東京都の社会保険労務士のデイリーブログ 

東京都港区の社労士ブログ!人事労務から様々、ワンポイントレッスン

大学の思い出

2019-11-17 14:47:23 | 社会保険労務士の日記
こんにちは。東京都の社会保険労務士の頼木優子です。

今日は、私の大学時代、大東文化「大学の思い出」について、書きたいと思います。

先日の私のブログ「テレワーク月間+α(アルファ)」で書き足しました、大東文化大学の当時の経済学部教授塩田先生について、実は覚えていることがあるのです。

当時私は、東松山校舎の国際関係学部生でしたが、サークル活動で国際法研究会に所属していて、当時から経済学部のある板橋校舎にしばしばサークル活動で来ていました。

男子の同サークルの先輩がある時、塩田っていう男性の教授がいるから、同じ苗字の私だから先生に会わない?というようなお誘いを頂いて。一回目のお誘いは辞退。二回目も同じようなことがあって、

「どんだけ、色好みの先生なんだろ」と内心。当時は他にも約1年弱オールラウンドのサークルに入っていたこともあって、そこでは学祭の美人コンテストに出場した方が…なんて話もあって(その時の学祭から、なぜかコンテストが不可解にも中止になり出場無く)。

少し鼻高になっていたんだろうと思います。で、結局お会いしに行かなかったんです。でも、良かったですその時会わなくて。それから程なくして自分は、メンタル系疾患で散々になっちゃうんで(変な迷惑がかかると嫌だったもので)。

卒業式なんて、具合も悪かったけど、それ以上に嫌だったのは、晴れ着セット。袴だけ確かレンタルで、上の着物は母のお譲りでそれも母が伯父か誰かに若い時にあつらえてもらったとても良いものなんですけど、
▲春なのに、卒業ですかぁ、って。今は冬ですね。

管理が悪くて、白地の内袖の中が、汗染みでヒョウ柄みたいになっているのに(ちらり以上に外から見える)、なぜか着るのはそれでいいと言うんですよ。当日茶道部にも入っていた私は後輩が揃いもそろって挨拶に来て、もうほんと、恥ずかしくて。

昔から、確かにしばしば家族から言われてきた諺(ことわざ)に、「ボロは着てても心は錦」というのがあって。時代的な価値観もあるとは思うんですけど。

おかげでか、そんなこんなで大東文化大学の男子学生から、それ以降もお誘いのお声は全くかかりませんでした。在学中も、とかくSnobbyの私は、具合も悪かったので、同学部生(他学部も含め)との浮世話に恵まれませんでした。

実は後日談があって、在学中あの人やっぱりいい人だったなぁと思った同級生や先輩に、卒業後それとなく電話や様々でお声がけしたんですね。でも、皆さんすでに確固たる方がいて。時すでに遅し。

私は娘や息子には、大学時代の時には、第一目標としてはいい人は捕まえておくこと、と今から伝えています。学生時代は純粋だし、一番利害の反映が少ないかなって。愛さえあれば、ね、みたいな。

皆さま、どう思います?以上、東京都の社労士「頼木優子(Yuko Yoriki)」でした。


わたしの錯誤

2019-11-13 15:27:23 | 社会保険労務士の日記
こんにちは。東京都の社会保険労務士の頼木優子です。

今日は、「わたしの錯誤」について、書きたいと思います。

遡ること昭和59年(1984年)、当時私は埼玉県のとある公立の小学校5年生、帰りの会というのがありました。帰りの挨拶を一斉に交わし下校するわけです。

その帰りの会で、必ず一日の出来事を挙手をして発表する場がありました。それはほぼ、いかに風紀を誰がどう乱して、主に先生と生徒皆に見せしめる場と化していました。

▲このACの写真は、恐らく小学校ではなく、公立の中学校の様子かなぁ。


ある時、いつもの通り、男子生徒といさかいの絶えない私は、確か岡君という男の子が、下駄箱の上り場で泥まみれの土足で上がり込んだと思った足跡を見つけました。

岡君の靴裏を見ると泥の型と同じだったし、確証をもってその場で岡君を責めました。否定する岡君でしたが、これぞと幸い帰りの会で私はそのことをまくし立てました。

そして、発表の最後に「だって、私その場で(足跡つけた様を)見たもんっ!」と付け加えました。ところが、「あっつ、それオレ」と言っ放ったのは、確か橋添君。確かに靴も岡君と同じでした。

実際、足跡付けてる現場は見ていなかった私。死にたくなるくらい恥ずかしさでいっぱいでした。この一件からも、岡君のことが当時好きだったIさんからは、私と岡君のことを恋愛もどきのと誤解を受けて責められるし、

担任の先生からも大目玉だったし、本当に最悪で。私は本当は釣井君というクラスで1-2位を争うくらい身長が小さい、やはり母子家庭の男子が好きで、コタツのテーブルの下で彼の手なんか握っちゃったこともあって(ナハハハッ、今でも照れる)。

そんなことは、どうでもいいんですけど。とかく今ニュースで話題になってる「桜を見る会」についても、もっと継続するならどう縮小できるのかとか、そういった建設的な対策案に多くの時間を割くべきだと思うんです。

この昭和の帰りの会もどきの、戒めの会チックな様相が、この案件に限らずいつでもどこでも、永遠と時間と場を費やして続く限りは、やはり私たちは昭和の産物なんだなぁと、思うばかりです。

以上、東京都の社労士「頼木優子(Yuko Yoriki)」でした。

注釈)当時「桜を見る会」の話題が、ニュースに上がっていました。


錯誤って?

