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人は安全基地を必要とする…ルソーと正男

2017-02-23 08:27:39 | 10代20代30代
正男がヤラレタ…

何となく、憎めない、太っちょの笑顔…

日本の文化を愛した北のプリンスは暗殺された。

彼をインタビューした日本人記者は、人柄に魅了されたらしい。

残念だ。


人は安全基地を必要とするらしい


彼にはあったのかな?安全基地。

●生きるための哲学 (河出文庫)

著者 岡田尊司 (著)によると、



人は「安全基地」を必要とします。



●安全基地。



それは、いざという時に頼ることができ、守ってもらえる居場所、安心の拠り所、心の支えといった存在を持つということです。


●多くの場合、それは、自身の身近な存在(家族、友人、恋人など)ですが、

教師、カウンセラー、時には本であったり、宗教指導者のような存在が安全基地でもあり得ます。

特に子供は、困ったときは、親という安全基地に逃げ込み、

必要が無くなれば、」自由な探索に戻る。

●安全基地を持つ人は 

・不安を感じにくく
・探究心があり
・人との関係も活発で
・安定しやすい
・生き残りやすく、社会性や知的な発達も優る。

●逆に毒親だと、安全基地にならないのだ。

なぜなら、毒親は子供に代償を求めたり

子供を支配しようとする。

親の期待に応えられない子供は、自分を無価値だと思うようになり、子供は苦しむ。

親の支配から抜け出すための反発時期を、反抗期という。

●安全基地の条件は、
・一切縛られず
・見返りを求められず
・強要もされず
・自分が無条件に受け入れられたと感じることのできる存在。


●ルソーの場合

母はルソーを生んで、すぐに亡くなった。

父親との折り合いが悪く、なんと16歳で故郷を捨て、自ら「放浪」の旅に出る。

なぜルソーは浮浪者から、成功したのだろうか?

ルソーは人に甘えて愛顧を得る、驚くべき才を身に付けて生き延びた

年上の貴族の未亡人の館に転がり込むなど、時には嘘をうまく使いながら、安全基地を見つけ出してゆく。


●正男はどうだろう…想像してみよう

権力の世襲を続ける北朝鮮の「3代目」として有力視され、幼少期から「ロイヤルファミリー」の

特権階級の一員として何不自由なく育てられた。

父親からは強い愛情を注がれており、「将来父の後を次いで政治を行うためには、外の世界を知らねばならない」と、

スイスのジュネーブに留学に出された。

父が死に、安全基地の一角が失われると、意識して発言力を弱めた。

叔父でナンバー2の張成沢氏が処刑され、いよいよ最後の安全基地を失った。


国家という自分の生まれた母なる大地、いわば地理的な安全基地にも帰ることができないまま、

アジア各国を放浪する。

ルソーのように…

彼の人を引き付ける笑顔の奥には、生き延びるために身に付けざるをえなかった
愛顧の才が、延命のために磨かれ、それが日本人記者を魅了したのだとしたら…

ご冥福を祈る。











どんな人が極限状態で生き残ったのか? 「夜と霧」で検証します。 +韓国の仏像トンデモ判決

2017-02-13 16:45:32 | 10代20代30代
●名著「夜と霧」…新訳は驚くほど読みやすい。

作者は、フランクル 。フロイトやアドラーにも師事していた精神科医。

ユダヤ人の彼は、1942年にアウシュビッツ強制収容所に囚人として収容されました。

「夜と霧」は、絶望の中で倒れゆく囚人たちや懸命に生き抜いていく囚人たちの心の動きをまとめた本です。

日本でも累計100万部が発行されている。東日本大震災後売上が伸び、絶望に満ちた多くの人を救ったと言われています。


病気になったらガス室に送られる恐怖におびえながら、

わずかな食事で11時間の強制労働、

夜は2メートル×2・5メートルほどの板床に9人が身体を横にして寝せられる。

そんな日々がいつ果てるともなく続く。

仲間が死ぬと、我先に靴や服を奪う、人間性を失った人々の群れ…


●でも意外なことに、生き延びた人は、体が強くマッチョな人ではなく?




