鎌倉には花でその名前が知られている神社や寺が多い。しかしバラの名所は殆ど無い。
鎌倉・長谷に鎌倉文学館がある。かって旧加賀藩・前田家の別亭だった。その庭にバラ園がある。
秋のバラは春のバラみたいに咲き揃うことは無いが、本来バラは寒い地域の植物だから、春のバラよりも香りが良く、色も鮮やかで自分は秋のバラが好きだ。
色とりどり186種もあるが、鎌倉生まれのバラは15種あり、中でも棘が無く鮮明な黄色の「鎌倉」、鎌倉文学館が舞台の三島由紀夫の小説に因んだ真っ白な「春の雪」、八幡宮の神事から名付けた深赤色の「流鏑馬」、静御前から採った淡いピンク色の「静の舞」等、観て堪能できる。
「春の雪」を眺めているうちに、最後の入院になった母を病院に見舞った折、ベッド横の小さなサイドテーブルに枯れかかった白いバラの花が飾ってあった記憶が蘇った。
昼の眠りに就いた母の顔と、視野に残っているバラの白が重なった。バラや百合は母が最も好きな花だった。母は花なら何でも好んだが、白い花がとりわけ好きだった。たった一つを選ぶとしたらバラを選ぶと言っていた。実家の庭にはいつもバラが咲いていた記憶が蘇った。
人間は死すべきものとしての宿命があるからこそ、生きることが切なく美しいのであって、永遠に死なない命なぞ与えられたら悲劇だと思う。花だって枯れ、萎れるからこそ愛しいのであって、いつまでも枯れない花などこの世のものではない。
病室を後にする際に母は自分に“ありがとう”って言った、小さな声だった。
今でも考える、あの“ありがとう”の言葉は何を指していたのだろうと。単に見舞いに来たことに対するお礼の言葉だったのか。
それとも違う別の意味があったのかと。