慰安婦問題を考える会

日本は世界から慰安婦問題で非難されていますが、その慰安婦問題はだどういうことで、どういう対応・対策をすべきか考えたい。

「韓国の未来に凄惨な結果」米から警告、苦悩する文在寅政権 

2020-11-28 05:34:08 | 日記

「韓国の未来に凄惨な結果」米から警告、苦悩する文在寅政権 (1/2ページ)

 これを受け、韓国の一部で緊張感が漂っている。朝鮮日報は同氏の訪問について、次のように書いている。

 「韓米日三角共助を通じた中国に対するけん制の動きを懸念してきた中国としては、米国主導の多国間安保協議体クアッド(Quad)など米中対立懸案に対する中国の立場を説明し、韓国の協力と理解を求めるものと見られる」

 この間、韓国政府は中国から様々な「立場の説明」--あるいは「脅迫」--を受けてきた。邱国洪・中韓中国大使(当時)は昨年11月28日に行われたフォーラムで、「米国が韓国本土に中国向けの戦略兵器を配備した場合、いかなる悪い結果がもたらされるか、皆さんも想像できるはずだ」と発言したという。

 ロシアとの中距離核戦力(INF)全廃条約の消滅を受けて、米トランプ政権が新たな中距離ミサイルの開発と配備を打ち出したのは周知のとおりだ。その標的は中国とロシアであり、配備候補地には日本と韓国も入っていると考えるべきだ。

 中距離ミサイルには目標への到達時間の短い弾道ミサイルと、命中精度の高い巡航ミサイルがあり、運用の仕方は様々だ。いずれにせよ、米国製の多種多様なミサイルで包囲されかねない中国の危機感は強い。

 中距離ミサイルの配備を求められたとき、韓国はどうすべきか。同国には、これこそは当面の「国難」であると考える向きは少なくないとされる。また最近、対北朝鮮政策などを巡り米韓の間で様々な不協和音が上がったのを受け、米国には同盟に対する韓国の姿勢に疑問を抱く専門家もいるようだ。

 バーウェル・ベル元在韓米軍司令官は米政府系のボイス・オブ・アメリカ(VOA)が17日に掲載した記事中で「韓国が自由で独立した民主主義国として残るためには、中国の領域の下に入らないようにすべき」としながら、「仮に韓国が米国との関係を犠牲にして中国との関係を強化しようとすれば、自由で独立した国としての韓国の未来に凄惨(せいさん)な結果をもたらすだろう」とまで言って警告している。

 (参考記事:豪州が打ち砕く、文在寅に残された「たったひとつの希望」

 米国のバイデン次期大統領は同盟重視を打ち出しており、トランプ大統領が要求したような、米軍の駐留経費を巡る無理難題は緩和されると見られる。しかし、今月12日に行われた菅義偉首相との電話協議で、日本に対する防衛義務を定めた日米安保条約第5条は沖縄の尖閣諸島に適用されると明言したことに見られるように、安全保障面で中国に妥協する姿勢は見られない。

 安全保障と米韓同盟の未来を巡り、文在寅政権の苦悩は続きそうだ。

デイリーNKジャパン

 


「実は誰も会った人がいない」韓国政界で囁かれる文在寅氏の“怖い話” 

2020-11-28 05:09:06 | 日記

「実は誰も会った人がいない」韓国政界で囁かれる文在寅氏の“怖い話” 

  •  秋法相は発表に伴い、尹総長が「(違法行為の疑いのあった)メディア社主と不適切な接触を持ち、チョ・グク前法相事件などで裁判所に対して違法な査察を行い、政治的中立に対する総長としての威厳と信望を損ねた」などなど、尹総長の様々な規律違反を理由として列挙したが、韓国メディアの報道にコメントを寄せた専門家の中に、この措置が妥当だとする向きはほとんど見当たらない。

 尹総長はこの措置を不服とし、執行停止仮処分申請など法的手段で徹底抗戦する構えを見せているが、事態がどう進展するかは、ことの成り行きを見守るしかない。

 それはさておき、ここで問題にしたいのは文在寅大統領の態度であるここ数カ月、韓国メディアでは秋法相と尹総長のバトルが注目の的になってきた。秋法相は捜査指揮権を連発して尹総長の実験をほとんど取り上げてしまった

しかし、そんな法相の暴走ぶりに世論は反発。ある世論調査では本人が何の意思表明もしていないにもかかわらず、「次期大統領にふさわしい人物」として尹総長がトップにランクインした。

 

 メディアはこうした事態を報じながら、「もはやこの混乱を収められるのは2人の任命権者である文在寅大統領しかいない」と繰り返し主張してきた。しかし文在寅氏は、秋法相から総長の懲戒と職務停止の方針を報告されても、何も語らなかったとされる。

 果たして、文在寅氏のリーダーシップはどこにあるのか。

 韓国では8月末、文在寅政権や与党との決別を宣言した5人の知識人が出した対談集『一度も経験したことのない国』が4週連続でベストセラー1位となった。その中身は、文在寅政権とその支持グループがいかに腐敗しているかを告発したもで、もちろん、文在寅氏本人にも批判の矛先が向けられている。

 そして、著者のひとりであるカン・ヤングTBS(交通放送)記者は、次のような興味深いエピソードを語っている。

 〈すごく怖い話を聞きました。民主化運動家出身の、名前だけ言えば誰でもわかる与党系の政治元老の告白です。「実は、文在寅大統領と会った人がいない」。彼の言う脈絡はこうです。金大中、廬武鉉大統領の場合、皆さんが言及した事例からも確認できるように、「私が提案した」「私と話し合った」という話を聞くことが珍しくないんです。しかし文在寅大統領の場合、直接会って、議論して、建議したという話を聞いたことがないというのです。〉

 

韓国の大統領は、強大な権力を持っている。だから日本の読者には、文在寅政権の対北朝鮮政策や反日外交でも大統領が強いリーダーシップを発揮しているように見えているかもしれない。

 しかし実際のところ、トランプ米大統領や日本の菅義偉首相とは異なり、文在寅氏はメディアの前に登場することが極めて少ないのだ。韓国にいる筆者の知人の中にも、こうした大統領の「不在」に、強い違和感を覚えている向きは少なくない。

 23日に発表された韓国リアルメーターの世論調査によれば、文在寅大統領も与党も支持率を落としている。秋法相と尹総長のバトルが激化すれば、いっそうの下落もあり得るだろう。文在寅氏が事態の収拾に乗り出すのか、あるいは収集する能力を見せるかどうかに、彼がどのような存在であるかをうかがうヒントを見出せるかもしれない。

 (参考記事:(文在寅政権が日本を巻き込む「三文芝居」の軽薄な目的

 (参考記事:「文在寅一派はこうして腐敗した」韓国知識人”反旗のベストセラー”が暴く闇

デイリーNKジャパン


「文在寅の賞味期限は切れた」元支持者が暴く政権混乱の内幕  対談集『一度も経験したことのない国』が4週連続でベストセラー1位

2020-11-28 04:58:47 | 日記

「文在寅の賞味期限は切れた」元支持者が暴く政権混乱の内幕 

 

 識者も猛反発している。特に、文在寅政権の支持者から最も先鋭な批判者に転じた陳重権(チン・ジュングォン)元東洋大学教授は「親文在寅586勢力の全体主義的性向が87年以降に韓国社会が熱心に積み重ねてきた自由民主主義を侵している」として、民主主義の危機を指摘した。

 韓国では8月末、文在寅政権や与党との決別を宣言した5人の知識人が出した対談集『一度も経験したことのない国』が4週連続でベストセラー1位となった。その中身は、文在寅政権とその支持グループがいかに腐敗しているかを告発したもので、陳重権氏も著者のひとりである。

