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あれこれ雑記

ハワイでの演説(饑餓の時代その2)

2017-10-06 11:44:39 | 日記

二〇一六年一二月二七日ハワイ真珠湾のアリゾナ記念館で安倍晋三首相は戦艦アリゾナのアメリカ兵一一七七人などの犠牲者を慰霊し、その後におこなった演説のなかで、次のように述べました。
「戦争が終わり、日本が見渡す限りの焼け野原、貧しさのどん底で苦しんでいた時、皆さんが送ってくれたセーターで、ミルクで、日本人は未来へと命をつなぐことができました。こうしたみなさんの善意と支援の手、その大いなる寛容の心は、祖父たち、母たちの胸に深く刻まれています。私たちも覚えています。子や孫たちも語り継ぎ、決して忘れることはないでしょう」饑餓の時代を知っているからこそ、この言葉に嘘のない真実があると、老輩は信じて疑いません。しかしナプキンで唇の端をぬぐうような食卓での食事に、有り難みを感じないであろう現在の日本人が子々孫々まで首相と同様の恩義を感じ得るでしょうか。記憶はある程度は教育の成果ででもあります。
又一つ不知のため申し訳ない事実を知りました。これは昭和天皇陛下の侍従長藤田尚徳氏の「侍従長の回想」で述べられたなかにある事実です。
「今度の戦争の責任は自分にある。私の一身はどうなろうと構わない。どうか国民が生活に困らないよう連合国の援助をお願いしたい。多数の犠牲者を出すのに忍びない。と皇室の御物の目録を渡し、これを代償に食糧の援助をと、マッカーサーに差し出された経緯です。苦渋を察したマッカーサーは「自分が現在の任務についている以上は、断じて日本国民の中に餓死者を出すような事はさせない。必ず食糧を本国から移入する方法を講ずる」という事情です。あの有名な写真の背景にはこのような事情があったことを察せねばならない、と今思います。幣原首相はうれし泣きに泣いたそうです。全く当時日本の饑餓の状況これにで尽くせます。
欧米諸国の教科書の内容に及ばなかったことは重々判っておりますが。