海側生活

「今さら」ではなく「今から」

アップに耐えられない 

2011年12月15日 | 感じるまま

Photo

ピンポーンとドアーチャイムが鳴る。
「はあーい」
「お母さんは居ますか」
地域の回覧板を持って来た人も、家には娘は居ないのに、娘と間違うのよと、声の若々しさを自慢していた姉。
色は白くて小柄だが背筋は伸びているし、声も高いためか、姉が言う通り歳相当には感じられない。

法事の後、姉の家に寄ったときの事だ。帰り際、玄関を出て庭を背景に姉を記念にと一枚撮った。
その後、自宅に戻り、そのときの写真をハガキ大にして送った。その写真は姉の特徴が上手く出ていて笑顔が良い。手入れを自慢していた庭もキレイに写っている。特に脚立を使った剪定が大変だったと言っていた柊も存在感がある。

数日後、写真のお礼のメールが来た。
『ハガキ大の写真を眺めている内に、私は恥ずかしくなった。まだまだ自分は若いと心ひそかに思っていた、人からも若いと言われていたが、こうして写真をしみじみと見ると、やはり年相応なのが良くわかる。見ているうちに破り捨てたくなったが、勿体無いから写真をケイタイで撮り保存した。ケイタイの画面だったら小さくてアラが見えないから。そして写真はタンスの奥深く仕舞った』

「お母さん」や「オバアチャン」等と呼び方は、子供や孫と比較して言う言葉であって、姉は少しも老人だとは思っていない。

常に何事にも質素を信条としている姉が、目尻のシワをしみじみと見て恥ずかしいと感じるその感性を可愛い女だと思う。

法事のついでに立ち寄った雲仙の普賢岳・妙見岳で始めて見た凛とした霧氷を思い出す。
姉を少しだけ見直した。