 同氏は『一度も経験したことのない国』の中で、文在寅政権と与党・共に民主党が尹錫悦総長を憎悪する理由について、次のように指摘している。

 〈結局は(文在寅大統領も失政を繰り返すことで)賞味期限が切れました。

だからそろそろ取り替える必要が出てきたのですが、それがチョ・グク前法相だったわけです。外見は良いじゃないですか。ファン客体には、誰もがなれるわけではありません。何が必要かと言えば「好感度(Likeability)」です。人々に好かれるような、魅力的なところがなければいけないんです。(中略)

デイリーNKジャパン


知日派でなく“反日”韓国新駐日大使の危険性 姜昌一氏の「暴言・妄言」まとめ

2020-11-27 16:08:33 | 日記

知日派でなく“反日”韓国新駐日大使の危険性 姜昌一氏の「暴言・妄言」まとめ 識者「日本政界のツボ分かっている」 (1/2ページ)

  • <iframe frameborder="0" marginwidth="0" marginheight="0" scrolling="no"></iframe>姜昌一氏姜昌一氏

 姜氏は、韓国の国会議員を今年5月まで4期務めた重鎮。東京大学大学院で博士号も取得し、日本語もペラペラだ。

 文氏は、米大統領選で北朝鮮に強硬姿勢というジョー・バイデン前副大統領が当選確実と報じられた直後から、「戦後最悪の日韓関係」の修復に乗り出した。姜氏の抜擢(ばってき)も一環のようだが、待ってほしい。姜氏は「知日派」だが、「親日派」ではない。

 中央日報(日本語版)は2003年3月3日、韓国の大学教授だった姜氏が「日本の歴史歪曲(わいきょく)」をテーマにした前日の学術討論会で、「日帝は朝鮮を強制占領に出て『永久にそして完全に』支配するために朝鮮民族抹殺政策を展開した」と発言したと報じた。

 政界入り後の11年5月には、韓国国会の「独島(島根県・竹島の韓国名)領土守護対策特別委員会」委員長として、ロシアが不法占拠する北方領土にロシアのビザで渡航した。日本政府は当然、猛抗議した。

 これ以外にも、姜氏の「反日」言動は数多い。

 文政権の狙いをどう見るべきか。

 朝鮮近現代史研究所所長の松木國俊氏は「姜氏は、自民党の二階俊博幹事長ら『親韓派』と親しい。極めて危険だ」といい、続けた。

 「問題があれば、日本の政界のどこを押せばいいかというツボが分かっている。日韓間の請求権は(日韓請求権協定で)『完全かつ最終的』な解決を確認しているが、姜氏は徴用工問題について『日韓で知恵を出せば解決できる』とうそぶいている。姜氏の駐日大使は不適切であり、日本政府はアグレマン(同意)を出すべきではない。最低条件として、『北方領土は日本の領土だ』『過去の言動もすべて謝罪する』と宣言してから来日させるべきだ」

 

 【姜氏のほかの「反日」暴言・妄言】 

 (1) (韓国国会議長の天皇陛下(現上皇さま)への謝罪要求について)「議長は常識的な話をしたと思う」「韓国人たちは、戦争のあらゆる責任は天皇にあると思っている」(2019年2月、ラジオ番組で) 

 (2) 「日本政府が韓国を『ホワイト国』から除外した措置が日韓軍事情報包括保護協定(GSOMIA)終了決定につながった」(同年11月、日韓議連と韓日議連の合同総会で) 

 (3) 「親日派鬼神(幽霊)のせいで、愛国志士たちが安らかに眠れない」(20年8月、「親日派」墓暴き法案をめぐる韓国国会の公聴会で)

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韓国・文政権の「公正と信義」絶対に信頼できない! 新駐日大使に「反日」主導人物 「日韓関係正常化」紋切り型報道に異論 

2020-11-26 07:28:28 | 日記

【新・悪韓論】韓国・文政権の「公正と信義」絶対に信頼できない! 新駐日大使に「反日」主導人物 「日韓関係正常化」紋切り型報道に異論 

  

 「戦後最悪といわれる日韓関係を打開するため」といった、韓国の紋切り型の報道に接するたびに、ため息が出る。こうした報道はほとんどが、「関係正常化に向けて」と続く。韓国がいう「関係正常化」とは、どういう状況を指すのか。紋切り型記者は考えたことがあるのだろうか。

 戦後75年、日韓関係が良かった時期など、例外的にしかない。

 2013年、当時の李明博(イ・ミョンバク)大統領が、島根県・竹島(韓国名・独島)に不法上陸し、日を置かずして「日王(=天皇陛下のこと)を縛り上げ、土下座させろ」と述べた直後は、今日よりずっとトゲトゲしい雰囲気だった。

 「戦後最悪といわれる日韓関係」とは事実に即した表現ではない。

 紋切り型記者たちは「日韓関係が悪い状況にあること」は“絶対に悪いこと”であり、「打開して関係を正常化すること」は“絶対に良いこと”と思い込んでいるようだ。

 その思い込みの背後にあるのは「お隣さんとは仲良く」という“町内会の感覚”だろうか。それとも、日教組から刷り込まれた「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」(日本国憲法前文)といった“阿呆の片思い思考”だろうか。

 世界を見れば、「隣同士が仲の良い国」など、ほとんどない。世界史を振り返れば、戦争は大体の場合、隣の国との間で起こるのだ。

 韓国の盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権はかつて、米国に「日本を仮想敵国にしよう」と提言した。日本の海洋測量船を衝突撃沈させようと企図したこともある。

 今日も韓国は、対北朝鮮には不要な長距離ミサイルや軽空母、原子力潜水艦などの開発に血道を上げている。日本にとって韓国は「平和を愛する国」ではない。

 文在寅政権は「韓日条約体制の打破」、つまり国交条約・協定に風穴をあけることを、そもそもの目的にして、最高裁判事の人選を行い、いわゆる「徴用工」判決を実現した。

 それとは全く別の次元で、日本から輸入した戦略物資の管理不備を続行した。そこで日本政府が、いわゆる「ホワイト外し」に踏み切ると、実害も出ていないのに「徴用工判決に対する不当な経済報復だ」と大騒ぎして、官製の不買運動を始めた。

 その韓国が先日、東京五輪・パラリンピックを“ダシ”に、「関係正常化」を申し入れてきた。

 そもそも韓国は、国際オリンピック委員会(IOC)が20年の開催地を決める投票を行う直前、放射能汚染を理由に「福島など日本8県からの水産物輸入の禁止」を発表した。IOC委員に「危険な国=日本」を印象付ける悪辣(あくらつ)な戦術だった。

 

韓国の原発周辺では、甲状腺がんの患者が異常に多い。高濃度の排煙も汚染水も垂れ流しを続けている。そんなことは見ぬふりをして、韓国の与党は「東京五輪=放射能五輪」と騒ぎ立ててきた。

 どういう神経で「東京五輪の成功のために協力したい」と言えるのか。いや、そういう神経を持つ人々だと理解しなくてはいけない。韓国の「公正と信義に信頼」を置くことなど絶対にできないのだ。

 私の古巣になるが、時事通信の記事に「五輪成功や日朝関係打開に向け『韓国の協力が必要』(政府関係者)」(11月23日)とあった。この政府関係者とは誰なのだ。

 ともかく、韓国の言い分に、客観性を装わせている。あぁ、ため息どころか吐き気がしてきた。

 ■室谷克実(むろたに・かつみ) 1949年、東京都生まれ。慶応大学法学部卒。時事通信入社、政治部記者、ソウル特派員、「時事解説」編集長、外交知識普及会常務理事などを経て、評論活動に。主な著書に『悪韓論』(新潮新書)、『反日種族の常識』(飛鳥新社)、『呆韓論』(産経新聞出版)、『韓国のデマ戦法』(同)など多数。


