蒼穹のぺうげおっと

-PEUGEOT in the AZURE- マンガ・小説・アニメの感想を書き流すファフナーとエウレカ好きのサイトです

構成 佐藤大/原作 夢野久作 『脳Rギュル ふかふかヘッドと少女ギゴク』感想

2007-08-22 23:49:55 | 小説 感想
夏休みの宿題……、ではないけれども、そこに本があれば読みたくなって買っちゃうよ、というのが人の常。

今回も奈須きのこさんの『DDD2』だとか、西尾維新さんの『刀語8 微刀釵』だとか、竜騎士07さんの小説版『ひぐらしのく頃に』を買ってみたりだとか(ん、何かひとつのレーベルに偏ってないか?)、と読む時間も考えずに、とりあえず買っちゃうんだよね。

そんなとあるレーベルだけ買ってるわけじゃないだよ、という言い訳でもないのですが、個人的には初めて購入するレーベルで、それでもなんで買ったのか?と問われると、ひとえにその名前によった、というか、名前で買ったと言っても良いですね。

そう、その本には、

構成/佐藤 大

と書いてあったわけです。

佐藤大さんと言えば、このブログ的に言えば、もちろん『交響詩篇エウレカセブン』のシリーズ構成を担当した方で、個人的には大好きな方なんですよ。
#僕のブログの半分以上はエウレカセブンで出来ていると言っても過言ではないので。
#あ、でもあとファフナーと最近ではグレンラガンもあるので、その3つで出来ています(笑)。

それに今はカップヌードルの『FREEDOM』とかも構成やってますけど、その前の『攻殻機動隊 S.A.C』の忘れもしない第9話「CHAT!CHAT!CHAT!」を書いた方なんですよね。

たぶんあの時初めて僕はこの佐藤大という名前を覚えたと記憶しております。
あれはある意味僕にとって非常に衝撃的で、ああいうスタイルで30分間の作品を作っちゃうというビックリにして、惚れ込んじゃった、という瞬間でした。

その佐藤大さんが書いたものなら、とりあえず読んでみたいよ、ということで、前置きが非常に長くなりましたが、それはこんな本でした。

脳Rギュル ふかふかヘッドと少女ギゴク


つか、最初に手に取ったとき、何てタイトルか分かりませんでした(笑)。


お話の中身については、エウレカセブン的では全くなくて、かと言って攻殻ほどシリアスでもなく、佐藤大さんご本人が言っているようにさえない中年とかわいい女子高生が活躍する痛快スパイアクション、B級アクション映画好きの人は是非、という感じの雰囲気です。
#まさに的を射ていると思います。そりゃ本人が言ってんだもんな。そりゃそうか。

ただ、この作品の面白いところは、もう1つ別にあるんだな。

かなり実験的要素が強くて、こんな風に創ってみたらどうだろう?的に創られているわけです。

まず、佐藤大氏の位置づけが「構成」とあるわけです。

「構成」ってなんで?って感じなのですが、その横に「原作」とあるので、ああそういうものなのか、と最初は納得するわけです。
#それについては後述しますが。

その「原作」ですが、僕も本は読んだことないけど、名前は有名なので知っていた「夢野久作」氏です。
「夢野久作」の代表作と言えば、昭和三大奇書の一つと言われる『ドグラ・マグラ』ですね。
読んだことないけど、この名前は有名だったので、うへー、それをリメイクで持ってくるのかぁー、と思ったのでした。
#本編は『ドグラ・マグラ』じゃなくて、『人間レコード』を中心としたリメイクになってます。
#今回はそれを「跳訳」と言ってます。

夢野久作と言う人は、「人間の脳髄はプロジェクターに過ぎない」と昭和35年に独自の理論を展開した人なんだそうですが、本作もそれに近いところを扱っていて、主人公たちが対峙するのは、人間の脳髄を書き換えて別物にしてしまう、という正体不明のモノなんですよ。

この辺については『寄生獣』や奈須きのこさんの『DDD』の悪魔憑きや『空の境界』の起源を起こされたもの、というのに近い感じもあり、ひょっとしてその辺影響とかあるんだろうか?なんて考えたりもしました(全く関係ないかもしれんけど)。

中身的には前述の佐藤氏のコメントにもあるようにB級スパイ映画の雰囲気満載なんですが、じゃあ話は戻って「構成」って何よ?という話。

そう、これはかなり実験的。

だって、4人の作家さんが、それぞれのキャラが登場するところを分担して物語を書き、それを佐藤大氏が「構成」する、というまるでアニメを作るように創られた小説だ、ということなんですよ。

確かに、確かに文体も雰囲気も大きく変わる。

けれどもストーリーとしては一気通貫して流れている。

ようやるわ、と思った(笑)。

これは内容的にはエウレカセブン的ではないけれども、構成的には確かにエウレカセブンで感じたところに近い感じがしました。

それは、大枠の元ネタを存分に使いながら、時にサンプリングしながら、複数の曲を使い分けてマッシュアップ、あたかも1つのオリジナル曲としてDJが見せていく、そんな創り方、なんじゃないかなと。
#エウレカセブンや攻殻もそうだけど、外部要素としてSFや文学作品をサンプリング的に使って物語りのサブセットを構成していましたよね。

そういう実験的作品。

どうも、これは続くようなので、個人的にはこの続編に期待してみようかなと(B級映画を楽しむが如く)。


と、作品紹介はここまで。

で、ココからネタバレ含む一言感想、読むときは注意です。






オトラちゃんって実は男の子じゃね?



