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【日独伊の楽勝!⑥ <上層部にスパイが!>】

2018-03-08 22:26:47 | 日記

前回、兵站思想の欠如が日本敗退の理由と述べま
したが、要は、特に海軍には、兵站、通商破壊、
拠点撃破<基地・港湾施設・航空施設破壊(航空
機・滑走路など)、備蓄弾薬・燃料タンク破壊、
兵舎破壊・・・>、と言う思想が著しく欠けてい
たのです。求めていたのは艦隊決戦至上主義で
(何か、武士道精神のマイナス面が出ているみた
い)、敵空母や戦艦の撃破のみのようでした。実
際、そのほうが、政府・海軍内でも、国民向けに
も大変受けが良かったからなのでしょう(輸送船
を攻撃しても殆ど評価は得られなかった)。
しかし、『勝つ』と言う視点からは、徹底して、
通商破壊、拠点撃破こそが重要であるのは、常識
過ぎることです。艦隊決戦など二の次でしょう! 
何しろ自国の軍港が機能しなければ、燃料・弾薬
の補給すら出来ないのですから。拠点壊滅して後,
余裕を持って敵艦隊と対峙すれば良いのです。

当然のように、南雲指揮下の機動部隊は、パール
ハーバーを襲いましたが、目指す敵空母2隻は無
く(スパイの通報により、事前に湾外に避難して
いた)、ルーズベルトの策謀により、湾港にずら
りと並べられたオンボロ戦艦を含む8隻を撃沈し
て、意気揚々と引き上げてしまう!(実際、攻撃
搭乗員や参謀からの港湾施設再攻撃を具申される
も、南雲は無視してサッサと日本に帰投)。
肝心要の港湾施設は無傷のままでした。もし戦艦
など無視して、真珠湾の軍港施設を徹底して破壊
しておけば、米海軍は西海岸のサンディエゴ軍港
までの後退を余儀なくされ、少なくとも半年間、
太平洋での活動が大幅制限されたと言われるだけ
に、その後の珊瑚海海戦:1942年5月8日(史上初
の航空母艦同士の決戦)で、引き分ける事も無か
ったし、ミッドウエーで大敗北を喫する事も無か
った筈です。又、その後のガダルカナルでの悲惨
な敗退やアッツ島の玉砕もなかったでしょう。
戦争屋ルーズベルトが折角、日本側内通者と仕組
んだ、精緻な日本軍誘い込みシナリオも、真珠湾
施設破壊なら緒戦で破綻してしまった次第。結果
的に、いわゆる太平洋(戦争)は米国にトテツモ
ナイ重荷となってノシ掛かかってきた訳です。
馬鹿げた真珠湾攻撃を、もし、評価出来るとすれ
ば、港湾施設破壊の一点のみでした<でも、絶好
の機会なのにしなかった(>_<) >。

17年6月のミッドウエー海戦で虎の子の空母4隻
と優秀なパイロットを多数失い、制空権を奪わ
れ、徐々に衰退の道を歩み始めたのはご承知の通
りです。
何故、こんな事になってしまったのかと言えば、
戦争前からの多数の敵国スパイ工作(ソ連のコミ
ンテルン等)により、日本の上層部が(近衛首相
を始め戦争指導部→近衛は昭和20年12月16日、自
殺していますが、あるいは知りすぎた男として消
されたのかも?)、かなり汚染されてしまったこ
とに尽きるのです。
何と言っても、海軍は目も当てられない程の酷さ
で、山本五十六司令長官(*)<アメリカに武官
として赴任中、どうせ、ハニートラップにでも引
っかかったんでしょう>、米内海軍大臣は、ルー
ズベルト同様、フリーメーソンに入会していたの
は真実のようです。山本の作戦行動・足跡を見る
限り、十分に首肯できるところです。米内に関し
ては、阿南陸相が終戦日の自決に当たり、介錯の
副官に向かって「米内を切れ!」との有名な逸話
(?)が残されています。側近の宇垣中将(連合
艦隊参謀長)や栗田中将(**)、野村駐米大使
(海軍大将)も疑わしい限りです。

潮目のミッドウエー海戦では山本は、空母部隊の
遙か後方600kmの所で、大艦船に囲まれ、エアコ
ンの効いた戦艦大和に鎮座し、左ウチワで観戦
(別名、大和ホテルと言う)→つまり、虎の子の
空母を丸裸状態で敵の前線に放置。当然のように
空母を失い大敗北を喫した後は、国での大非難が
恐かったのか、日本に帰らず、そのままトラック
諸島にトンズラ! ミッドウエー島攻略を名目に
した、実質は自国の空母部隊壊滅を狙った、山本
の作戦と睨んでいます(トンズラも含め、スパイ
の面目躍如)。
そう思えば、空母艦上の二度に渡る兵装換装(魚
雷と爆弾の交換)なども良く理解出来ようと言う
ものです。このテンヤワンヤしている最中に、敵
機動部隊に襲われ(運命の5分間と言われる。こ
れとて山本が、敵に暗号で空母位置を知らせた、
又は、偵察機乗員にワザと誤報を打電させた、と
勘ぐれるほどの偶然の5分間です)、これからの
太平洋・インド洋海戦で必須の、虎の子空母4隻,
及び、優秀なパイロット(養成には多大な時間と
コストが掛かります)、航空機を多数失ってしま
いました(山本の罪は正に万死に値する!)。
これでは、陸軍がどんなに頑張っても勝てるわけ
はありません。陸軍にも、怪しげな人物がいます
が、海軍に較べれば、ず~とマシと言うべきでし
ょう。陸海軍の連携は最初から惨憺たる有様で、
これで良くも4年も戦争継続出来たものと感心す
らしてしまいます。
宣戦布告書を、ワザと1時間遅らせたアメリカの
日本大使館員も同罪です。このため、不意打ちを
食らわした卑怯者! との烙印が未だに、日本に
押されています。本来、全員、切腹モノなのに、
不思議なことに戦後、彼等は野村大使始め、外務
省で大出世を遂げています(こんなところにも答
えは出ているようです!)。
                <続く>

(*)ヤコブ モルガン著、『山本五十六は生き
ていた』1994/12月 太陽出版刊 が実に詳しい。

(**)「レイテ湾口 謎の反転」で有名。囮(お
とり)部隊となった小沢艦隊の決死の犠牲の上に,
漸く湾口に辿り着く。折角、戦艦大和(武蔵は途
中沈没)を率いながらも、湾内に蝟集した膨大な
敵輸送船団やマッカーサーを目前に反転、見逃す
ことに! 戦後も死ぬまで口を閉じ真相を明かさ
なかった(→無論、スパイとなれば当然のこと)。
更に、驚くべきは、この事実を共同作戦の陸軍に
は伝えず、そうとは知らない陸軍はレイテ島や、
フィリッピン本島で大敗北を喫するハメに。


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