発見 アリゾナ州の州の旗は、星の光の星光旗(?)・・・半分は旭日旗に見えるが・・・韓国は反論しないのでしようか

2020-11-26 05:46:03 | 日記

アメリカ、アリゾナ州の州の旗は、・・・半分は旭日旗に見えます・・・

旭日旗に反対している韓国・・・これに反対しないのでしょうか。

座標北緯34度 西経112度

アリゾナ州
State of Arizona
アリゾナ州の旗 アリゾナ州の印
州旗 (州章)
州の愛称グランドキャニオンの州
The Grand Canyon State

韓国はベトナムで何を為したのか─経済発展と殺戮そしてライダイハン

2020-11-13 17:27:18 | 日記

 

韓国軍とベトナム慰安所

韓国がベトナム戦争で強姦・殺戮に飽き足らず、現地女性を集めて韓国兵向けの慰安所を開設していたことが近年明白になった。手先となって蛮行の限りを尽くした700年前の元寇から何ら変わらぬ隣国の素顔に迫る。

 

韓国はベトナムで何を為したのか─経済発展と殺戮そしてライダイハン

『別冊正論』

村山康文(フォトジャーナリスト)
 

派兵は「豊かな国」になる好機

 
 「あのころは、韓国社会自体が混乱していたんだ。ベトナム戦争に参戦したから経済は発展し、今の韓国がある。ベトナムには感謝しているよ」

 2011年10月、韓国の慶尚北道(キョンサンブクド)亀尾(クミ)市にある朴正煕(パク・チョンヒ)体育館で開催された「大韓民国越南戦参戦者会第47回記念式典(ベトナム戦争に参戦した韓国退役軍人の集会)」に参加した元韓国軍猛虎部隊のキム・ジェソンさん(61)=当時=は、ゆっくりと言葉を紡いだ。

 1960年代の韓国は、50年に始まった朝鮮戦争で壊滅的な被害を受けたために、休戦の53年にはアジアの最貧国グループの一つになっていた。

 貧国を脱却したい韓国。1961年5月のクーデターで権力を掌握した朴正煕国家再建最高会議議長は、クーデター直後に「民衆苦を至急解決し、自立経済基盤の確立を目標として、総力を尽くす」と発表した。
 
 朴氏は後に第5~9代大統領を務め、第18代の現・朴槿惠(パク・クネ)大統領の父である。
 
 強権的な政治を行いながら経済開発政策を推し進め、国内資金の調達によっての経済建設を試みたが、政府が期待したほどの資金を調達することができず、外貨導入による経済建設に頼るしかなかった。しかし、当時の韓国は国際信用度が低いうえに、国際市場では国内企業の知名度がまったくなかったため、外貨導入は厳しい局面に立たされる。

 そんな折の1964年8月、ベトナム北部のトンキン湾で、北ベトナム軍の哨戒艇が米軍の駆逐艦に魚雷を発射したとされる「トンキン湾事件」が起きる。米国はベトナムに軍事介入をはじめ、翌65年2月に北爆を開始した。

 朴正煕政権は日本が朝鮮戦争で高度経済成長のきっかけをつかんだことをよく知っていた。ベトナム戦争を経済成長の絶好の機会と捉え、韓国を豊かな国に変えるべく、韓国軍戦闘部隊のベトナム派兵を決定する。
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キム・ジェソンさん (C)村山康文
 派兵は、64年9月の医療班やベトナムにテコンドーを普及させるための教官など非戦闘先遣部隊から始まった。戦況が悪化していくにつれ、65年10月には1万8500人余の戦闘部隊を本格的に投入。その数は韓国軍が撤退する73年3月までに、延べ32万5517人になり、米国に次ぐ大量派兵となった。

 朴正煕政権は、派兵と引き換えるように「経済援助」というカードを日米両国から引き出していく。1963(昭和38)年12月、「日本国と大韓民国との間の基本関係に関する条約(日韓基本条約)」の締結に向けて当時のジョンソン米大統領に働きかける。そして、李東元(イ・ドンウォン)外務部長官とブラウン駐韓米大使との間で66年3月に交わされた「ブラウン覚書」に基づき、開発借款供与の約束を取り付けた。

 日米両国からの支援による経済建設にこぎつけた韓国。ノンフィクション作家の野村進氏は「コリアン世界の旅」(平成九年)に、韓国軍元上等兵の次のような発言を書き綴っている。

 「韓国がベトナム戦争に参戦したのは、世界の自由主義を守るためだとか言ってましたけど、本当はカネのためなんですよ。カネ目当てなんだから、早い話がアメリカの“傭兵”ということですよね」

 米国は、ベトナムに派兵されたすべての韓国兵に戦闘手当を払い、その大半が韓国本土に送金されたという。

 韓国から南ベトナムに向かったのは、兵士だけではなかった。「ベトナム行きのバスに乗り遅れるな」を合言葉として、国内よりも高い賃金目当てに韓国人労働者も現地へ赴いた。商社、建設、サービス業を主力として、技術者や労務者らも1965年から相次いで海を渡る。
 
 また、韓進(ハンジン)、現代(ヒュンダイ)、大宇(デーウ)、三星(サムスン)などの韓国「大財閥」もいわゆる「ベトナム特需」により、基礎が形成された。韓国軍のベトナム参戦がもたらした経済への影響を研究している静岡大学、朴根好(パク・クノ)教授の「韓国の経済発展とベトナム戦争」(平成5年)によると、1965年から72年までの米国が韓国に与えた「ベトナム特需」の総額は10億2200万㌦で、実質的には日本が「朝鮮特需」で得た利益をはるかに上回っている。
 

GNP14倍、輸出29倍に

 
 ベトナム戦争期の韓国への援助は、米国からの「ベトナム特需」以外に、日本からの支援も大きな位置を占めている。

 65(昭和40)年6月22日、日韓の間で国交正常化を目的として締結された日韓基本条約。第一条において「三億㌦を十年の期間にわたり、無償で供与する」「二億㌦を額に達するまで低金利の貸し付けを行う」としている。韓国はベトナム戦争時代、この大部分の資金を国内の高速道路やダム、地下鉄建設などのインフラ整備に使用した。
 
 ベトナム研究者の吉沢南氏は、歴史学研究会編「日本同時代史④高度成長の時代」(平成2年)の中で「もっとも注目すべきは、14年間も難航しつづけた日本と韓国の交渉がここにきて急転直下妥結にいたったことである。日韓両国『国交正常化』が急がれた背後には米国の事情があった」と述べている。

 ベトナム戦争に介入した米国にとって、戦争拡大のために膨張した戦費はドル防衛策と矛盾するため、対韓援助の「肩代わり」を日本に求めた。当時の佐藤栄作首相は当初、日韓基本条約に乗り気ではなかった。しかし、内閣発足後まもなくの65年1月に訪米し、ジョンソン大統領と会談してからは一転、条約締結に 向け積極的に動き始める。
 
 同2月17日、椎名悦三郎外相を韓国に派遣し、慌ただしく条約の仮調印をすると、それに合わせたかのように翌月、韓国政府は戦闘部隊の第一陣をベトナムに送り込んだ。

 「ベトナム戦争への韓国軍派兵と韓日条約(日韓基本条約)はリンクされていたに違いない」(朴根好「韓国の経済発展とベトナム戦争」)=年表。
 「ベトナム戦争がなければ我々は今ここにいることはできない。京釜(キョンブ)高速道路やソウルメトロはもちろん、我々個人の生活水準の向上などに貢献してくださった朴正煕大統領の功労は知るべきだ。同時に、ベトナムの国民らと亡き同士に感謝しなければならない」と、大韓民国越南戦参戦者会中央部のオ・ヨンラク会長(65)は第47回記念式典の壇上で語った。
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オ・ヨンラク韓国越南戦参戦者会中央部会長 (C)村山康文
 韓国は日米両国からの資金援助により、65年からベトナム戦争終結までの十年間で、国民総生産(GNP)が14倍に、保有する外貨や外国為替が24倍、輸出総額が29倍に跳ね上がり、いわゆる「漢江の奇跡」と呼ばれる経済成長を遂げた。
 
