(鶴岡八幡宮/鎌倉)
夜の長い冬から開放され、春は生き物達が活気付く。
霞む遠くの富士山には雪が残っているものの、うららかな春の野に響く鳥の囀り。畑の脇には草萌えと共に背丈の低い野の花がいろいろと咲き出した。足を止め、かがみこんで観ると忙しく動き回る天道虫の姿。冴え返りの日はあっても少しづつ日差しは強くなり、辺りは明るい色に溢れる。自然に生きる命の鼓動を感じ易い季節だ。自然との一体感は幸せと豊かな気持ちを運んできてくれる。
先日まで枝いっぱいに花を咲かせ、瞬く間に半分以上の花を散らした枝垂れ桜が風に揺れている。手に取って観ると散った花のすぐ隣には萌黄色の小さな葉が早くも芽吹き始めている。日が落ちて青白さを増していく花を一人眺めていた。辺りが暗くなるに従い、花の向こうに橙色の明かりが灯った。お寺の方のお住まいだろうか。風で枝が揺れる度に灯りがチラチラと見え隠れしている。
桜の余韻に浸りながら、冬の間伸ばしていた髪の毛をカットに床屋に入った。
「これでどうでしょう!」と、今日も自分の頭を見事にピカピカに剃り上げた床屋のオヤジが、大きな手鏡を後ろから見せ聞いてくる。思い切って短くカットして下さいと注文していた。
カットし終えて「どうでしょう」と聞いて来るのは、いつもの事だが、カットしてしまった後に聞かれても、切った髪はもとに戻らないのに、どうして聞くのかなと今でも分からない。
前の大きな鏡に映る自分の後頭部を見て唖然とした。カットしたのが長すぎたとか短すぎたと言う事ではない。
毎朝、髭を剃る時は洗面所の大きな鏡を見ながら、ただ習慣で剃る。だから、ここ数年の間に、まるでカツラが後ろにズレたように額が広くなってきたのも当然分かっていた。しかし毎日見ていると慣れてしまい特別の事ではなかった。ただ後頭部は見ることがなかった。手鏡は使う事が無い。
狼狽えた。後頭部はまるで花が散った枝垂れ桜の状態ではないか。髪の毛のボリュームよりも、先ほどまで観ていた枝垂れ桜の向こう側の塀みたいに地肌部分が首筋まで透けて見えている。見たことが無い間が抜けた空間が方々にあった。そう言えば雨が降り出した時は、かなり以前から頭のテッペンで感じていたし、花吹雪も頬や頭で感じていた。これから空から落ちてくるモノは後頭部でも感じるのかもしれない。
オヤジに挨拶もそぞろに店を出た。
山や野の緑色が鮮やかに色濃くなっていくのに、わが頭髪は永遠にサヨナラしたままだ。