あの歌声の高い部分がかすれるってところと、ヴァリがプロファイルした犯人像の言葉が引っかかって、クライマックスではあからさまに着物がはだけてるわ、ラストはヒロインをおいてっちゃうわ、で、なんとなくそんな気がした。
#それが男の子なら許せる気もするし。いや、ギヤマは許せないかもしれないけど(笑)。

だから「少女地獄」じゃなくて「少女ギゴク」なんじゃないの?


ちゅーところが本編感想の一番のところかな(笑)。


2つのシュピーゲル

2007-02-22 00:57:55 | 小説 感想
2冊同時発売となった冲方丁さんの2つのシュピーゲル、『スプライトシュピーゲル1』と『オイレンシュピーゲル』を購入。
それぞれ富士見書房と角川スニーカー文庫と、別々の出版社から出てるあたり、どのくらい凄い企画なのかと思わせます。

つか、2誌(ドラゴンマガジンとザ・スニーカー)の同時連載ってありえなーい!!
#冲方丁さんはもっと自分を大事にすべきだ(笑)。


どっちから読もうか迷ったのですが、とりあえず先に手に取ったのが『スプライトシュピーゲル』だったので、そちらから読書中です。

……面白い。

面白いよ、これ。

うはー。

まだ全然途中だけど、しびれました。

これは萌える『マルドッゥック・スクランブル』だ!!
#って意味分からん。

たぶん「スプライト」が空中戦で、「オイレン」が地上戦だと思うのですが、どちらも機械化美少女の葛藤と活躍、みたいな感じになりそうです。
やばい、やばい。

ちゃんとした感想は読了してからにしますが、やっぱりファフナーもマルドゥック・スクランブルも、そしてこの作品にも共通して、


喪われたものを取り戻しつつ、


「NOWHERE」(どこにも居ない)


から


「NOW HERE」(今ここに居る!!)


に変化していく、というメッセージが見え隠れしてるんですが、そこにしびれまくり。

本書に挟まっている広告がまた凄くて、富士見書房(スプライトシュピーゲル)、角川書店(オイレンシュピーゲル)、早川書房(マルドゥック・スクランブル、マルドゥック・ヴェロシティ)が1枚にデザインされているという、これまた画期的な広告です。びっくり。

すげー。


個人的には『マルドゥック・スクランブル』と『マルドゥック・ヴェロシティ』を読んでから本作に入ることをお勧めしたいんです。
作風は本作のほうが大分ライトに仕上がってる気がしますが、それでも通底するメッセージは近いような気がするし、多分バロットという少女の命をかけた戦いを知っている方が、何となく本作を深く理解できるような気がするなぁ。

続き楽しみ~。
ますます冲方さん中毒が進みそうです。

スプライトシュピーゲル1


オレインシュピーゲル1

祭囃しが聞こえる

2006-12-08 00:49:43 | 小説 感想
むはー、ようやく、ほんとにようやく『ひぐらしのく頃に 祭囃し編』を読み終わりました(今頃かよ!!)。

結構発売と同時かちょっと経ったくらいに買ったはずなのに…。
いやー、ほんと読み始めちゃうとあっという間に2時間、3時間経つので、それが怖くて(睡眠時間がなくなるから)ちょっとずつ、ちょっとずつ、ひぐらし1日1時間とか、小学生のゲーム時間のお約束、みたいな感じで読んでるうちに上海行ったり、ロンドン行ったりで、気が付いたら『ひぐらしのく頃に 礼』がもうすぐ出るよ、みたいな。

ほんと楽しめました。ありがとう。

とりあえず、まだアレを読んでないので、シナリオジャンプモードで入って、アレをアレしてアレを読みます。
#アレアレうるさいです。

全部読んだらまた感想書きたいと思います。

……今頃Frederica BernkastelがFrederika=古手梨花だと気が付いた僕、これもまた遅すぎです(笑)。

祭囃しの余韻に浸りながら。

冲方丁 『マルドゥック・ヴェロシティ』 感想

2006-12-06 01:22:47 | 小説 感想
『マルドゥック・ヴェロシティ』それは「限界速度変化」と「限界加速度」の「限界値(クリティカル)」を超えた先に零れた一人の男の独白にして告白。