 韓国国内は右肩上がりの経済発展に潤う一方、韓国兵らはベトナムの地で一体何をしたのか。
 

知られざる韓国軍の虐殺の数々

       
 64年9月の先遣隊に続き、翌年10月には韓国軍戦闘部隊の青龍部隊(海兵第二旅団)と猛虎部隊(首都師団)が、同12月には青龍部隊と白馬部隊が、さらに66年4月と9月には猛虎第二六連隊と白馬部隊(第九師団)が次々とベトナムに上陸。韓国軍戦闘部隊の多くは、ベトナム中部のニントゥアン省からダナン市にかけて、海岸沿いを走る国道1号の主要都市に駐屯した。

 韓国軍は「共産主義と戦うため」「朝鮮戦争の際に『自由諸国』が韓国に援助してくれた『恩返し』のため」という公式的な名目を掲げ、米国の「傭兵」としてベトナムで「まじめに」働いた。この結果、多くの罪もないベトナムの民間人の命を奪うこととなった。

 ベトナム戦争中に共同通信のサイゴン特派員をしていた亀山旭氏。あるとき、韓国軍を視察した韓国の著名な言論人が「韓国軍がまじめに戦っていることが唯一の救いだ」と亀山氏に話す。それを受けて「韓国軍が反共の意気に燃えて解放戦線の兵士やその住民たちと〝まじめ〟に戦い、〝まじめ〟に殺したことが救いようのない悲劇だったのではないか」と、亀山氏は「ベトナム戦争―サイゴン・ソウル・東京―」(昭和47年)で表現している。

 「まじめ」に戦い、「まじめ」に殺した韓国軍戦闘部隊は、ベトナムに上陸後、数々の過ちを生んだ。

 その一つに、ベトナム中部のいたるところで繰り広げられた韓国軍による民間人虐殺事件が挙げられる。韓国軍による虐殺地は百カ所近くにのぼり、犠牲者の数は1万~3万人とされる(北岡俊明、北岡正敏「韓国の大量虐殺事件を告発する」平成26年)。

 ベトナム戦争時、駐越韓国軍野戦司令部が置かれていたカインホア省ニャチャン市から、北へおよそ90㌔の省境にあるカー峠を越えるとフーイエン省に入る。農業、漁業、林業などの第一次産業が六割を占めるフーイエン省は、省都のトゥイホア市を離れるとすぐにのどかな田園風景が広がる。刈り入れた稲を山積みにしたリアカーが、水牛にのっそりと引かれているさまを見ることができる田舎町だ。
 
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 1966年1月2日(旧暦65年12月11日)、この田舎町の小さな村で悲劇は起きた。韓国軍は朝7時頃、フーイエン省ドンホア県ホアヒエップナム社ブンタウ村に奇襲攻撃を仕掛けた=地図。

 近くにいたおじに手を引かれ、その場から逃げきったグエン・ティ・マンさん(68)=取材した2014年6月時点=は当時を振り返る。
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ブンタウ村虐殺を最近のことのように振り返るグエン・ティ・マンさん (C)村山康文
 「あのころ、ブンタウ村の住民は50人余でした。そのうち37人が、あっという間に殺されたのです。男たちは捕まれば殺されると思い、真っ先に村から逃げました。まさか婦女や子供には手を出さないと思っていたら、韓国兵は残っている村人を一カ所に集めて、ひとりずつ撃ち殺していったのです」
 

乳房を削ぎ性器を銃剣でかき回し、子供を股裂き、串刺し

 
 韓国軍がフーイエン省に駐留を始めたのが65年12月26日(旧暦12月4日)。ブンタウ村で起きた虐殺は韓国軍が駐留を始めて十日も経っていなかった。

 さらに4カ月と経たない66年5月14日(同3月24日)、ブンタウ村から3㌔ほど西にあるドンホア県ホアヒエップナム社ソムソイ村でも韓国軍による虐殺事件が起きた。当時9歳だったファム・ディン・タオさん(57)=同=は集落から百㍍ほど離れた場所で牛の放牧をしていたときに、虐殺の様子を目の当たりにする。
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ブンタウ村の「憎悪碑」は1975年建立。韓国軍による虐殺があった村の多くに「憎悪碑」「慰霊碑」が建てられている (C)村山康文
 「午前10時頃のことでした。韓国兵は不意を突いたかのように、あらゆる場所から村に突入しました。陸からはもちろん、ヘリからも。おそらく兵隊は300人以上いたと思います。そのとき、私と父以外のすべての村民42人が殺されました。私の家族や親戚17人も含まれています」

 目に大粒の涙を浮かべたタオさん。

 「私は突然の出来事に驚いて、畦道を走って逃げました。逃げている時に、畦道で破裂した擲弾銃(てきだんじゅう)の破片を顔や足に被弾しました。そのショックで意識を失ったのです。気が付くと、村の近くの病院で韓国軍に拘束されていました」

 意識が戻ったタオさんに対して韓国軍の通訳が「共産党の基地を教えろ」と何度も尋問する。しかし、タオさんは「子供だから知らない」と言い張ったという。
 
 「当時、子供ながらに韓国軍がソムソイ村でしたことを許せませんでした。釈放された数年後、私は韓国兵を皆殺しにしてやろうと思い、南ベトナム解放民族戦線の少年遊撃兵になりました。でも、その後しばらくして米軍に捕まりました。この顔の傷は韓国兵が発射した擲弾銃の破片の傷と、米軍に捕らわれたときの拷問でできた傷。つまり、生涯背負わなければならない『恨み』の傷です」
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ソムソイ村虐殺を逃れたファム・ディン・タオさん(右)と父ファム・チュンさん。タオさんの口元の傷痕が惨劇を伝える (C)村山康文
 フーイエン省では韓国軍による虐殺地域が省内のあちこちに点在している。同省の村々で2年にわたる聞き取り調査を行い「フーイエン省の歴史書」を編纂したフーイエン新聞のファン・タン・ビン編集長(54)=同=は「韓国軍は66年から68年にかけて、北はビンディン省境にあるクーモン峠から南のカー峠の海側全域に駐留し、フーイエン省の至るところで1563人を虐殺しました。そのほとんどが婦女や子供、老人などの罪もない民間人です」と語る。
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「フーイエン省の歴史書」を編纂したファン・タン・ビン編集長 (C)村山康文
 「虐殺をした村での韓国軍の行動は、とても正気の沙汰とは思えません。婦女を輪姦し、乳房をナイフで切ったあと、女性器を銃剣でかき回し、殺害した。乳児の足を持ち、カエルの股裂きのように裂いた。一人の韓国兵が持つ銃剣に、輪投げのように子供を投げ落として殺害したなど、耳を疑うような証言をいくつも聞きました」(ビン編集長)。
 

年ごろの娘を皆の前で輪姦し射殺

 
 「百人のベトコンを逃がしても一人の民間人を保護せよ」。ベトナム戦争中、蔡命新(チェ・ミョンシン)初代駐越韓国軍最高司令官の「至上命令」が書かれた看板が、韓国軍が駐留していたベトナム中部のあちこちに立てられていたという。しかし、その命令に従った韓国兵は、ごくわずかだった。
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「百人のベトコンを逃がしても一人の民間人を保護せよ」の看板の写真を持つ元猛虎部隊の韓国兵 (C)村山康文
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ビンアン社にある壁画は虐殺の様子を生々しく伝える (C)村山康文
 韓国軍はフーイエン省の北に接するビンディン省でも虐殺を行った。66年2月13日から3月17日(旧暦1月23日から2月26日)にかけて起きた、ビンディン省タイソン県ビンアン社(注①)の韓国軍によるベトナム最大の虐殺事件。一カ月余の間に村全体で1925戸の住宅が破壊され、1004人の命が奪われた。
 