2019-11-12 17:04:18 | 社会保険労務士の日記
こんにちは。東京都の社会保険労務士の頼木優子です。

今日は、昨日のNHKの放送番組、逆転人生「逆転裁判!警察のウソを暴け」について、書きたいと思います。

率直の申し上げるなら、警察のウソよりも、同じ国に対しての主張による逆転人生であるならば、障害年金等で不支給とされる事例のその逆転劇や、

さらに申し上げるなら、事実婚の夫が死亡して妻が遺族年金を請求したところ、事実上の婚姻関係にないとして不支給とされた事例の逆転劇(審査請求などの不服申し立てを経たもの)等、枚挙にいとまがないはずです(すでに放送済みだったら、ごめんなさい)。

普段からNHKが好きで、私でもどんなご協力も惜しまないし、基本的に社労士の多くの方が、喜んでご協力に応じると思うのです。

番組の婦人警官(しかも実名?名字まで明らかで)とのやりあい劇のところも見ていましたが、居たたまれない思いを感じたのは私だけでしょうか。

▲パトカーって、かっこいいな。同乗したくはないけれど。


婦人警官に同情気味の私ですが、なぜなら確かに彼女の錯誤かもしれないけれど、その錯誤は誰にでも起こし得るものであって、それが人生の前半にあるか、中盤、後半?に起こし得ていることだけかもしれません(警察官にとどまらず)。

私は確かに人生の前半に経験したかもしれないけれど、たまたまラッキーなだけで、今ここにいるだけです。しかも当事者の方の主張も自分だけに(他の皆はやってるのに)なぜ駐車違反を注意するのか、というそのものにも、

理屈は残念だけど通らないと私は思います。確かにその後の経過の一路はおぞましいというか一度その扱いを受けると警察の執拗な対応に対して、私も幼い頃から家族に口に酸っぱくなるほど言われ続けているし、息子娘にも伝えつつあって。

当事者の方々への同情心や、気の毒な気持ちも生じなくもないけれど、この内容よりももっと相応しい逆転人生によって、人生が救われた人々の人生観のようなものを、多くの人は待ち望んでいるのではないでしょうか。

最後まで、番組は見ていないので、もしかしたら番組の最後はそれなりの締めくくりとなっていたかもですが、ちょっとだけ、タイトルからして強過ぎて、ビミョーに残念だったなぁって。

もちろんこの放送の当事者のご夫婦の人生が、望ましい方向へ向かったことは、何より多くの方の歓迎していることでもあるとは思うんですけどね。

誤解があるといけないのですが、我が家庭では車の所有が過去に置いても現在に置いても全く一度も無くその為理解や配慮にも、もしかしたら欠けることも重々あるかもしれません。その点ご容赦ください。

以上、東京都の社労士「頼木優子(Yuko Yoriki)」でした。

注釈)今現在、この放送番組が存在するか否かは、不明です。最近見かけないとは感じています。



What can I do?

2019-11-04 09:13:47 | 社会保険労務士の日記
こんにちは。東京都の社会保険労務士の頼木優子です。

最近思うんですけど、映画『マディソン郡の橋』について、ようやく良いとされる意味が分かってきました。年齢が上がると共になのでしょうか。

べブさんの話で恐縮ですが、こんなことが私の留学中ありました。最後のホストファミリーであるJ.S先生(Englishの先生)宅に住んでいた頃、その週末はたまたまべブさん宅に宿泊することになっていて、

べブさん(*ESLの先生)のご主人であるルーペット(この方も先生)が私を車で迎えに来ていました。その場には、S.B先生(数学の先生)もいて(例の女性仲良し三人組の先生方です)、J.S先生とS.B先生はワインを片手に話が盛り上がっていたわけです。

彼女二人は、べブさんが自宅で食事の支度が出来つつあることを承知していて、ルーペットになんだかんだと言ってわざと食べさせちゃうわけです(私にも)。ルーペットもちょっとだけと言いつつも…。

帰宅すると、べブさんがそれを察知して食べて来てないと言い張るルーペットを制して、イライラしながら私に尋ねるのです。「ルーペットは食べてきたよね?」と。

私は、すかさず言いました「食べて来ていない」と。彼女は業を煮やしたのか、結局私がルーペットの満腹で手を出せなかった夕食分、お皿にてんこ盛りで食べる羽目になり。

あの時は平気なフリして食べましたが、正直お腹が苦しくて苦しくて、満腹感の最上級みたいな感じで。ルーペットは、後から「Thanks, Yuko.」としみじみと。
▲三連休最終日の今日、映画「天気の子」を子供と見てきました‼

私が『マディソン郡の橋』とこの留学の一コマの話に共通する西洋系の方が良しとする価値観というのは、「分かっていても寄り添う」という姿勢なのではないかと思うのです。

ルーペットが発した感謝の言葉の余韻は、はっきりと心に今も忘れられません。『マディソン郡の橋』の良さは、(例えば)武骨物の夫と分かっていても、それを知らぬ振りして死を分かつまで寄り添う、

その優しさが彼らの求めている、誠の優しさとして映るのではないかと思うのです。日系アメリカ人の方なら、このエピソードの私の取った行動パターンも私と同じく忠誠心から自然にやってるはず。中国系アメリカ人の方でも共有できそう。

ベイダア(北京大学)留学生楼で会った当時のアメリカ人留学生の彼らならしてそうだなぁ。時々思い出してるよ、あの時のこと、ポーカーやったり(中国語の勉強ではなく)。そしてあの頃の北京の様子(25年前)。

ごめん。長くなったからこれまでにします。ばいっちゃっ!!(って、ドクタースランプあられちゃんっぽいでしょ?)

以上、東京都の社労士「頼木優子(Yuko Yoriki)」でした。

*ESLとは、English as Second Language.(英語を母国語としていない人への英語の授業)の意味です。