エピソード100から始まり、99、……50、さらにカウントダウンは進み……3、2、1そして最後の「0」=グラウンドゼロへと収束していく。
そして全ての「虚無」を飲み込んで次なる物語にして決着の時『マルドゥック・スクランブル』へと繋がっていく物語。

凄惨にして切ない「都市と男の告白」、それが『マルドゥック・ヴェロシティ』。

* * *

ロンドンへの出張の際、飛行機のフライト11時間という時間を持て余すところだった僕は、『マルドゥック・ヴェロシティ2』を読みながら、そんなのは杞憂に過ぎないことを感じていました。
あっという間に読み終わり、恐らく帰国した頃に発売されているであろう『マルドゥック・ヴェロシティ3』を既に行きの飛行機の中で待ちきれずにいたから。

そして帰国。
書店に行って真っ先に購入したのが『マルドゥック・ヴェロシティ3』。
3週連続刊行とは冲方丁さんも罪なことをされる、と思ったものです。
#まさか出張で購入できないなんて、みたいな。

圧倒的な勢いと凄惨さを撒き散らしながら読了。

そして当然の如く読み返される『マルドゥック・スクランブル』。
もう一体何度読み返したか分からない。

そして『マルドゥック・スクランブル』を読み終わったら今度はまた『マルドゥック・ヴェロシティ』を読み返す。
終わることの無い6冊の本の流れ。

いつ果てることもなく。
きっとまた買って読んでいるかもしれません。

* * *

いやー、待ちに待った新刊だったわけですが、凄かったです。
冲方丁さんはまた新しいことに挑戦しているのか、はたまた気まぐれなのか、今回の文体は最初慣れるまで時間かかりましたよ。
脚本のお仕事とかしたので、そういう影響なんでしょうか、慣れるまで読みづらかったんですが、慣れちゃうとある意味のスピード感が増しますね。
まさに「速度変化」と「加速度」みたいな。

今回のお話は『マルドゥック・スクランブル』の前の時代、ウフコックとバロットが出会う前の時代、『マルドゥック・スクランブル』では圧倒的な虚無をまとった巨人ボイルドとその仲間、そして都市のお話。

09法案が出来上がる過程、そして都市が出来上がる過程、ボイルドがグラウンドゼロに達する過程をこれでもかと描いた作品です。

『マルドゥック・スクランブル』をまだ読んでいない方はまずスクランブルの方を読んでから『マルドゥック・ヴェロシティ』を読んでくださいね。

* * *

冲方丁さんの作品において、僕がいつも気にしているのは対比構成の作り方のうまさで、そこが好きで読んでいるのですが、今回の『マルドゥック・ヴェロシティ』はその存在そのものが対比構成になっていました。

『マルドゥック・スクランブル』がウフコックとバロットが「自分が何者か」を追及する物語であれば、この『マルドゥック・ヴェロシティ』は前作で語られることの少なかった宿敵ボイルドが「自分は何者なのか」、「何をしてきたのか」を告白する、そういう構成になっています。

ゆえに『マルドゥック・ヴェロシティ』を読んだ後に『マルドゥック・スクランブル』を読むと、またこの感慨が違ってくるのですよ。
特にあのエピローグを読んだ後ではまた違う。

非常に凄惨な光景も多々有り、おいうぶちん大丈夫か!!と思いながら読むこと数回、それでもやはりその中に光る輝きがあって、逆に凄惨であるからこそそこにスポットライトがあたるかのように眩しい、そういう光景が浮かび上がるから不思議です。
そしてそれがあるからやめられません。
#特にナタリアのビデオレターシーン(涙)。

そして全編を通じて行われる章のカウントダウン。
グラウンドゼロへと引き込まれる、収束していく、まさにそんな感じに物語は進み、ラストへと繋がっていく。
圧巻でした。

物語の時間軸がプロローグとエピローグだけ『マルドゥック・スクランブル』の時間軸。
これがまた良くて、最初に読み始めたときは『マルドゥック・スクランブル』のあのラストシーンを思い浮かべ、最後に読み終えたときはそのラストシーンの更に先に思いを馳せることができた。
そうか、そうつなげたのか、と感謝してしまいました。

本当のグラウンドゼロ、否、新しいグラウンドゼロを残してボイルドは本当の眠りにつく。
眠らない男、眠れない男が。

そんなボイルドと09メンバーに冥福を。

* * *

今回のあとがきでも冲方丁さんは「精神の血」という言葉を使っていますが、そのあとがきがまさに「告白」になっていて、本編を通じてボイルドが成してきた「告白」と対を成すのでは、と思うほどです。

なんつーか、めちゃくちゃなんだけど、命かけて書いてるって感じが伝わってきます。
だからきっとやめられないんだろうな、僕は。

クセのある文体ですし、万人にお勧めかと問われると正直どうだろう(笑)と思うところもありますが、僕はこの冲方丁さんの文章のとりこで、きっとこれからもそうだろうなと改めて思うのでした。