 中でも66年3月17日(同2月26日)にビンアン社のゴザイ集落で起きた「ゴザイの虐殺」は凄まじい。わずか2時間足らずで集落の住民380人を韓国軍は虐殺したとされる。現在、ビンアン社にある韓国軍による虐殺慰霊廟の片隅に、過去を忘れないようにと「ゴザイの虐殺」慰霊碑が建立されている。
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ビンアン社「ゴザイの虐殺」の慰霊碑。殺された380人の名前が刻まれている (C)村山康文
 ゴザイ集落にあるタイヴィン村で、腕や足に銃弾や手榴弾の破片の傷を負いながらも奇跡的に命を取り留めたグエン・タン・ランさん(62)=同2月=が、当時の様子を心憂い表情で語った。

 
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 「百人以上の韓国兵が村に押し入ってきたのは、朝食を取ろうとしている時だったと記憶しています。各家から引きずり出された村人は一カ所に集められました。そして、村人の中から年ごろの娘を見つけた韓国兵が、娘の長い髪を引っ張って集団から引き離し、皆の目の前で輪姦を始めたのです。数人の兵士が順に事を済ませると、娘は容赦なく撃ち殺されました。その惨劇を見て発狂した村人らが韓国兵に襲い掛かろうとすると、次々に撃ち殺されていきました」
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タイヴィン村虐殺を目の当たりにしたグエン・タン・ランさん。今も銃弾や手榴弾の破片が腕や足に残る (C)村山康文
 

韓国内で史実を葬り去る動き

 
 韓国軍による無差別殺戮はフーイエン省やビンディン省だけにとどまらなかった。クアンガイ省のソンティン県などや、クアンナム省フォンニャット村・フォンニ村、ハミ村など、さらにカインホア省やダクラク省、ニントゥアン省でも無抵抗な民間人の虐殺があったとされる(「韓国の大量虐殺事件を告発する」)。

 韓国軍による1万人から3万人にも及ぶ大量虐殺。1968年3月16日に米陸軍のウィリアム・カリー中尉(虐殺を命令)率いる米兵部隊が、ベトナム中部のクアンガイ省ソンミ村(現ティンケ村)で村民504人の命を奪った「ソンミ村大量虐殺事件」は世界中の多くの人に知られているが、韓国軍がベトナム戦争時代に行った大量殺戮行為の詳細はあまり知られていない。

 それどころか、韓国軍がベトナムのいたるところで民間人を虐殺していた事実さえ知らない人も多い。

 なぜだろうか。

 米軍による民間人虐殺事件(ソンミ村大量虐殺事件)は事件から9日目に、虐殺を知った南ベトナム民族解放戦線の中部ベトナム委員会が「ソンミ村における米兵の犯罪行為を激しく糾弾する緊急宣言」を採択し、同4月16日にハノイ市で公表したことに加え、虐殺の現場に居合わせた複数の米兵が軍上層部に事件の内容を報告。翌69年9月に「ソンミ村大量虐殺事件」の見出しで米国メディアが書き立てたことなどにより、広く知られるところとなった。
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フォンニャット村とフォンニ村の住民74人がこの場所で、無抵抗のまま虐殺された (C)村山康文
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ハミ村の慰霊堂。慰霊碑裏面の碑文には国花の蓮をデザインした蓋がされている (C)村山康文
 一方、韓国軍による民間人虐殺事件に関しては、1990年代後半にベトナムの大学院へ留学していたク・スジョン通信員が、韓国軍による虐殺に関する内部文書をベトナム当局から入手。その情報を基にして徹底的に調査し、韓国の左派紙ハンギョレ新聞が発行する週刊誌「ハンギョレ21」99年5月6日号で「韓国軍はベトナムで民間人の大量殺戮をしていた」とスクープする。
 
 しかし、2000年6月27日に起きた韓国退役軍人会のメンバーによるハンギョレ新聞本社への激しい抗議活動など、史実を消し去ろうというソンミ村虐殺事件とは全く反対の動きが起きた。そのためか、韓国軍によるベトナム民間人虐殺の情報は、あまり知られていない。
 

強姦とライダイハン

 
 韓国軍がベトナム戦争時代に犯した罪は「民間人虐殺行為」以外にも「ライダイハン」の問題がある。ライダイハンとは、「ライ」がベトナム語で混血を表し、「ダイハン(大韓)」は韓国を意味する蔑称。現在、ベトナム戦争時代にできたライダイハンの数は、最小1500人(朝日新聞平成7年5月2日付)から最大3万人(釜山日報2004年9月18日)と推計されている(注②)。

 ライダイハンができた原因には「ベトナム行きのバスに乗り遅れるな」を合言葉として流入した韓国人労働者とベトナム人女性が結ばれてできたケースもあるが、韓国軍による強姦でできたケースも少なからずあった。

 ベトナム戦争時、ビンディン省トゥイフック県のフックタン地区にできた韓国軍施設でウエートレスをしていたヴォー・ティ・マイ・ディンさん(59)=同2009年9月時点。19歳のころに施設内の食堂で韓国兵に輪姦され、誰の子かわからないライダイハンである長男、ヴォー・スアン・ヴィンさん(39)=同=を身籠った(注③)。
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「あのころのことは、もう思い出したくありません」と語るヴォー・ティ・マイ・ディンさん (C)村山康文
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ライダイハンのヴォー・スアン・ヴィンさん (C)村山康文
 「軍施設で働き始めて3、4年が経っていたころです。ある日、人気のない食堂で後片づけをしているときに突然、数人の韓国兵に背後から襲われました。恐ろしくて声をあげることもできないでいると、次々と無理矢理に私の中に押し入ってきました。その時にできた子が、ヴィンです」と、マイ・ディンさんは当時の様子を息子の前で静かに語った。

 日本は昭和7年の第一次上海事変の際に派兵先での軍規を逸脱した強姦を防止する目的で、初めて公娼としての「慰安婦」を利用したとする説がある。「慰安婦」がいたから強姦事件がなくなったとは必ずしもいえないが、当時の陸軍参謀副長、岡村寧次大佐(終戦時は支那派遣軍総司令官)が「海軍にならい、長崎県知事に要請して慰安婦団を招き、その後全く強姦罪が止んだので喜んだものである」と回顧録に記している(秦郁彦「慰安婦と戦場の性」平成11年)。

 日本軍が衛生や待遇などの監督面で関与した「慰安婦」と、韓国軍のベトナム戦争での性暴力の違いについて、元韓国挺身隊問題対策協議会の尹貞玉(ユン・ジョンオク)初代共同代表は、「女性・戦争・人権」八号(「女性・戦争・人権」学会編2007年)で次のように述べている。

 「日本軍『慰安婦』とベトナム戦の性暴力のもっとも大きな違いは二世の問題である。『慰安婦』は計画的かつ制度的に行った犯罪であるが、ベトナム戦における性暴力は、参戦軍人たちが戦争中に犯したものであるため二世が生まれるケースが多い」

 尹氏の「慰安婦」に関する評価はともかくとして、戦時の軍隊の女性に対する性行動において、日本軍の「慰安婦」に対するものと、韓国軍がベトナムで行った行為は、次元が異なっている。
 

韓国の未来への礎は…

 
 韓国軍のベトナム参戦から五十年の節目となった2014年9月25日、「大韓民国越南戦参戦者会第五十回記念式典」が、韓国・ソウル特別市松坡(ソンパ)区にある蚕室(チャムシル)室内体育館で開かれた。全国の退役軍人とその家族、政治家や韓国に嫁いだベトナム人女性、また、今回初となった在韓米軍関係者など約2万人(主催者推計)が参加した。
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越南戦参戦者会第50回記念式典。約2万人(主催者推計)が参加した (C)村山康文
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同式典には在韓米軍も初めて参列した (C)村山康文
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同式典には韓国に嫁いだベトナム人女性も。近年、同様の女性が増えている (C)村山康文
 式典では朴槿惠大統領が映像メッセージで「皆さんが若いころ、国に貢献してくださったおかげで、今日の韓国の平和と繁栄の礎を築いたのです」と退役軍人らを激励したものの、戦時中の日米両国からの支援に関してはもちろん、ベトナムの人々に対しての非人道的な行いに具体的に言及することはなかった。
 
