「愚行録」という妻夫木聡主演の映画の原作本を読みました
救いのない内容で、終わり方もそのまんまでした。
桐生夏生の「グロテスク」を彷彿とさせる内容で、慶應の話なんですが、やたらと内部生、外部生という区別が出てきます。大学におけるスクールカースト的なものが描かれています。
でも内部生といっても幼稚舎からの人と高校からの人では全然セレブ度は違い、中高からなら普通のサラリーマン家庭の子がゴロゴロいて、学費の観点からしてもほかの私立高出身者と親の経済力では特に差はないわけで・・。それを十把一絡げにセレブとして描くのは大雑把すぎませんかね。
作者が大学も行ったことないという人ならともかく早稲田出身ならそれくらい分かってるはず。どうせならもうちょっと丁寧に描いたらよかったのにと思いました。
私の出身校も、某皇室を筆頭にセレブ多めでしたが、愚行録にあるような不思議な(単純にお金持ちかどうかではない)区別みたいなものが確かにありました。
大学1年生から2年生の時は、以下の要因が総合的に組み合わさって、成り立っていたように思います。
内部生>外部生
体育会>人気サークル>普通のサークル
私立出身>公立出身
都心>首都圏>地方
容姿やファッションが良い>いまいち
愚行録にあるように親の職業は聞かれませんでした。なぜなら、父親の勤務先が載った名簿が4月に全員に配布されていたからです。(現在は個人情報の問題で廃止されたそうですが、当時は本当にあったんですよ。住所と出身高校も載ってました)
ここで不思議なのは、世間の基準とずれていて独特な物差しがある点で、例えば、公立出身といっても県のトップ校のような難関高校だった人だっているわけです。ところが、それよりも遥かに偏差値で劣る中ぐらいの私立出身の方が良しとされる。これは非常に謎でした。
おそらくこの基準の源流となっているずっとエスカレーターの内部生の考えにおいては、公立高という存在自体が完全に見知らぬ宇宙人のようなものであり、自分の兄弟姉妹も偏差値の高低はあれど、とにかく私立に通っているし、幼少時に家庭内で見慣れたSAPIXや日能研の資料にも載ってないから得体が知れない学校という認識なんでしょう。ある子は、「公立に行かせる=親が教育熱心ではない。そういう家の、たまたま生まれつき出来がよかった人が公立の難関高に行くんでしょ?ってことは頭はいいかもしれないけど育ちはビミョーじゃない。」と言っており驚いた覚えがあります。。
私はこれで妙に得をした側ですが、公立トップ校から推薦で入った私の従姉妹(ちなみに従姉妹の家の方が、伯父が財閥系大企業の常務取締役までいったのでうちよりも明らかに裕福です)は、この変なカルチャーに憤慨し、大学に寄り付きませんでした。
・・・不思議ですよね。
3年生になると、有名ゼミ所属とか、雑誌に出てるとか、友達が多いとか様々な要素がまた加わりつつ就活でそれどころじゃなくなってきて・・、4年生になると内定先という決定打が加わり、ほぼそれが全てになって終了するという感じでした。
今となっては蜃気楼のようなもので、そんなこともあったっけ、という感じだし、昔の子供の世界だってベーゴマがうまい子が偉いとか不思議な序列はあったもので、これも所詮そんな程度の話ですが。
こういう狭い世界の変な意識がイヤで某プリンセスも退学したという噂ですし馬鹿に出来ないものなのかもしれません。
救いのない内容で、終わり方もそのまんまでした。
桐生夏生の「グロテスク」を彷彿とさせる内容で、慶應の話なんですが、やたらと内部生、外部生という区別が出てきます。大学におけるスクールカースト的なものが描かれています。
でも内部生といっても幼稚舎からの人と高校からの人では全然セレブ度は違い、中高からなら普通のサラリーマン家庭の子がゴロゴロいて、学費の観点からしてもほかの私立高出身者と親の経済力では特に差はないわけで・・。それを十把一絡げにセレブとして描くのは大雑把すぎませんかね。
作者が大学も行ったことないという人ならともかく早稲田出身ならそれくらい分かってるはず。どうせならもうちょっと丁寧に描いたらよかったのにと思いました。
私の出身校も、某皇室を筆頭にセレブ多めでしたが、愚行録にあるような不思議な(単純にお金持ちかどうかではない)区別みたいなものが確かにありました。
大学1年生から2年生の時は、以下の要因が総合的に組み合わさって、成り立っていたように思います。
内部生>外部生
体育会>人気サークル>普通のサークル
私立出身>公立出身
都心>首都圏>地方
容姿やファッションが良い>いまいち
愚行録にあるように親の職業は聞かれませんでした。なぜなら、父親の勤務先が載った名簿が4月に全員に配布されていたからです。(現在は個人情報の問題で廃止されたそうですが、当時は本当にあったんですよ。住所と出身高校も載ってました)
ここで不思議なのは、世間の基準とずれていて独特な物差しがある点で、例えば、公立出身といっても県のトップ校のような難関高校だった人だっているわけです。ところが、それよりも遥かに偏差値で劣る中ぐらいの私立出身の方が良しとされる。これは非常に謎でした。
おそらくこの基準の源流となっているずっとエスカレーターの内部生の考えにおいては、公立高という存在自体が完全に見知らぬ宇宙人のようなものであり、自分の兄弟姉妹も偏差値の高低はあれど、とにかく私立に通っているし、幼少時に家庭内で見慣れたSAPIXや日能研の資料にも載ってないから得体が知れない学校という認識なんでしょう。ある子は、「公立に行かせる=親が教育熱心ではない。そういう家の、たまたま生まれつき出来がよかった人が公立の難関高に行くんでしょ?ってことは頭はいいかもしれないけど育ちはビミョーじゃない。」と言っており驚いた覚えがあります。。
私はこれで妙に得をした側ですが、公立トップ校から推薦で入った私の従姉妹(ちなみに従姉妹の家の方が、伯父が財閥系大企業の常務取締役までいったのでうちよりも明らかに裕福です)は、この変なカルチャーに憤慨し、大学に寄り付きませんでした。
・・・不思議ですよね。
3年生になると、有名ゼミ所属とか、雑誌に出てるとか、友達が多いとか様々な要素がまた加わりつつ就活でそれどころじゃなくなってきて・・、4年生になると内定先という決定打が加わり、ほぼそれが全てになって終了するという感じでした。
今となっては蜃気楼のようなもので、そんなこともあったっけ、という感じだし、昔の子供の世界だってベーゴマがうまい子が偉いとか不思議な序列はあったもので、これも所詮そんな程度の話ですが。
こういう狭い世界の変な意識がイヤで某プリンセスも退学したという噂ですし馬鹿に出来ないものなのかもしれません。