さあ、『マルドゥック・スクランブル』のアニメ化、これどうなるんでしょう。
楽しみにして待っています。
そして冲方さんにはご自分の体と奥さんを大切にしてみてはいかがかと、わりと真剣にご忠告したい(笑)。

マルドゥック・ヴェロシティ1


マルドゥック・ヴェロシティ2


マルドゥック・ヴェロシティ3


マルドゥック・スクランブル The First Compression 圧縮


マルドゥック・スクランブル The Second Combustion 燃焼


マルドゥック・スクランブル The Third Exhaust 排気



■(参考感想記事)超個人的お勧め小説 第1位 『マルドゥック・スクランブル』

ひぐらしのなく頃に 「皆殺し編」までを読み終えて

2006-09-07 00:35:05 | 小説 感想
出遅れてしまっていますが、そろそろ「ひぐらしのく頃に」の「祭囃し編」に入りたいと思います。

でも、その前にちょっとだけこれまでの考察を振り返ってみたいと思います。

端的に言うと、これまで考察してきた部分で本質的なところは意外と外すことなく、雛見沢システムという観点にフォーカスして考えることが出来たことと、梨花ちゃまに関する正体的なところ、この辺について考えることができたのは、正直自分でも出来すぎです。

やっぱり『ファウスト Vol.5』と『金枝篇』を読んでいたことが幸いした気がします。

以下、「皆殺し編」までのネタバレを含む文章となりますので未読の方はご注意を。



* * *



これまでの「ひぐらしのく頃に」に関する僕の考えというか、楽しみ方は、恐怖シーンや残虐シーンに囚われることなく、怖さの本質はどこにあるのか?それは誤解、勘違い、思い込みからくるすれ違い、そしてそれを生み出してしまう環境=舞台装置(というかそもそも雛見沢停留所という舞台劇をベースとしているのだからまさにその通りなのでしょう)、そこにポイントがある、と踏んで読み進めてきました。

その答えが示されたのが「皆殺し編」。
竜騎士07さんも回答編として用意した、と仰っていたように、怖さの本質部分、それを作り出していた仕掛けについて言及されていました。

それを確認して、僕が感じた一言は「相互理解」ならぬ「相互誤解」。

「相互誤解」とそれを生み出す「環境」。

ここから炙り出されたメッセージ、それこそ舞台装置が裏返って出現する「相互理解」ひいては「相互信頼」そしてそれを生み出すために必要なこと、それはとても普通でなんてことはなくて、けれども実戦するのは意外と難しいのかもしれない、でもそれを超えたところにそれはある、それを失ったからこそ気付くことができるのかもしれない、それこそが本来描きたかったテーマなんですよね。

「罪滅し編」を読み終わったとき、僕はそのテーマのあぶり出しに純粋に感動してしまったのだけれども、「罪滅し編」自体はあの当初、完全に賛否両論に分かれていましたね。
確かに賛否両論あるよなぁ、と僕も思います。
けれどもきっと賛否どちらの方も「皆殺し編」まで読んでみて、大分納得されたのではないかな(と僕が勝手に)思っています。

これが、僕がたぶん最初に『ファウスト Vol.5』の竜騎士07さんのインタビューを読んで気が付いた「舞台劇」で表現したいことであり、同じ役者が同じ舞台で違う脚本で演じる、それを繰り返すことで、徐々に真相が浮かび上がってくる、という手法なんだな、と。

雛見沢システムについて考察すると長くなるのですが、大分前に書いた記事から基本的に変わることがなかったので、良かったらそちらも参照してみてくれると嬉しいです。
#ところどころ妄想が暴走していますが(笑)。

ひぐらしのなく頃に 「鬼隠し編」~「暇潰し編」までの私的仮説


↑こっちの記事はやはり「解」を読んでいないこともあって粗いですね(笑)。
でもたぶん雛見沢システムについてはそれほど外れてないと思います。
#さすがにそのビリヤードの玉を突いたのが○○さんだった(人為的に連鎖を狙ったものだった、信じ込ませるものだった)、というのは本当に想像できませんでしたが。

ひぐらしのなく頃に 「目明し編」 感想

↑こっちの記事は「目明し編」は「解」の1番目を読んだ直後のものですけれども、これがあったことによって大分考えを整理することができました。
雛見沢システムについては、大分整理できたかな。
#さすがにそのビリヤードの玉を突いたのが○○さんだった(人為的に連鎖を狙ったものだった、信じ込ませるものだった)、というのは本当に想像できませんでしたが(2回目(笑))。
でも一応、富竹さんと鷹野さんは、祭具殿に忍び込んだこととは関係なく、別件で以前からマークされていた、というのはこの時点でだいたい合っていましたね(と、それは負け惜しみなのか(笑))。