 韓国兵に輪姦され、ライダイハンを産んだヴォー・ティ・マイ・ディンさんは「あのころのことは、もう思い出したくありません」と呟き、ソムソイ村で虐殺を逃れたファム・ディン・タオさんは「韓国兵がやったことは、毎年、家族の命日が近づくと涙が出て、体が熱くなります」と、怒りに震えながら話す。

 そして、タイヴィン村で一命を取り留めたグエン・タン・ランさんは「ベトナム政府の人たちは『これからのベトナムは韓国との外交が大切なので、過去を忘れる努力をしてくれ』と話します。でも、私の眼に焼き付いたあの惨劇を、どうしたら忘れられようものですか」と、苦しそうに言葉を絞り出す。

 この幾つもの「呟き」「震えながら」「絞り出す」言葉と、証言の時にこらえられずに溢れ出す涙を見ていると、韓国軍から残虐行為を受けたベトナムの誰しもが、あの日の惨劇を必死で忘れようと、日々、努力しているように感じてならない。

 韓国は、ベトナム戦争終結から30年後に、ようやく一部の民間人が虐殺やライダイハンに対する謝罪の意味合いから支援を始めた。2005年9月、韓国軍による虐殺があったフーイエン省ドンホア県ホアヒエップチュン社に「韓越友好病院」を設立。また近年、在越韓国企業がライダイハンの子供たちへの奨学金進呈など始めている。

 政府レベルでは、1998年に当時の金大中(キム・デジュン)大統領(第15代)が、訪越した際に「不本意ながら、過去の一時期、ベトナム国民に苦痛を与えたことを遺憾に思う」と謝罪した。しかし、保守派のハンナラ党(現セヌリ党)副総裁だった朴槿惠氏は、金大中大統領の謝罪に対し「大統領の歴史認識に不安を抱く。軽はずみな発言は参戦者会の名誉を著しく傷つけた」と強く非難した。
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同式典で流された朴槿惠大統領の映像メッセージは退役軍人らを激励するも、ベトナムでの非道行為には触れなかった (C)村山康文
 朴槿惠氏は自身が大統領に就任して7カ月後の2013年9月9日に初めて訪越し、ベトナムのチュオン・タン・サン第5代国家主席と会談する。訪越の目的は、あくまで韓国からベトナムに供与されるODAによる各分野でのパートナーシップを重視するだけのもので、韓国軍がベトナム戦争時に犯した過ちに関しての謝罪の言葉は一切なかった。

 それどころか2週間後の同24日に朴槿惠大統領は国連総会の一般討論で演説し、直接的にこそ日本や「慰安婦」の批判はしなかったものの、「戦時の女性に対する性暴力は時代や地域を問わず、明らかに人権や人道主義に反する行為だ」と、自国軍がベトナムでしたことを棚に上げ、遠回しに日本を批判した。

 韓国人の「名誉」や韓国の「国益」を重んじる朴大統領親子。ならば今、韓国政府がすべきことは、自らの「歴史の事実」に目を向け、新たな道を切り開くための努力なのではないのだろうか。

 
 注① 当時のビンディン省タイソン県ビンアン社は、14の村から構成。このうちタイヴィン村、タイビン村、タイアン村などの一部集落をまとめて「ゴザイ集落」と呼んでいた。

 注② 「ライダイハン」は、厳密には1992年にベトナムが韓国と国交を結ぶまでにできた子供の呼称で、92年以降にできた韓国人とベトナム人女性の間の子供は「新ライダイハン」と呼ばれる。ただ、近年は韓国人とのハーフ(他国も含む)の総称として「ライダイハン」が用いられることも多い。

 注③ ヴィンさんの戸籍証明(ID)上の年齢は36歳。ベトナムでは徴兵を逃れるため、年齢を偽ることが稀に行われた。貧困などの理由で出生証明書をのちに取得することもある。


むらやま・やすふみ 昭和43年兵庫県生まれ。平成10年に出会った報道写真家の石川文洋氏に触発されてベトナムに魅せられ、これまで40回近く渡越。米軍が散布した枯葉剤による被害者の支援運動にも参加。18年に当時18歳だった被害者とみられる一人を日本に招き、京大病院での手術を実現した。26(2014)年、ホアンサ(英名パラセル、中国名西沙)諸島に接近し、中国が設置強行した石油掘削の海上基地を撮影。ベトナムを中心にエイズ、戦争、人権、差別などカメラとペンで追いかけ、各地で写真展や講演を行っている。2007、09年にホーチミン市文化スポーツ観光局から表彰され、戦争証跡博物館(ホーチミン市)が2011年から写真4点を常設展示。ベトナム参戦の元兵士の聞き取りや社会問題など韓国でも取材している。著書に「いのちの絆 エイズ・ベトナム・少女チャン」(アットワークス)など。

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常軌を逸しているとしかいえない場合の韓国人の反日行為は、大挙して群なす「代償的擬似健常者」によるもの

2020-11-13 16:40:06 | 日記
別冊正論23号「総復習『日韓併合』」(日工ムック)より
呉善花(評論家・拓殖大学教授)

反日行為を担う「代償的擬似健常者」


 東日本大震災直後の3月末、韓国では「竹島は日本の領土」と明記した日本の教科書が検定合格したことに強く反発、義捐金募集活動を中止し、全額を返還したり、独島守護団体や慰安婦支援団体への寄付に振り向けたりする自治体が続出した。

 同年9月のAFCチャンピオンズリーグでは、
 特定の性格とは「メランコリー親和型」と呼ばれる性格で、ドイツの精神科医テレンバッハが1960年代に理論化したものである。テレンバッハは「内因性単極性鬱病」にかかった人の性格的な特徴として「几帳面、仕事熱心、堅実、清潔、権威と秩序の尊重、保守的、律儀」を挙げている(木村敏訳「メランコリー・改訂増補版」)。

 これはまさしく日本人によくある性格だといってよいだろう。最近亡くなられた経営学者の大野正和氏も、日本人の「働き過ぎ」に関連するとして次のように述べている。

「日本人に多いのは、前うつ病性格(うつ気質)であるメランコリー親和性だ。真面目で几帳面、責任感が強く他人に気を遣う。この性格は、日本の職場では優秀な労働者の象徴である」(「過労死と日本の仕事」ブログ「『草食系』のための日本的経営論」)。

 精神科医芝伸太郎氏は、この「メランコリー親和型性格はそのまま日本人一般の性格特徴(を極端にしたもの)に他ならない」と述べ、テレンバッハらとは別に「日本人だからこそわかる」視点から、とても興味深い独自の理論を打ち立た(「日本人という鬱病」1999年)。

 芝氏の理論は「お金理論」といわれるもので、概略、次のようなものである。律儀な性格の日本人の多くは、人から借りたものは必ず返さなくてはならないと考える。物品であれ、精神的な好意であれ、地位や名誉を与えられた場合であれ、まるで精神的な貸借対照表があるかのように、「借りたら返す」という原則を貫こうとする。

 ちょっとしたミスを犯しても、必ず相手や社会に埋め合わせができるだけの良き行ないをしなくてはならないと考える―。

 こういう性格の人は、社会に出ると「決して借りをつくるまい」と一生懸命になる。会社では人並み以上に働き、他人に対しては執拗に「お世話」をしようとし、昇進をしようものならさらに時間を無視してまで働こうとする。中年になって高い役職に就いた途端にこの種の鬱病を患う人が、日本人には多いそうである。

