝だった等、書きますと、皆様は
目を白黒! 中には「デタラメ言うな~!」と怒
り出す人も当然出てくるかも知れません(苦笑) 
でも、これは本当です<と、確信しております
(汗!)>。
勝たないまでも、圧倒的有利な条件で、講和に持
ち込めたのは間違い無いところです。詳しく述べ
れば、一冊以上の本になってしまうでしょうから
大雑破に、ザックリと記してみたいと思います。

勝機は三度以上も有り! <そのうち一つでも!
日本が実行していたら、今日に続く、アメリカの
属国状態の悲哀とは成らなかったのに!>。 
独伊からはヤンヤの参戦要求!(反して、ソ連や
欧州戦線への日本の関与を徹底してビビリまくっ
た連合国側!→当時、世界最大の連合艦隊を有し
ていた事もあり)。
それをハナから無視した日本! つまり、何れに
おいても、第二次大戦の帰趨を決められたのは日
本! アア、それなのにそれなのに<絶句!>

先ず、(私の思う)重要年表から・・・。
1939.8/23 独ソ不可侵条約締結。
1940.6/14 ドイツ軍パリ無血入城。
1940.9/27 日独伊三国同盟(枢軸側)締結。
1941.3/11 アメリカ武器貸与法成立。
1941.4/13 日ソ中立条約締結。
1941.7/4 関東軍特種演習(関特演)。80万動員
 でソ連に威圧、そのまま撤収(*_*)<勝機1>。
1941.10/2 欧州東部戦線におけるドイツ軍「タイ
 フーン(モスクワ攻略)作戦」開始。10/中旬に
 はモスクワまであと80kmと迫る。 
1941.10/4 スパイ・ゾルゲから「日本、満州より
 のソ連侵攻無し、との重要情報がスターリンに
 届く」(ソ連の窮地を救った極大情報! この
 情報あって、ソ連はヒトラーに勝てた!!!)。
1941.11/7 武器貸与法により、アメリカから膨大
 な武器がソ連に届き始める(以降、終戦まで続
 々と)。同日あたりから、シベリア軍団75万
 がソ・満国境より移動し、モスクワ防衛のため
 到着(無論、ゾルゲのお陰)。
1941.12/5 ドイツ、冬将軍到来でモスクワ攻略
 断念。
1941.12/8 日本、真珠湾攻撃。 
1941.12/10 マレー沖海戦で、イギリス東洋艦隊
 の華、戦艦レパルスとプリンス・オブ・ウエー
 ルズを空から轟沈(航空機による戦艦撃破は、
 これが世界初? その後の世界認識は大艦巨砲
 から航空戦力の時代に代わる)。
1942.2/15 難攻不落の英シンガポール要塞が山下
 奉文将軍により陥落(有名なイエスかノーか)。
1942年4月5~9日 セイロン沖海戦。英空母ハーミ
 ス撃破。以降、英東洋艦隊主力はアフリカ東岸
 に撤退(?)。
1942.6/5 ミッドウエー海戦で、日本、虎の子空
 母4隻喪失。それまでの連戦連勝に、俄に暗雲
 が漂い始める。
1942.6/30 名将ドイツ・ロンメル将軍による北ア
 フリカのエルアラメイン(エジプト)で、英軍
 (モントゴメリー将軍)との攻防戦始まる<勝
 機2>。
1942.7/6 日本ガダルカナル島上陸。
1942.8/22 独、スターリングラード攻撃→二次大
 戦の帰趨を分けた大決戦<勝機3>。
1942.10/23 英軍エルアラメインで反撃。
1942.11/19 ソ連スターリングラードで反攻。
1943.2/1 惨憺たる有様で、ガダルカナル島撤退。
1943.2/2 独、スターリングラードで降伏→これ
 で、大勢は決した! 
1943.5/12 北アフリカ戦線のドイツ降伏。
1943.9/8 イタリア降伏。
1944.3/3 インパール作戦開始。インド独立軍の
 チャンドラボースも日本側として参戦。
1944.6/6 連合軍ノルマンディ上陸。
1944.7/7 サイパン陥落。以降、日本本土爆撃始
 まる。 
後は推して知るべし。
                  <続く> 
(*)は、ググってみて下さい。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加