あとは梨花ちゃまですね。

上のリンク記事で、こんなことを書いていて、

雛見沢で発生する惨劇のほとんどは人によるものだと思っているのですが、梨花ちゃんの豹変ぶり、これについてだけは神秘性の線を捨てきれないです。みぃー。
内田康夫さんの「天河伝説殺人事件」でも最後の最後に神秘的な現象が起こって美しいエンドを迎えるんですが、二重人格的に巫女に憑依がある、そういう設定があったも僕個人としては良いかなと思ったり。

梨花ちゃんはどうしても死んでしまう。
それは神秘性を持つ梨花ちゃんが未来予知していた、というのでも良いなぁ。

「暇潰し編」で見せる日常を裏切るような雨、サプライズの料理を待ちわびる気持ちとしては、いずれ死んでしまうことが義務付けられた存在ならば、やはりその因果律を断ち切るような「偶然」、それによる解放を期待していたんではないかと思ってしまいます。


個人的には「目明し編」の時点でこれを書けたことでもう満足です(えー!!)。

特に、

「暇潰し編」で見せる日常を裏切るような雨、サプライズの料理を待ちわびる気持ちとしては、いずれ死んでしまうことが義務付けられた存在ならば、やはりその因果律を断ち切るような「偶然」、それによる解放を期待していたんではないかと思ってしまいます。

の部分が合っていたのは本当に嬉しいです(梨花ちゃんの切実さと諦念が見え隠れしていただけに)。


後はおまけで、民俗学的見地から考える雛見沢システムということで、僕がエウレカセブン用に読んでいた『金枝篇』にみる習慣とタブーなんかの相似性をちらっと書きました。

「金枝篇(2)」からみる「交響詩篇 エウレカセブン」と「ひぐらしのなく頃に」の関連性


それにしても、○○さんが仕込みをかけていたというのは完全に分かりませんでした。
これは完全にやられました。


ということで、一応の気持ちの整理はできたので、これでようやく「祭囃し編」に入ることができます。

泣いても笑ってもこれで最後。

存分に楽しみたいと思います。

惨劇の仕組み

2006-09-05 01:33:55 | 小説 感想
自分としてはかなり早いペースで読んだつもり。

『ひぐらしのく頃に解』の「皆殺し編」を今更ながら読了。

もう一気に読ませて頂きました。
大満足&既に「祭囃し編」が読みたくて仕方ありません。

ここで悩むのは、短くても構わないからショートコメントを纏めるべきかどうかというところ。
今すぐにでも読みたいのだけれども、ここでちょっとポイントを纏めるのも面白いかも、などとつまらないことで迷っていたり。

ただ、これまでの考察・感想において、本筋というか、仕組み的なところの考え方は間違っていなかった、というのを確認できたのは大きい、というか、むしろその仕組みを念頭に置いて考えて読んでいたので、感動ポイントがより大きくなった、そういう感じですね。

というわけで、本記事でどうしてもこれだけはお伝えしたい、というのは、TV版をご覧になっている方は是非原作にチャレンジして頂けないでしょうか(もはやお願いに近いです)ということなんですね。
最近ではTV版を追いきれなくなってきた僕なんですけど(ヲイ)、TV版はやはり導入としては非常に良いと思うのですが、本質の部分のメッセージを伝えられるか?というとさすがに難しいと思うのです。
この物語の中で伝えられる「怖さ」の本質は、ホラー的な部分でも伝記的な部分でもないと思うのです。
もちろん衝撃的なシーンでもないと思うのです。
むしろそれらは本質を浮かび上がらせるためのギミックに過ぎないはず、と僕は思うのです。

だからやっぱり時間はかかると思うのですが、TV版でご興味を持った方には是非とも原作にチャレンジして欲しいなぁ…。

そういう意味で、原作にチャレンジした方も、これからチャレンジしようかな、と思っている方にも是非読んでいただきたいのがこちら。

ファウスト vol.5


ここで掲載されている『ひぐらしのく頃に』の脚本を担当されている竜騎士07さんのインタビューは個人的に必読だと思っています。
ここにはひぐらしに至るまでの原体験、何が恐怖として感じたのか、どこをテーマとして描きたかったのか、というヒントが満載されていると思います。
僕はこれを読まなかったら、ひぐらしの構造を理解するのにもうちょっと時間がかかったのではないかと思います。
これを読んで惨劇に挑んで頂きたいなぁ。

ちなみにここでは奈須きのこさんとの対談もあって、非常にお得感があります。
また、奇しくも『Fate/hollow ataraxia』を読むことによって、このひぐらしの構造を理解しやすくする、というのも今気付いたポイントです。
繰り返される4日間、そしてそこに横たわる既視感、こういうところが実は共通していたりして、このお二人の対談を考えるに、非常に面白い共通項だなと感じます。

