ブログ仙岩

各紙のコラムや報道番組、読書の感想、カメラ自然探索など。

光差す未来のJヴィレッジ

2024-03-11 14:51:51 | 日記

東日本大震災から13年、太平洋から朝日差し込むJヴィレッジ。

このJヴィレッジは原発時事故対応の最前線拠点となった。青い芝生に駐車する車、次の拠点はいわき市四倉海水浴場駐車場である。ひっきりなしに事故現場に向かう車の出入り。作業は放射能で1時間そこそこしか出来ないのであろう。

13年過ぎて、今春「JFAアカデミー福島」完全帰還を果たし、夏のインターハイでは男子サッカーの固定開催の舞台となる。

しかし、心の傷は消えない。帰還困難区域では帰還の下地は整いつつも、未だ2万6千人が県内外で生活している。11日福島民報より。

また、13年も経つと、災害や原発事故の記憶も風化していると県民の意識調査で7割超に達している。

我が家も、地震直後額賀医院の駐車場に集まり、津波が来るから裏山に上がろうと先導して、海を眺めていると、1本の筋の津波が津波が東山地区を襲った。殆ど埋もれた道の駅、6号沿いに北に流れる車など見て社に引き上げ、区長の津波が引けて道路歩けるとというので、四倉高校体育館に避難、原発で高坂小に、危険という広野の方から言われて泉の娘の家に、県外でないとダメと、水戸の姉の所に避難、1ヶ月して帰宅、後片付けが大変、捨てるものが多くて、向かいの家は1mも傾いている現状であった。

13年前を思い出す。


1日10分のごほうび

2024-03-11 04:51:57 | 作品

8人の作家の森浩美で、放送作家を経て作詞家となり、

今回の「最後のお便り」で主人公の寺田武アナウンサーがテレビから、ラジオにかわり、

しっかりした姉の直ぐ諦める弟で、

「こころの焚火」のラストの放送で、姉から母が危篤の知らせを、夜10時からの放送が終わりデレクター白崎さんに挨拶し急いだ。

タクシーで病院へ、息を引き取ったばかりの母に「どうしてこんなに・・・急に」。

姉は母が4人部屋ではラジオが聞けないから、廊下の自販機コーナーのベンチでラジオを聞いていたみたい。

その廊下で倒れていたところを発見されたという。

姉家族と看護師に、悪いけど少しの間だけ二人きりにしてもらいたいと人払いして、ベットに上体を載せ、母の耳元に口を近づけて、

「それでは、最後のお便りを紹介しましょう。寺田武さんからのお便りです。私の母は昔からしつけの厳しい人でした。それは私がダメな息子だったからです。物事を直ぐ投げ出す子供だったからです。いや、大人になってからもダメでした。でも、あなたに叱られると何故か少し嬉しい気もしました。だけどたまには褒めて欲しい時もありました。だから、あなたの容態が悪くなっても、番組を投げださずに、我慢してやり遂げました。こんなダメ息子が一端のアナウンサーになれたのは、あなたが日本一の母だからだと思います。あなたに育ててもらったことを本当に感謝しています。面と向かって言えなかったことを、最後の最後に伝えたいと思います。母さんありがとう・・・・・・・」母さん聞こえたかい?ちゃんとオレ全うしただろう。今度こそ、褒めてくれるかい?

読み終わって声には出さないが泣いてしまった。

3.11から13年、過去帳に新地の姪が津波で亡くなって13回忌、また泣いてしまった。生に対する希望、感謝!ありがとう。