 こういう人は、家庭生活にもとても生真面目に向かう。ミスをすれば、その挽回を思って、ミスのために会社や相手が失ったもの以上のものを生み出そうと盛んに努力を重ねる。

 そこでは、あらゆる人間関係があたかもお金のやり取りであるかのようになっていると芝氏はいう。もちろんそれは、「姑息な金銭勘定の意識」とはまったく異なるもので、逆に「金銭勘定を無視して」がんばってしまうのだ。

 そうすることで、自分が自分であることを保つことができている。こういう極端な性格の人は、そのままではいつかはやっていけなくなる。心身ともに疲れてしまうし、何をやっても不十分だと感じられていく。そこで、「自分はだめな人間だ」「だらしない」と深刻に悩み、やがてはメランコリー状態に陥って鬱病を発現するまでなってしまう。これが芝氏の「お金理論」である。

 芝氏のいう「お金と同じように人間関係を考える」というのは、物事についての「借りる・貸す」の関係を、それぞれの関係のあり方の個別的な性格を無視し、何でもかんでも普遍的に向き合ってしまっていることを意味している。確かに、日本人にはそうした性格的な傾向をもつ人が多いといえるだろう。
横断幕が掲げられた。また2013年8月にはKBS2のテレビ番組で、お笑いタレントが「旭日旗を振った日本の応援団に体にいい福島産さくらんぼを送った」と揶揄し、これを東亜日報など各紙が「よくぞいった」とばかりの評価で報じた。

 「その神経を疑う」といった報道が諸国に見られた。韓国人の反日行為は常軌を逸している。こうした非文明性、異常性は世界的な「不可思議」の一つにまでなった。だが彼らは明らかに文明生活を送っており、反日行為は病者ならぬ正真正銘の健常者たちによるものだ。だからこそ「不可思議」なのである。

 精神医学者の中井久夫氏は、精神障害というものは、自らの破滅を防ぎ、生き残るための知恵だという観点を示している(「治療文化論―精神医学的再構築の試み」)。私もこの観点を強く支持したい。その上で私が問題としたいのは、これも中井氏の観点の一つなのだが、正常・健常者といわれる人のなかには、病気からほど遠い余裕のある人だけではなく、「他者に依存したり他者や社会を攻撃すること」によって自らの精神衛生を維持している人、中井氏のいう「代償的擬似健常者」が多数いるということである。

 「代償的擬似健常者」による常軌を逸した人類最悪の行為が、中世ヨーロッパの魔女狩りやナチスのホロコーストなどだろう。「代償的擬似健常者」が「他者に依存したり他者や社会を攻撃すること」を一挙に極端化していくと、こうした大虐殺が引き起こされることにまで至る。

 常軌を逸しているとしかいえない場合の韓国人の反日行為は、大挙して群なす「代償的擬似健常者」によるものと考えればいい。彼らは韓国人に特徴的な心の病に陥った人たちと同じように、韓国人に特有の苦悩やコンプレックスを抱えている。

 しかし彼らは、病者のように自らを苛(さいな)むのではなく、他者を苛むのだ。彼らは、他者への依存や他者への攻撃によって、自らの精神的危機を回避しようとする。そこで彼らの反日行為は、病者が示す病像ときわめて近似していく。彼らの反日行為が、非文明性、異常性をもって現れる最大の理由がここにある。
韓国人は〝魔女狩り〟ならずともすぐに火をつける。日本の首相の靖國神社参拝に抗議して日の丸に(右、AP)竹島問題に抗議して日本の教科書の写真や日の丸に(中、ロイター)米国産牛肉輸入問題で警察のバスに(左、同)
 以上のことを前提に、日本人をはじめ外国人には容易に理解できないと感じられている韓国人(韓民族)の反日行為の心理、情緒、精神のあり方の特異性を、韓国人に特徴的な心の病を通して照らし出してみたい。その前に、韓国人との一定の比較という意味から、十分なものではないが、日本人に起きやすいとされる心の病と日本人の性格的な特徴の関係について、一つの事例から簡単に眺めておきたい。

日本人とメランコリー


 日本人に起きやすい心の病の代表的なものに「内因性単極性鬱(うつ)病(メランコリー)」がある。「内因性単極性鬱病」は、とくに日本人に顕著に見られるものだが、誰にも起き得るものではなく、ある特定の性格の人に限って発生率が高いことが知られている。
日本人はまじめゆえにメランコリーが
起きやすい…

 特定の性格とは「メランコリー親和型」と呼ばれる性格で、ドイツの精神科医テレンバッハが1960年代に理論化したものである。テレンバッハは「内因性単極性鬱病」にかかった人の性格的な特徴として「几帳面、仕事熱心、堅実、清潔、権威と秩序の尊重、保守的、律儀」を挙げている(木村敏訳「メランコリー・改訂増補版」)。

 これはまさしく日本人によくある性格だといってよいだろう。最近亡くなられた経営学者の大野正和氏も、日本人の「働き過ぎ」に関連するとして次のように述べている。

日本人に多いのは、前うつ病性格(うつ気質)であるメランコリー親和性だ。真面目で几帳面、責任感が強く他人に気を遣う。この性格は、日本の職場では優秀な労働者の象徴である」(「過労死と日本の仕事」ブログ「『草食系』のための日本的経営論」)。

 精神科医芝伸太郎氏は、この「メランコリー親和型性格はそのまま日本人一般の性格特徴(を極端にしたもの)に他ならない」と述べ、テレンバッハらとは別に「日本人だからこそわかる」視点から、とても興味深い独自の理論を打ち立た(「日本人という鬱病」1999年)。

 芝氏の理論は「お金理論」といわれるもので、概略、次のようなものである。律儀な性格の日本人の多くは、人から借りたものは必ず返さなくてはならないと考える。物品であれ、精神的な好意であれ、地位や名誉を与えられた場合であれ、まるで精神的な貸借対照表があるかのように、「借りたら返す」という原則を貫こうとする。

 ちょっとしたミスを犯しても、必ず相手や社会に埋め合わせができるだけの良き行ないをしなくてはならないと考える―。

 こういう性格の人は、社会に出ると「決して借りをつくるまい」と一生懸命になる。会社では人並み以上に働き、他人に対しては執拗に「お世話」をしようとし、昇進をしようものならさらに時間を無視してまで働こうとする。中年になって高い役職に就いた途端にこの種の鬱病を患う人が、日本人には多いそうである。

 こういう人は、家庭生活にもとても生真面目に向かう。ミスをすれば、その挽回を思って、ミスのために会社や相手が失ったもの以上のものを生み出そうと盛んに努力を重ねる。

 そこでは、あらゆる人間関係があたかもお金のやり取りであるかのようになっていると芝氏はいう。もちろんそれは、「姑息な金銭勘定の意識」とはまったく異なるもので、逆に「金銭勘定を無視して」がんばってしまうのだ。

 そうすることで、自分が自分であることを保つことができている。こういう極端な性格の人は、そのままではいつかはやっていけなくなる。心身ともに疲れてしまうし、何をやっても不十分だと感じられていく。そこで、「自分はだめな人間だ」「だらしない」と深刻に悩み、やがてはメランコリー状態に陥って鬱病を発現するまでなってしまう。これが芝氏の「お金理論」である。

 芝氏のいう「お金と同じように人間関係を考える」というのは、物事についての「借りる・貸す」の関係を、それぞれの関係のあり方の個別的な性格を無視し、何でもかんでも普遍的に向き合ってしまっていることを意味している。確かに、日本人にはそうした性格的な傾向をもつ人が多いといえるだろう。
 
 
 
 
 
 

竹島の日「ほとほと嫌になった」日本人の韓国疲れ、原因はこれだった重村智計』

2020-11-04 18:46:07 | 日記

竹島の日「ほとほと嫌になった」日本人の韓国疲れ、原因はこれだった重村智計』 2019/02/22中国の「尖閣侵略」菅内閣でピリオドを打て

重村智計(東京通信大教授)