さて、明日からは「祭囃し編」に入りたいと思います。
#ショートコメントが先か?それとも誘惑が勝つか(笑)。

DEATH NOTE アナザーノート ロサンゼルスBB連続殺人事件

2006-08-23 01:11:19 | 小説 感想
夏の課題図書をシータさんとクウラさんに出されていたので、きちんと夏休みが終わるまでに仕上げておきました。

その課題図書とは、

DEATH NOTE アナザーノート ロサンゼルスBB連続殺人事件


そうです、あのデスノのノベライズです。
しかも、執筆は西尾維新先生ですね。
#このブログを昔から読んでいただいている方は僕が西尾維新先生好きだということは周知の事実。
#つか、もっと言うならば崩子ちゃんファンであることは言うまでもない。わん。


ボリューム的にはそれほど多くもないので、一気に読めてしまう分量ですから、さらっと読むには丁度良いかもしれませんね。
そして、みなさん、さらっと読んで、さらっと騙されてください(笑)。

未読の方、それからこれから読んでみようと思っていらっしゃる方のために、一応これがどういう位置づけか、というと、

・夜神月がまだデスノートを拾う前の出来事(つか、月は出てきません)。
・じゃあ、誰が出るの?というと、デスノート前半を盛り上げたあの南空ナオミ、そして「L」。
・つまるところ、南空ナオミが以前「L」と捜査をともにしたことがある、と本編で語った一言から出来上がった物語なのです。


さて、本編感想に行きたいと思ったのですが、その前にとんでもない人を見つけてしまったので、この際考察・解説はこの人に丸投げしようと思います(ヲイ!!)。

蒼い髪と黒いシータと黄色いドロボウ:◆DEATH NOTE◆ アナザーノート ロサンゼルスBB連続殺人事件の考察

こちらの解説は図説入りなので、非常に理解しやすいです。
できれば、小説を読む前ではなく、読んだ後にご一読されると理解度120%アップです。
#ちなみにブログ名が、黒いノートではなく、黒いシータになってますので、みなさん突っ込んであげてください。


というわけで、こちらではいつものごとく、極力核心に関するネタバレを避けた形での感想など。

何とメロの語りで始まる出だしですが、西尾作品を知るものとしては、ああ、西尾先生、ひょっとして自分が敬愛する作品に気を使って表現がちょびっと「真面目」になってるんじゃなかろうか!!と思いながら読んでいたのですが、読み進めるにあたり、それがいかに杞憂であるかということを思い知りました。

つか、これ、完全に西尾維新作品だよ!!
しかも、なんつーか、戯言シリーズ外伝みたいな感じさえするよ(笑)。

絶対これに登場する人たちは「鴉の濡羽島」に絶対招待されてるに違いない、つか、いただろ君たち!!みたいな。

でも、それでも「L」の雰囲気とか、登場人物の語り口調なんかは、まさにデスノートと言う感じで、このマッチアップは非常に面白い!!と正直思いながら読んでおりました。

そういえば、西尾先生も戯言シリーズの最初『クビキリサイクル』のときはまだミステリーに振ってるところが多かったから、余計にそういう風に感じるのかもしれないですね。
#それ以降は色んな方向に突っ走り始めますが(笑)。

まあ、それがあったからこそ、ラストのどんでん返しも、やっぱりやってくれたか!!みたいな感じで楽しめたわけですが。
そもそも、この作品、合言葉は「ミスリード」と言う気がしないでもありませんね。

どこから「ミスリード」なのか、それを探してみるのも楽しい読み方かもしれません。

僕なんかは、西尾作品だ~、と思いながら楽しんでしまったのですが、逆に西尾作品を知らない人にはどう映ったのか?それは純粋に興味ありますね。

後はドジッ娘認定されそうになるナオミさんとか、非常に良かったわけですが、一番僕の心に残った、というか、秋の読書課題として残ったのは言うまでもなく『赤ずきんチャチャ』です。

オフ会でシータさんとクウラさんが『赤ずきんチャチャ』は重要です、と言い切っていた意味が分かりました(笑)。

ということで、全然感想らしい感想になっていませんが(駄目じゃん)、結構さらっと読めますので、デスノが好きなひと、もしくは西尾維新が好きな人にはお勧めでございます。


『神様のパズル』映画化

2006-08-10 00:00:54 | 小説 感想
オフ会の直前に見ていた映画『時をかける少女』の出来が非常に良かったので、また観に行きたい&DVDが出たら是非購入しようと思っている燕。です。こんにちは。


それと『時をかける少女』は出来るなら夏の季節、それもとびきり暑い日に映画館でみて頂きたい、そんな感じもするのですよ。
それはきっと本編をご覧頂くと何となく納得していただけるんじゃないかとも思うんですよね。

参考:時をかける少女感想


何ていうか、ああいう静かな感じなんだけれども爽やかで温かみのある作品というのがどうも僕は大好きらしく、映画を見終わった後の感覚としては『博士の愛した数式』とか『神様のパズル』を読んだ直後のような、そういう感じだったんですよね。
どちらも僕の大好きな作品なんですけどね。