体が弱くても、こんな3つの価値を心に持っていた人たちでした。


 
 

1・創造価値…情熱を傾ける。仕事の大小ではない=人の喜びを造って行くプロセスに意味を見い出す。

あなたを待っている何かを見つけて実現すること。

例:収容所で絶望して自殺しようとする人に対してフランクは語る。
“それでも「人生」はあなた方からあるものを期待しています。

あなたたちを「待っている」何かがあるはずです。それが何かを考えてみて下さい” 
彼らはこどもや仕事が待っていることに思い当たり、自殺を思いとどまった。



2・体験価値…心震わす体験。「あなたが経験したことは、この世のどんな力も奪えない」

例:囚人たちは、時には演芸会を催して音楽を楽しみ、美しい夕焼けに心を奪われた。
フランクルは、そうした姿を見て、人間には「創造する喜び」と
「美や真理、愛などを体験する喜び」があると考えるようになる。



3・態度価値…人生にどう向き合うか?人はあと少しの命であるとしても、

どのような態度をとるかによって、人生を変えることが出来る

例:フランクルが実際に収容所で見たのは、死んだ仲間から物を奪って行く人もいた。

しかし、自分自身も息絶え絶えなのに、自分の僅かなパンを他の人に与えて行く人もいた…

つまり収容所の中の人間は、天子と悪魔に分かれていったという事実があった。

☆どんな態度をとるかという、態度決定の自由だけは、どんな人も奪えない…

「人間とは、何かを常に決定する存在だ。 人間とは、ガス室を発明した存在だ。

 しかし同時に、ガス室に入っても毅然として祈りの言葉を口にする存在でもあるのだ。」

●生と死の意味


「およそ生きることそのものに意味があるとすれば、苦しむことにも意味があるはずだ。

苦しむこともまた生きることの一部なら、運命も死ぬことも生きることの一部なのだろう。

苦悩と、そして死があってこそ、人間という存在ははじめて完全なものになるのだ。」


ある囚人は神様と約束をしたのだと、作者は聞くことがあった。

もし私が死んだら、妻と子供を生かしてくださいと。

死が意味を持ち、無駄な生き方をしなくなる。


●なぜフランクルは、ユダヤを告発しなかったのか?

次の文章が興味深い

 このような事態は、些細なことをつうじて明らかになった。

たとえば、ある仲間とわたしは、ついこのあいだ解放された収容所に向けて、田舎道を歩いていた。

わたしたちの前に、芽を出したばかりの麦畑が広がった。わたしは思わず畑をよけた。

ところが、仲間はわたしの腕をつかむと、いっしょに畑をつっきって行ったのだ。

わたしは口ごもりながら、若芽を踏むのはよくないのでは、というようなことを言った。

すると、仲間はかっとなった。その目には怒りが燃えていた。仲間はわたしをどなりつけた。

「なんだって? おれたちがこうむった損害はどうってことないのか? 

おれは女房と子どもをガス室で殺されたんだぞ。


そのほかのことには目をつぶってもだ。なのに、ほんのちょっと麦を踏むのをいけないだなんて・・・」



過去に辛苦を飲まされたドイツ人相手には、未来永劫何をしてもよいという気持ちになりがちな人もいた中で、

フランクルはナチスへの告発ではなく、「どのような態度で人生を生きるか」、人間の尊厳を問うたのだ。


●おまけ

2012年に韓国人に盗まれ、韓国に持ち去られた日本の寺にあった「仏像」を巡って、

韓国の裁判官がトンデモ判決を下したのを覚えていますか?

なぜかな?

裁判長は「過去に正常でない過程で対馬の観音寺に収蔵された」とし、
「浮石寺の所有と十分に“推定”できる」とした。

日本で韓国由来の骨董ならば「盗み放題」ってことを、正当化することにもなりかねない。

李朝の白磁や高麗仏画を持っている日本の骨董屋は、盗まれる恐怖で 震え上がっただろう…

裁判官は頭がいいから、盗難された文化財の輸入禁止、盗難された文化財があった国への返還義務などを定めた

「文化財不法輸出入等禁止条約(ユネスコ条約)」に違反する判決を自分が出すことぐらい分かっていたと思う。

故宮博物館や大英博物館など他国のもので構成されている博物館からの批判もおそらく承知で

トンデモ判決は下されたと想像する。

おそらく、彼は 麦の若芽を踏みにじったユダヤ人と同じ目をしていたのだろう…