 
 2019年3月1日、韓国は日本統治からの独立を目指した「3・1独立運動」から100年目を迎える。その直前の2月27、28日には、2回目の米朝首脳会談がベトナムのハノイで開かれる。
 
 その場で、両首脳ともに会談成功を世界にアピールすることは間違いない。韓国では、米朝首脳会談と南北首脳会談への期待から、「3・1独立運動」記念の反日式典は盛り上がらないだろう。
 
 そのような中で、今後の朝鮮半島情勢はどうなるのか、島根の報道関係者が私のもとに取材に来た。最近の日韓関係の悪化や自衛隊機へのレーダー照射問題、米朝首脳会談の行方、拉致問題など、一連の朝鮮半島問題について聞かれた。特に気になったのは、やや奥歯に物が挟まったような口調で「『竹島の日』記念式典はどうしたらいいですかね?」と最後に尋ねられたことだった。
 
 その言葉には、公(おおやけ)には言いにくい思いが伝わってきた。私も新聞記者だったので、気を使いながら率直に質問の理由を聞いた。
 
 実は、島根県内で「竹島の日式典をもうやめたらどうか?」との空気があるという。県外ではうかがい知れない「竹島の日疲れ」のようだ。でも、私は竹島の領有権を主張する根拠を失うから、「式典を続けるしかない」と伝えた。「竹島の日」記念式典は島根県の歴史的使命と思わなければならない。
 
 竹島問題は複雑だ。日本国民や島根県民全てが「竹島評論家」であり、一家言ある。一方で韓国政府の反発も強い。ひとたび発言すると、誹謗(ひぼう)中傷の嵐に巻き込まれ、韓国側の抗議も毎回受けることになる。式典実施が「ほとほと嫌になった」という島根の感情は理解できる。
 
 この現象は、私が朝鮮問題に取り組み始めた1970年代初めから続く「韓国病」「朝鮮病」に連なるものだ。1975年に韓国に留学した私は「韓国経済は発展する」「北朝鮮は経済危機」と書いたら、「韓国の手先」という非難や誹謗中傷の嵐が、88年のソウル五輪のころまで続いた。一方、94年には「北朝鮮は石油がないから戦争できない」と書くと、「北朝鮮の手先」と批判された。「工作国家」である韓国と北朝鮮、一方の立場を代弁しながら「敵」を非難し合う、まるでエージェントのような人間が日本国内にも大勢いたからである。
2018年6月12日、会談で握手する北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長(左)とトランプ米大統領(AP=共同)
2018年6月12日、会談で握手する北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長(左)とトランプ米大統領(AP=共同)
 だが、誤った「世論」との戦いは新聞記者の「生きがい」だった。報道の自由を守る新聞社と先輩記者、友人に支えられながら主張を続けた。
 
 周知のように、竹島の帰属は日韓基本条約では「棚上げ」された。もし、当時の朴正煕(パク・チョンヒ)大統領が「日本の領土」と認めていたら、朴政権は崩壊しただろう。
 
韓国は、国民をあげて竹島にこだわった。この感情と世論は日本人には理解できない。国家を失った民族の「国土侵略阻止」への信念である。
 
 1965年に日韓基本条約交渉に合意し帰国した韓国側の代表は、空港で「竹島は韓国の領土と認められた」と宣言した。これが韓国民の原点である。しかし、日本政府が抗議することはなかった。
 
 日韓両政府は、それぞれの政府が「自国の領土」と国内に説明することを「黙認」した。また、日韓閣僚会談などで双方が「竹島(独島)は、わが国の領土とそれぞれ主張し、記録に残す」儀式を行うが、公表しないことにした。ところが、この儀式による「棚上げ方式」は、1979年の朴政権の崩壊で忘れ去られてしまった。
 
 「竹島の日疲れ」の根元は、単なる県レベルの問題ではない。日本の将来と国際的な地位や役割と直結する問題であると考える必要がある。
 では、最近の日韓対立と、「韓国に軽く見られる」最大の原因は何か。それは、日本が20年以上も経済成長しなかった事実にある。
 
 日本の国内総生産(GDP)は1994年からほとんど成長していない。約500兆円のままだ。バブル崩壊で生じた「経済成長は悪」「量より質」の世論もあってか、日本政府はあまり成長政策に乗り出すことはなかった。
 
 一方、韓国のGDPは94年の約5倍に成長した。何よりも、一人当たりの名目GDPが日本に接近している。日本は約4万ドル(約400万円)前後で推移しているのに対し、韓国は3万2千ドル(約320万円)に激増している。
2018年2月22日に松江市で開かれた「竹島の日」記念式典(宮沢宗士郎撮影)
2018年2月22日に松江市で開かれた「竹島の日」記念式典(宮沢宗士郎撮影)
 20年前は、日韓の格差がおよそ4倍であった。韓国民は確実に豊かになっているのに、日本国民の生活は停滞したままだ。5年前には、国際通貨基金(IMF)が、やがて韓国の一人当たりの国民所得(GNI)が日本を追い抜くとの分析も出していたほどだ。
 
 一人当たりのGDPは、その国の大卒初任給と一致するという。その格差が大きいと「貧富の格差の激しい国」と言われる。
 
 この現実の前に、韓国民に「日本から学ぶものはなくなった」という感情が生まれ、日本への尊敬の念が消滅した。単なる「反日感情」のみを原因にすると、日韓の真実から目を背けることになる。
 
 韓国と韓国民には「長い間、日本に我慢した」という思いがある。経済面では、日本からの投資に頼り、企業経営を学んできた。冷戦下では、安全保障面でも日本に頼らざるを得なかった。冷戦崩壊と南北融和の進展により、韓国民は安全保障上の脅威がようやく消えたと感じている。
 
 さらに、経済や安全保障面で「中国依存」が高まり、日本の必要度は急速に低下した。これが、日本にとっての「不都合な現実」なのだ。
 
 米紙のインタビューで飛び出した文喜相(ムン・ヒサン)国会議長の「天皇が元慰安婦の手を握って謝れば解決する」という発言は、普通の韓国民が「お茶飲み話」でよく語る話だ。「普段からの持論で、10年前から話してきた」と発言撤回を拒否した文議長も、そうした茶飲み話を日本の政治家に語っていたのかもしれない。もしそうならば、日本側も「それは無理です」と反論し、日本人の「天皇への思い」を説明しなくては、「日本側も受け入れた」と勘違いする。

韓国では、戦後の日本の変化や天皇の地位について学ぶことはない。日本国憲法に関する説明もない。「歴代首相や天皇の謝罪」についても、教科書には全く書かれていない。
 
 これは、日本の教科書や教育でも同じだ。両国の戦後の社会変化と文化理解への教育と教科書がないのも「不都合な現実」だ。「日本が何度も謝罪した」という事実は、韓国民と日本人の常識になっていないのである。
 
 米朝首脳会談は、世界の視聴者に向けた両首脳の「テレビ・ショー」である。トランプ米大統領と金正恩(キム・ジョンウン)朝鮮労働党委員長は成果があったように演出する「天才」だ。2人は演出と演技による「成功」では、完全に一致している。だから、トランプ大統領は「良い関係だ」というのだ。
2019年2月、米ワシントンにある大韓帝国時代の施設を訪れた韓国の文喜相国会議長(聯合=共同)
2019年2月、米ワシントンにある大韓帝国時代の施設を訪れた韓国の文喜相国会議長(聯合=共同)
 トランプ大統領としては、米国との戦争も辞さなかった国際的な「問題児」に市場経済と経済発展を教え、平和に導いたという「感動的なドラマ」を米国民に示せば大成功なのだ。
 
 その裏には、核とミサイル実験中止を継続できれば、米国民が「非核化の遅延を問題にしない」というトランプ大統領の判断がある。米朝首脳会談の成功と南北関係の進展により、韓国の対日関心がますます「低下」することは避けられない。