そんな『神様のパズル』も、僕個人としては夏から秋にかけての季節、特に暑い日が続いたり、台風なんかが来る季節に読んで欲しいな、なんて思ったり。


さて、その『神様のパズル』という小説は、あれは絶対プロモーションに失敗してると僕なんかは思うのですが(笑)、なにせ当時はハードカバーのみ、広告らしき広告もなし、みたいなそんな状態でした。

だからこそ、ああこれって誰かが押さないと世に出ていかない、そういうタイプの本なのかもしれないなぁなんて思ったものです。
#ゆえに僕は少ないながらもお勧めをしているのですが(笑)。


お話しの導入部分としては、オチこぼれ大学生と飛び級している天才女子高生が宇宙を創ることができるか?という究極の命題に挑戦する、というすっごいテーマなんですけど、これがまた、そのテーマを放っておいて、そこに至るまでの過程が、この二人が走って悩んで葛藤する人間模様というか、成長過程が非常に面白くて、切なくて、爽やかなんですよ。

ということで、僕からはこの夏の1冊として非常にお勧めでございます。

参考:『神様のパズル』感想

その『神様のパズル』なんですが、このたびめでたく文庫版が発売されまして、非常にお求め安い価格となりました(笑)。

神様のパズル

#文庫版だと表紙が若干変わってる!!


あとですね、ここからが重要なんですけど、こないだ文庫版を購入したときにおおー、噂は本当だったんだ!!というのにようやく気が付きました。

そう、これ映画化されるみたいなんですよね。

なんつーか、大分時間が経ってから日の目をみているような感じですが(笑)、僕としてはとっても嬉しいですね。

実写かなぁ、アニメかなぁ。
どちらでもいける気がしますが、今回の『時をかける少女』の出来をみるに、このレベルで仕上がるならアニメでも良いよなぁなんて。

あまり期待すると外れたときの衝撃が大きいのでほどほどに期待しておきますが(小説版はお勧めです)、是非とも頑張って頂きたいなぁと思っております。

小説『ダ・ヴィンチ・コード』ミニミニ感想

2006-05-13 00:36:13 | 小説 感想
間もなく映画も公開される『ダ・ヴィンチ・コード』ですが、連休中に読めればと思って購入しておいた文庫版を読了。
これがなかなか面白かったです。

文庫版ですが、字も行間も大きく、何より勢いで一気に読ませるようになっていますので、あっという間に読み終わると思いますよ。
何より「読みやすさ」がポイントで、ある意味「タブー」についての興味を引っ張ったまま最後まで読めるのがエンタメ作品として良いなと思いますね。

色んな要素が内包されているものですが、ここはひとつミステリーエンタメとしてある程度割り切って楽しむのが吉ではないでしょうか?
#欧米に比べると比較的キリスト教文化が薄いと思われる日本の方が、ミステリーエンタメとして楽しめるような気がしましたね。

きっとミステリー的に「本格」がどうだ、とかテーマが!!とか、そういうのを気にしない方が楽しめると思います。

本編についての感想は、これをちょっとでも言ってしまうとどこからネタバレしてしまうか分からないので、書くのはやめておこうと思います(笑)。

もし映画をご覧になる予定のある方は、まず映画から見ても面白いかもしれません。
また小説好きの方には小説を先に読んで、その後映画を観ても楽しめると思います。
#個人的にはこの後映画観てもOKと思っています。

というのは、やはり作中に登場する芸術作品や場所、雰囲気については映像があるほうが理解が早いと思うのです。
#僕の場合、たまたま卒業旅行でヨーロッパを1ヶ月ほど(貧乏)旅行したりしていたので、今回出てくるルーブル美術館やウェストミンスター寺院あたりも行ったことがあったので想像しながら読むことができました。

ゆえに、これを読んでからヨーロッパ旅行とかすると、また一味違った形で旅行を楽しめるのではないか?なんて思ってしまいます。

さて、本編感想とは全く別に、かなり脱線した感想なんかを少し。

京極夏彦のシリーズを読んだことがある方はこう思ったことはないでしょうか?

あの時行った旅行の神社やお寺、この本読んでから行けばまた違った面白さがあったのに、いや、むしろただ観光しただけだったんでもったいなかったなぁ、など。

それってやはり京極夏彦のシリーズはある出来事や、信仰なんかが成り立つまでの背景、由来というバックグラウンドにスポットを当ててる部分があって、そこが面白いところでもあると思うんですね。
今回の『ダ・ヴィンチ・コード』はそういう意味で、京極夏彦の作品に通じるところがあるなぁなんて思いますよ。

