<西部邁師の論(37)。民主主義の腐敗>
民主主義にあっては、まず、『理想』主義が、喧伝されます。
その結果、自由は、人々をレッセ・フェール(勝手放任)に「追い込みます。
つまり、『放縦』に流れます。
平等は、人々をアヴェレジ(平均)に押し込みます。
つまり、『画一』に固まります。
友愛は、「甘ったるい。」口説を広めます。
つまり、『偽善』に堕ちます。
そうなれば、国家制度どころか、個人生活も持ちません。
それで、価値の『逆転』が起こり、「現実主義。」が台頭するのです。
その顛末は、秩序は、押しつけがましい『抑圧』に変わり、『格差』は、社会を無慈悲に分裂させるに至り、『競合』は、掃討や詐欺をもいとわぬ、残酷に嵌まります。
これら、両極のエクストゥリーミズム(極端主義)の間を『往復』するのが、民主主義のむしろ常態となるでしょう。
それは、ウルトラ民主主義の国家ともいうべき、アメリカの歴史を貫く趨勢ですし、アメリカを範と仰いできた戦後日本が、とくに、この平成期に入って『顕著』にみせつけている傾向なのです。
「絶対的な権力は、絶対的に腐敗する。」と、アクトン卿が(19世紀半ばに)いいましたが『腐敗』とは、「極端主義。」のことだとみなして、かまいません。
現実『認識』が、消失するのも、理想『願望』が、冷却されるのも、人間精神にとっては『腐敗』なのです。