バックグラウンドを勉強してみたり、それを踏まえた上で何かを楽しむ。
これって、すっごく楽しいことだったりしませんか?
つか、二度美味しい、みたいな。

意図や背景、成り立ち、こういうところにスポットを当てて考える、楽しむ、こういうの結構お勧めです。

また、こういったバックグラウンドを考えるというのは、普通に仕事していても大事だと僕は思っていて、交渉相手(僕の場合、お客様や営業さん)やチームメンバーがどういう経緯でこういう発言をしているか、どういった部署、プロジェクトを経験しているからこういう発言につながっているのか、そういうのを知っておくのが結構大事、というか実際使えるので、コミュニケーションを円滑に行いたい場合にお勧めでございます(というか、当たり前のことか(笑))。

あと、『ダ・ヴィンチ・コード』を読んで、『金枝篇』に再び興味が湧いて、エウレカセブンにおける『金枝篇』を用いた狙いと、ストナーの冒頭の言葉の関連性に新たな妄想が膨らんだことはまた別の記事で(っていつ書くんだよ!)。

ダ・ヴィンチ・コード(上)

福井晴敏 『Op.ローズダスト』 ミニ感想

2006-05-06 00:58:02 | 小説 感想
「オペレーション・ローズダスト、状況を終了する」


*意訳:福井晴敏さんの『Op.ローズダスト』を読了しました。


というわけで、連休に入る直前あたりに読み終えた福井晴敏さんの最新作『Op.ローズダスト』を読み終えました。

読み終えた直後の率直な感想は、

もう、おなか一杯

です(笑)。

『川の深さは』から連綿と続く福井作品の集大成的な印象を受けたこの作品、随所で福井節がこれでもか、と炸裂するゆえに、盛りだくさんでおなか一杯になりました。

今回は福井さん得意の中年のおじさま+青年兵士パターンにひねりを加えて、相手方にも中年のおじさま+青年兵士、そしてさらにその中間を行く渋いおじさまを配置するという念の入れよう、というか、きっと相手方の側面からも状況を見せたくて、その板ばさみになった中間の視点も描きたかった、そういう気がしますね。

これをベースに僕がいつも福井作品を読む上でポイントとして3つあげている、

1.組織社会における様々な主義・主張の裏側にある不条理と諦観の念

2.自分の住んでる国ってどうよ?を考えてみる

3.でも結局は人の心なんだよ、大事なのは

この辺はしっかり踏襲されていた、というより強調されていた、そんな気がしました。

福井作品で破壊への過程が克明に描写されたり、崩壊の状況が克明に描写されるのは、この3点を浮き上がらせるためのギミックだと僕は思っているんですよね。

特にこの辺のギミックに今回は物凄く力を入れているな、と感じたのは、きっと今という時勢とこれまで福井さんが作品を通じて積み上げてきた問題提起の波が噛み合ってきた、と感じたからなのかもしれないですね。

しかしながら、今回、僕の率直な感想から行くと、少し複雑にし過ぎたのではないかなぁ、というところ。
意図するところや、問題提起するところはよく分かるんですが、やはり過程を複雑にし過ぎた、冒頭で言ったように登場人物の立ち位置を捻りすぎて、シンプルに落ちてこない、そういう感じがしました。

これは最近では交響詩篇エウレカセブンの第49話や、ちょっと前だとハリーポッターと炎のゴブレット以降のハリーポッターシリーズでも感じた、なんと言うか意図するところは理解できるんだけど、複雑にした結果、ダブついてしまった、ゆえにストレートに伝わりづらく、ああ、もったいない!!という感じになってるんじゃないかなぁ。

ほんと、良い意味でもったいない、そんな感じ。

そういう意味でいくと、ラストでTV番組の中で評論家が議論しているところに司会のアナウンサーがぶちきれるシーン、こういうのはストレートである意味福井さんらしくて素敵だな、と思います。
やっぱり最後は、大事なのは人の心、どう考えていくのか、どう感じていくのか、それを大事にしないとね、みたいな。


内容や、登場人物たちの主義・主張について詳細に感想を書くということはしないつもりですが、やっぱりこれは僕らが何かを考える「きっかけ」としては丁度良いのではないかと思います。

この作品を読んでどう感じるかは個人の判断ですし、色んな意見もあると思うのです。
ミステリー作品として楽しんでも良しだと思います。

ただ、何で今ってこうなのかな?とか、何で今、こう言われているのかな?とか、このままこうなっちゃったらどうなるのかな?と、ちょっと考える「きっかけ」になれば、それが作者の意図しているところなのではないかな、と思います。

個人的にはこの作品を福井晴敏作品の入門としてはある意味お勧めしないんですが(笑)、もし福井作品にご興味がある方がいらっしゃれば、まず『亡国のイージス』を読んで次に『6ステイン』を読んでから読まれると丁度良いかもしれません。
というか、より楽しめるんじゃないかと思います。
#プラスして『終戦のローレライ』も読んでおくと良いかも。
#いや、ほんとは順番通り読むのが良いと思うんですけど(ってついでにがどんどん増えてるよ!!)。

Op.ローズダスト(上)


Op.ローズダスト(下)